十年目のアンドロイドは十一月に裏切る
初投稿です。日々考えていることをツイッターで垂れ流すより、小説にしたほうが読み易いんじゃないかと思って、それらしいストーリーで展開しました。他作品と雰囲気全然違いますが、気にしないことにします。
※2016年2月18日、誤字脱字訂正しました。
「もう十一月なのに、まだこんなに暑いのか」
そうつぶやきながら門をくぐると、冷たい風が吹きつけてきた。国の地球温暖化対策により、自治体単位での空調の集中管理が実施されているので、音声を認識したのだろう。
一部の特区を除き、住民は自治体が管理する集合住宅に住むことになった。限られたエネルギーで、必要とされるエリアだけを冷やしている。町中のアンドロイドが、内蔵センサで読み取った情報を中枢部に送ることで実現される仕組みだ。この町に引っ越してきて一年になるが、未だにこの雰囲気には慣れない。
「いい加減に慣れたらどう?」
そう言うのは妻の沙樹だ。彼女は十年前から役所の職員としてまちづくりに参加している。国から地方自治体へアンドロイド公務員が派遣されたとき、現在の活用法を提案したのは彼女だった。
「慣れたいんだけど、何かしっくりこなくてね。暮らしを便利にするためにセンサを増やしたはずなのに、そのせいで個人がプライバシーを守るためにあれこれ対策しなきゃいけなくなるなんて、何かおかしい気がするんだ」
「言いたいことはわかるけど、何にでも副作用はあるの。マンションだって、狭い土地にたくさんの人が住める便利な建物だけど、大きくしたばっかりに大がかりな耐震補強をしなきゃいけなくなるの。でも、それをみんなが受け入れているからマンションが乱立してるんでしょ」
「うーん、テント生活もいいかもしれない」
「そういう話をしてるんじゃないの。アンドロイドの活用方法だって、最初に思いついたのは誠也なんだし、もっとポジティブに受け入れてほしいな」
「僕は、沙樹に相談されたからアイディアを出しただけで、こんな町にしたいなんて思ってなかったよ」
当初の都市計画では、市街地でのセンシングには単純なロボットを使う予定だった。しかし、ちょうどその頃、いわゆる不気味の谷を越えるアンドロイドが登場したことにより、それらが駆け込みで採用されたのだった。
彼らは、昔ながらの“近所のおじいちゃんおばあちゃん”代わりにもなった。毎日声かけをしてくれるし、警備員も兼ねている。おかげで治安が良くなったと評判だ。唯一の難点は、一目で人間と区別できないことだ。だがそれも、手の平に埋め込まれたIDタグを読み取ることで解決できる。初対面の場合でも、とりあえずID読取装置をつけて握手をすれば自然な形で確認できる。折を見てハイタッチをしてもいい。また、アンドロイドには識別用のタスキをかけることが条例で決められている。車のナンバープレートみたいなものだ。地域によっては、タスキではなく腹巻や着ぐるみを使っている。毎年“ご当地アンドロイドコンテスト”が開かれるほどの人気だ。しかし、着ぐるみだと熱がこもって寿命が縮まるだろうに、酷いことをする。
誠也は去年まで国立大学で人工知能の研究をしていた。博士の学位は取得していなかったが、定年間際の指導教授に人事権があるうちにと、駆け込みで助教として採用してもらった形だ。
誠也の専門はヒューマンインタフェースと呼ばれる分野で、コンピュータはあくまでも人間の支援に徹するべきだというのが彼の持論だった。若いことを理由に、大学の情報システムの管理、レポートの採点、成績の集計といった実績にならない事務作業を押し付けられていたが、やりがいを持って取り組んでいた。しかし、本業である研究についてはうまくいっていなかった。
助教に就任して間もなく、素人受けの良い人型ロボットやアンドロイドの研究をするよう学部長から命じられた。時代のニーズに合った研究をするのは当然のことだが、本当に社会のためになる研究なのか、疑問に感じていた。案の定、海外で開発された自律型ロボット兵器が世界中から批判を浴びると、周囲の態度は一変した。
「戦争の道具を産み出す可能性を考えたことはなかったのか」「国税をそんな研究に使うなんて許せない」といったクレームがひっきりなしに届いた。ロボット兵は使い古された技術の寄せ集めでできていたし、研究費はすべて民間企業の共同研究予算から捻出していた。だが、それを説明すべき相手は目の前にいなかった。
そんな折、誠也は再生可能エネルギー関連の民間企業からスカウトされた。周囲からは引き留められたが、勤務地が交際中の沙樹が勤めていた町に近いこともあり、転職を決意した。
「僕は彼らが得意なことと苦手なこと、それと一般的な人間の心理について述べただけだよ。アンドロイドはロボットより人間に近いんだ。人間同士が出世競争をしている中に彼らを放り込むのは、無理がある。世の中には地味で無駄が多いけど誰かがやらなきゃいけない仕事っていうのがあって、彼らの活躍の場はそこにある。これくらいのことは僕じゃなくても誰かが言い出したはずだよ」
言い訳のように演説する誠也を、沙樹は受け流す。
「スポーツ選手になりたい人間はいっぱいいるんだから、わざわざロボットのサッカーリーグを作るよりも、アンドロイドがコーチをする養成所を作ったほうがいいっていう話だったら、聞き飽きたけどね」
「彼らは定量的に分析するのが得意だし、ひいきが無いから指導を受ける側も素直に受け入れやすいはずだ。結論を出すのは選手や監督だから、そこを人間がやればいい。人材育成はどんな業界でも課題になっているから、需要はどんどん増えていくと思う。彼らに機能そのものを肩代わりさせるんじゃなくて、人間を成長させるために利用するんだ」
「だから、聞き飽きたって。学会で“ティーチングアンドロイド”略してTAだって発表したけど、全然流行らなかったんでしょ」
「――新しい言葉をつくるにはセンスが要るんだ。それこそ、コピーライターは人間にしかできない仕事だよ」
昔から新聞や小説の文章を形態素解析し、それを利用してキャッチコピーが作られてはいたが、どのコピーを採用するか決めるのは人間の仕事だった。人工知能によって書かれた小説が文学賞に選ばれ、話題になったこともあったが、そのときも編集者は人間だった。賛否両論あったが、関係各所に配慮した結果、編集者が人工知能の“著作権”を侵害したという解釈で、受賞は無効となった。
誠也はこの手の議論にあまり関心が無かったが、人工知能が書いた文章を面白いと感じたことはなかった。人間が書いた文章というのは、著者の人生を重ねて読むことで、なんでもない一言が感慨深い表現になることがある。“著者紹介欄”も含めて一つの作品なのだ。もっとも、それも含めて執筆できる人工知能が登場する日はそう遠くないのかもしれないが――。
翌朝、誠也が郵便受けを確認すると、朝刊と一つの封筒が届いていた。封筒は大学の指導教授、土沢からのもので、中には招待状と予稿集が入っていた。土沢は誠也の就職と同時に定年退職したが、自費で研究を続けており、学会のアンドロイド特集に合わせて招待講演を開くことになったのだ。講演のタイトルは「教育機関でのアンドロイド活用に関する実証実験の成果と将来性」だった。ありがたいことに、誠也の卒業論文についても紹介されるようだ。概要には次のようなことが書かれていた。
「自律型ロボット兵器の開発を禁止する国際条約が締結されたことをきっかけに、アンドロイドの自律行動を制限するよう、OSの仕様変更が義務付けられた。一方で、この制限のために、災害時の緊急対応のために配備したアンドロイドが有効に活用できなくなったことが問題視されている。これを受け、自律行動する非兵器型アンドロイドの安全性を再評価するため、実験を行った。
実験においては、二十四時間監視を条件として、一体のアンドロイドの自律行動制限を解除した。人間による監視が行動に影響を与えないよう、状況に応じて監視用アンドロイドを用いた。さらに、開発中の緊急停止プログラムを組み込み、人類へ敵意を抱いたり自暴自棄になったりした場合には、活動を停止する仕組みとなっている。
結果として、当初の想定よりはるかに柔軟な自律行動が確認された。それにも関わらず、九年間の実験を通じて緊急停止することは一度もなかった。なお、本講演では、当アンドロイドによるデモンストレーションを予定している」
誠也は、研究室にいつも二体のアンドロイドがうろうろしていたことを思い出した。同時に、助教時代に意味を見出せなかった研究も、社会の役に立つものだったのだと気付いた。研究というのは初めから何の役に立つかわかるものばかりではない。それは他の仕事や勉強でも同じことだ——スポーツロボットだってそうだ。もちろん、言葉ではわかっていたつもりだが、本当の意味では理解していなかったのかもしれない。
誠也は招待状に印刷された「御」に二重線を引き、「出席」に丸をつけ、「いたします」と追記した。郵便ポストの前で、招待状が夫婦連名で届いていたことに気付いたが、深く考えずに投函した。
キッチンのテーブルで新聞を読んでいると、慌ただしい沙樹の声がした。
「なんでそんなにのんびりしてるの!?いつも月曜日は電車が混むから早めに出たいって言ってるくせに」
「あぁ、このところ休日出勤が続いてたし、材料の納品が遅れて仕事にならないってことで、今日は振替休日になったんだ。言ってなかったっけ」
「聞いてない。もう、それなら早起きして急いで洗濯しなくてもよかったのに。私はいつもどおり出勤なの」
「それより、土沢先生から講演会の招待状が届いてたんだけど、今週末は予定ないよね?」
「土曜日だったら行けるよ。今日お休みなら、ゴミ出しとか部屋の掃除、やっといてね。じゃあ行ってきます」
言われなくてもいつもやっているじゃないか、とは言わずに沙樹を見送り、テーブルに置かれたままの食器を片付けた。
部屋の掃除だが、実はこの部屋は埃が溜まりにくいように設計されているので、毎日掃除機をかける必要はない。部屋の隅は丸みがあり、上から下に空気が流れるように換気口がついている。クリーンルームの設計技術を一般家庭に取り入れたものだ。とはいえ、換気口を塞がないよう、床に散らかっているものは整理しないといけない。一番散らかっているのは、沙樹が在宅で仕事をするときに使っている机の周りだ。昔はもっときれいにしていたのだが、最近はいつもこんな状態だ。何の書類だかわからない紙の束が散乱している。自分ルールがあるらしいので、あまり並び替えないようにして、角を揃えて積み上げておいた。
ふと、その中に日記帳らしきものがあるのが目に留まった。躊躇いながらも、置きっぱなしにしているほうが悪いんだとつぶやきながら、表紙を開いた。
日記の日付は十年前の四月から始まっていた。就職をきっかけに日記帳を新調したのだろう。仕事の愚痴や、同僚から恋愛相談を受けたこと、自主的に勉強会を開いたことなど、他愛もないことが書かれている。途中のページを読み飛ばし、翌年の四月を開く。
「アンドロイドがうちの町にやってくる!若手職員を中心としたワーキンググループで、大学の先生と協力しながら、どんな仕事をさせるか決めることになった。工業高校出身だからって担当者に選ばれたけど、関係ない学科だったからよくわからないし、電磁波が放出されますが微弱なので健康に影響はありません、とか注意書きがあってちょっと怖い」
この頃、うちの研究室との共同研究が始まったんだったな。しかし、電気は目に見えないからよくわからなくて怖いというのは、エンジニアの間ですらよく言われることだ。誠也はいつも思うが、電気系の人間からすると、決まった法則に従って動くのだから十分わかりやすい。理にかなわないことをためらいなくやってしまう文系の人間のほうが、行動を予測できなくて怖いじゃないか。
誠也と沙樹が正式に交際を始めたのは、誠也が就職してからだが、出会いはこの事業がきっかけだった。ちょうどこの年、誠也は大学に編入学し、土沢研究室預かりとなったところだ。大学三年生だった当時を思い出しつつ、日記を読み進めた。
「気持ち悪そうだと思ってたアンドロイドだけど、一体だけ動きが自然で本物の人間みたいだった。でも、何度も会ってるのに全然笑わないし、なかなか目が合わないのが気に入らない。土沢先生にこっそり相談したら、実験装置を貸してもらえた。本当は趣味とか聞きたかったんだけど。忙しくて説明しきれないからって、後でメモを渡された。よくわからないけど、あの人がどんなときに嬉しいと思うのか、どういう話が嫌いなのか、本体に会う前にこの模型で練習してねってことらしい。頑張ろう」
このページはクリアファイルになっていて、手書きのメモが入っていた。土沢の字だ。
「本日相談を受けた件ですが、ランダムに生成した嗜好関数でセンサデータをハッシュ値に変換しているので、正直私にもよくわかりません。逆関数が求められない問題だと考えてください。同じ嗜好関数を持つ実験装置をお貸しするので、いろいろ話しかけたりして調べてみてください。感情メータをつなげば喜怒哀楽のレベルも一目でわかりますから。ついでに、可能な範囲で結果を報告してもらえると助かります。いろいろと試しているうちにバイアスがかかってしまうことがあるので、定期的にリセットしてください。初期化用のメモリカードもお渡ししておきます」
よく見ると、メモと一緒にメモリカードが入っていた。かすれて読みにくいが、メモリカードには「8135」と印字されているようだ。最近のパソコンでは読み込めないタイプの古い記録媒体だ。プロトタイプのシリアル番号なら、普通は「0000」とか「0001」じゃないかと思ったが、そんなことより、沙樹の反応のほうが気になる。まるで連続ドラマの第一話に出てくるヒロインみたいじゃないか。欧米人と付き合うと英語が堪能になるというが、沙樹が素人とは思えないほど人工知能に詳しかったのは、このせいだったのか。
誠也は複雑な気持ちになった。見つけたのが知らない男と一緒の写真だったとしたら、同じ気持ちになっただろうか。この頃、誠也は大学に編入したばかりで、フルタイムで講義を受けながら、慣れない記述式の定期試験の勉強に追われていた。後で同級生から「あんなの毎年同じ問題なんだから簡単でしょ」と言われたが、友達もいないのだから知りようがなかった。当然、異性を意識する余裕も無かった。
「女っていうのは、昔の恋人との思い出の品をいつまでも持っていないものなんだ」
同僚から聞いた話が頭をよぎり、はっとした。同時に、アンドロイドの運用には都道府県への登録が必要なことと、動静履歴を文部科学省のホームページで検索できることを思い出した。誠也が調べた結果、ここ十年間でこの町から出ていったアンドロイドの数は、0だった。日記の続きを読もうとしたが、白紙のルーズリーフが続いているだけだった——。
いつも深夜に帰宅する誠也にとって、自宅で沙樹を待つのは初めてのことだった。午後八時を過ぎたが、なかなか帰ってこない。公務員なのに定時で帰れないのか。偏見に満ちた不満を独り言のようにつぶやいているうちに、だんだん頭が痛くなってきた。こんなことは初めてだ。
「——ただいま。あっ、ちゃんと掃除してくれたんだ。ありがとう。今日はゆっくり休めた?」
「久しぶりにゆっくり本を読めたよ。あと、あのへんに散らかってた書類だけど、まとめてよかった?あれはあれで定位置にあったのに!とか言わないよね」
「疲れて帰ってきたところなんだから、嫌味を言わないでよ」
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。っていうか、いつもこんな時間に帰ってるの?」
「だいたいそうだけど、いつもはアンドロイドの点検をして帰ってるから、もっと遅いかな」
——それは技術課の仕事じゃないのか。
「僕が言うのもなんだけど、夜道は危ないから、もっと早く帰ったほうがいいよ」
「そうなんだけど、今週締切の仕事があるから、金曜日はもっと遅くなるかも。でも、職場からここまではアンドロイドが警備してるからね。心配しなくても大丈夫だって」
それが心配なんだ、とは言えなかった。
次の日、誠也は会社を早退し、研究室にいた二体のアンドロイドを探すことにした。とはいえ、どうやって探せばいいか見当もつかないので、会社近くの喫茶店に入った。おしゃべり好きなマスターなので、話し下手な誠也でもなんとかコミュニケーションがとれる。
「いらっしゃい。あれ、お客さん、あの会社の人だったよね。今日は外回りか何か?」
「いや、今日は休むことにしたんですよ。っていうか僕、こちらのお店に来るの三回目なんですけど、よく覚えてますね」
「職業柄ね、人の顔はよく覚えてるんだ」
これはチャンスだと思い、誠也はスマートフォンを取り出し、写真を表示させる。
「じゃあ、こんなアンドロイドを見たことあるかどうかって、覚えてますか」
「うーん、見たことあるけど、この型のやつはたくさん出回ってるからねぇ。自信がないな。人間にもさ、どこにでも居そうなタイプの顔の人っているでしょ。そういうのはなかなか覚えられないんだよねぇ。同じ型のやつがうちにも一台いるから、見たいなら呼び出してあげるよ」
「えっ、そうなんですか。昔は接客業にアンドロイドを使ってはいけないって言われてましたけど、緩和されたんですね」
「そのへん本当は怪しくてね、法律にも条例にもはっきり書いてないんだ。だから皆なんとなくやめとこうかって感じでさ、うちも夜のバー営業のときだけ出すようにしてるんだ。繁華街のお店なんかだとやりたい放題やってるけどね」
「たしかに店内は暗いし、普通にコスプレ店員とか居ますし、わからないですよね」
「そうそう。病気にならないし、時給に換算すると割がいいからって、いかがわしいお店にも増えてるんだよ。工事現場とかメーカの工場だと、人間がやると危険な仕事は、昔からロボットとか機械にやらせてたけどさ、ついに接客業にまで来たかって感じだよねぇ」
「そういうのって、女性向けにもあるんですか」
「あるだろうねぇ。うちの常連さんにも、アンドロイドがいるホストクラブに通ってる子がいるよ。それに、少ないかもしれないけど、男性向けのお店に女性が行くことだってあるでしょ」
「それはそうですし、マイノリティな人達を悪く言うのは良くないとは思うんですけど、なんか人工物って考えると少し気持ち悪いって思っちゃうんですよね」
「かわいい女の子のフィギュアを集めて興奮してるおじさんをイメージしちゃうからかな。普及しちゃえば気にならないんじゃない?漫画だって、昔は電車で大人が読んでるなんて考えられなかったし、ゲームなんてもっての外だったけどさ、今は普通にいるでしょ。好きなアイドルを応援するために何十枚もCD買っちゃう人だってそうだよ。俺が知らないだけで、昔からいたかもしれないけどね」
「それはそうと、さっきのアンドロイドってそんなに普及しちゃってるんですか。IDが8135のやつを探してるんです」
「八千番台?数千台はいないと思うなぁ。なんにしても、去年三十台だったか五十台だったか支給されてたから、その中から一台を探すのは大変だと思うよ」
「そうですよねぇ。どうも、ありがとうございました。また来ます」
なんだか嫌な話を聞いてしまった。技術の進歩が人間を駄目にしているのかもしれない。
夜になると、誠也は役所の近くで沙樹を待ち伏せた。たまに不審者と誤認識したアンドロイドが近づいてきたが、目を見ながら笑顔で握手をすれば安心してどこかへ行ってくれる。これはアンドロイドの習性で、学生時代に発見した裏技だ。
調査は四日間続けたが、帰りが遅い以外に沙樹の行動に不審なところは無かった。背徳感からか、誠也の頭痛は酷くなっていた。研究室にいたアンドロイドも特定できないまま、土曜日がやってきた。
誠也と沙樹は、土沢が登壇する講演の会場へやってきた。いつもは劇団の公演やコンサートに使われるホールで、収容人数は千人を超える。それが全席指定で、有料にも関わらず今日は満席になっている。しかも世界中に同時中継されるらしい。正直、ここまでの規模だとは思っていなかった。
「やっぱり来てくれたんだね。元気にしてたかい?」
聞き覚えのある声がして振り返ると、土沢が立っていた。
「あっ、土沢先生、御無沙汰しております」
「久しぶりだね。しかし、結婚したと聞いたときには驚いたよ。大変喜ばしいとも思ったがね」
「ありがとうございます。しかし、転職したことについては、折角のご厚意を裏切るような形になってしまい、申し訳ありません」
「いや、そのときも言ったけどね、君が自分で決めた道を進んでくれるのが、僕にとって一番嬉しいことなんだ。その選択が、君や周りの人のためになっていれば、なお良い。今日も、折角だから講演の最後にちょっと協力してもらおうと思っている。今回の実験は君がいなければうまくいかなかったからね」
皮肉や社交辞令ではなく、本心からそう言っているのが声の調子、表情、仕草から読み取れた。感謝と申し訳ない気持ちがこみ上げ、誠也は言葉を発することができなくなった。見かねた沙樹が言った。
「先生は知らないでしょうけど、私と付き合って、誠也は感情表現が豊かになったねって皆に言われるんですよ」
フォローになっていないんじゃないかと思ったが、それも言葉にできなかった。
二人が会場に入り、しばらくすると土沢の講演が始まった。学会の発表では、いまだに昔ながらのプレゼンテーションソフトを使うのが主流だ。パソコンが接続されると、誠也が研究していた頃の実験室がスクリーンに映し出された。最後の学生だったからだろうが、恩師の研究生活の集大成ともいえる講演会で、自分の姿が表紙に使われることが、誠也には誇らしかった。淡々と、そしてユーモアを交えながら持論を展開していく講演に、専門家だけでなく記者や一般の聴衆も聞き入っていた。そしてついに、デモンストレーションの時間がやってきた。
「本日は、長時間にも関わらずご清聴いただき、ありがとうございます。これから、最後に申し上げました緊急停止プログラムのデモンストレーションに移ります。その前に皆様に紹介したい二名がいます」
土沢がそう言うと、誠也が座っている席にスポットライトが当たった。同時にもう一つの席にもスポットライトが当たっていた。二十席くらい離れたところだろうか。座っている男性に見覚えは無いが、誠也と同年代だろうか、どことなく土沢が若い頃の写真に似ている。
……まさか、あいつが――。直観的に、誠也はそう思った。
「こちらの二名は、私の共同研究者と、研究対象のアンドロイドです。本来であれば、彼はタスキをかけているべきですが、特例として免除されています。どちらがアンドロイドなのか?本当はどちらも人間なんじゃないか?疑っている方もいらっしゃると思います。まずはそこを確認してみましょう。二人とも檀上へどうぞ」
活動を停止されるとわかっていて、みすみす死刑台に上るような真似はしないだろうと誠也は思ったが、男は歩き出していた。その堂々とした姿を見ると、嫉妬や嫌悪感は薄れていき、同情する気持ちが強くなってきた。横目で沙樹を見ると、下を向いて肩を震わせていた。本当に可哀想なのは、残されるほうなのかもしれない。
誠也は一瞬悩んだが、沙樹に声をかけた。
「ごめん。実は、昔の日記を見てしまったんだ。だから、僕はもう全部知ってるんだ。もう無理して隠さなくていい。何があっても、僕は大丈夫だから」
そう言い残して誠也は檀上へ向かった。沙樹が何か叫んでいたが、うまく聞きとれなかった。どんな顔をしたらいいかわからず、振り返ることもできなかった。後でちゃんと話そう。
壇上で見る男の顔つきは、確かに町のアンドロイドとは全く違っていた。これが開発されたのが十年前で、現在までこの品質を保っているとは驚きだ。そんなことを考えながら、土沢の指示どおり、二人は壇上で握手を交わした。
すると、先ほどまでスライドが表示されていたスクリーンにIDが表示された。角度の問題で檀上からは見えなかった。
「ご覧のとおり、彼は見た目では生身の人間と区別がつきませんが、アンドロイドです。その功績は説明しきれないほどありますが、これまでのアンドロイドとの決定的な違いは、彼が人間の女性と恋愛関係にあることです」
やっぱり――。
「さらに驚くべきことに、自らの寿命を悟りながらも、自暴自棄にならず、気丈に振る舞うことができています」
確かに、これには驚きだ。生身の人間にだって難しいことだ。
「皆さんの中には、彼を憐れむ方もいらっしゃるでしょう。しかし、アンドロイドには通常十万個もの部品が使われています。現代の技術では、いくら信頼性の高い部品を使用しても、その寿命は長くて十年と言われています。今回の実験はその期間に合わせて実施することにしました。ついでに説明しますと、成人型アンドロイドを誕生させるときには、過去の記憶を書き込みます。そもそも人間の記憶というのは、短期記憶と長期記憶に分けられます。短期記憶は誕生時点では不要ですね。長期記憶は大きく手続き記憶、意味記憶、思い出記憶に分けられます。手続き記憶、意味記憶といったものは基本的にどのアンドロイドも同じものを使います。多少の例外はありますが、箸を使える、自転車に乗れる、公用語で話ができるなんてのは個性とは言わないでしょうからね。各個体に固有のものは思い出記憶ですから、二十歳の若者として誕生させる場合には、二十歳までの思い出を捏造することになります。また、情動や感性については白紙の状態にしておき、後天的に学習させます。その結果、人間に囲まれた環境で生まれたアンドロイドは、自分を人間だと思い込みます。しかし、わざわざ誰かが指摘するわけではなく、日々の暮らしの中で、自分と他の人間との違いに気付き、葛藤を乗り越えて自分が人間ではないことを理解していくのです。これは程度の違いこそありますが、人間の子供と同じですね。周りの大人や友達と自分は違うんだということを、泣いたり喚いたりしながら受け入れていくのです。もちろん気付くタイミングには個体差がありますが、周囲の人間が徐々にそれらしい情報を提示し、あぁ自覚してるなとわかったところで処分に踏み切ります」
この手順は誠也も熟知していた。しかし、はっきりと告知しなくてよいのか、疑問だった。目の前のアンドロイドだって、もしかしたら事実に気付いていない可能性があるじゃないか。土沢は自覚させてから処分すると言ったが、男にはそんな素振りは見えない。しかし、土沢は淡々と準備を進め、誠也の肩をたたき、こう言った。
「——それでは、頼んだよ」
躊躇いながらも、誠也は土沢との打ち合わせどおり、思い切り男に殴りかかった。あとは反撃をかわしながら緊急停止を待つだけだ。沙樹には後で謝ろう。知らなかったことにすれば許してもらえるだろうか。あぁでも知ってるって言っちゃったしな。たぶん許してくれないだろうな。
悔しいけど、どうしようもない。……もうどうでもいい。
次の瞬間、誠也の拳は空を切った。同時に、頭の中で甲高い音が響き、目の前が真っ暗になった。
「皆さん、たった今、人間に暴力を振るおうとした自律型アンドロイド、ID: SEI8は、緊急停止プログラムによって動作を停止しました」
アンドロイドとしての動作を停止した誠也は、壇上に横たわった。講演は、盛大な拍手とともに幕を閉じた。聴衆は、懇親会場に向かうため、会場を後にした。
沙樹は、壇上の誠也のもとへ駆け寄り、土沢を見上げて言った。
「先生、最期くらいは、私に処分させていただけないでしょうか」
「いやいや、何を言ってるんだ。駄目に決まっているだろう。別の人格を再インストールして次の実験に使い回すんだ。息子の学会デビューにふさわしい、話題性のある研究テーマだ。誰がやっても特別賞ものだよ」
「でも、十年が寿命だとおっしゃっていましたよね」
「そんなことは言ってない。通常は十年と言われている、と言ったんだ。ああでも言っておかないと、アンドロイド人権宣言とやらを盾に騒ぐ奴らがいて面倒なんだ。最近は強制アンインストールも禁止されたし、一度起動してしまうと壊れるまで再利用できないんだ。イチから作るとなると、時間も費用ももったいない。まぁ、温度上昇を25℃に抑えるように設計していたから、あと四十五年は使えるだろう」
「そんな、それって騙してるのと一緒じゃないですか。……でも、それを聞いて少し安心しました。このことは絶対に口外しないので、彼のことは解放してもらえないでしょうか」
沙樹がボイスレコーダーを取り出しながらそう言うと、ぎこちなく誠也が立ち上がった。
「僕は、人間じゃなかったのか……。でも、なんで今意識が戻ったんだ。沙樹がやったのか?」
沙樹は、土沢から借りていた実験装置に、自律行動が制限されない旧式のOSが使われていたことに気付き、同じものを事前に誠也にインストールしていたのだ。本来は違法だが、なりふり構ってはいられなかった。
「ブートキャンプというやつか。私も一度はやろうとしたことがある。しかし、容量不足だっただろう。記憶を大幅に削除しなければならなかったはずだ。それぞれの記憶は暗号化されていて、部分的には削れないんだ。人格に異常をきたすぞ。起動して三十分以内なら、法的には起動していないことになる。今ならまだ間に合う。やめたほうがいい」
「大丈夫です。二十歳までの思い出だけを削ったんです。先生にお借りした実験装置を使って、シミュレーションを繰り返しました。時間が足りなくて、一部の運動機能に障害が残ってしまいましたが、大した問題ではないです。本当なら先生の発言を世間に公開したいところですが、アンドロイド達の未来のために、我慢します」
土沢は、誠也が今までに見た事もない形相に変わっていた。顔は紅潮し、握り締めた拳が震えている。
「——これは裏切りだよ。私の地位と権限をわかっていての行動なんだろうね」
これは明らかな脅迫だ。しかし、沙樹は意外にも冷静だった。
「もちろんわかっています。念のためお伝えしておきますが、録音データはクラウド上に保存されていて、私に何かあれば自動的に出版社の知人へメールでURLが送られるようになっています。ローカルサーバへも自動バックアップするよう設定しているので、よほどの事が無い限り消えないでしょう。不慮の事故に遭ってしまったら申し訳ないですが、そうならないよう祈っていてください」
土沢はしばらく考えた末、ため息とともに取引に応じた。
しばらくして、誠也は身元を隠し、沙樹とともに自然生活特区で農業を営むことにした。当初は自給自足の生活をするだけのつもりだったが、作物を近所へ配っているうちに話題になり、十年が過ぎた頃には通信販売を始めた。不法投棄されたアンドロイドや、アンドロイドに仕事を奪われた人間を受け入れる体制も整え、自治体からの助成金も出るようになった。
慈善事業をやっていると勘違いした団体から寄付の申し出が増えてきた頃、誠也は有料ブログを立ち上げ、寄付をするくらいならブログを購読するよう勧めることにした。根拠の無い悪口や、思い込みによるクレームも書き込まれたが、次第に購読者は五万人を超え、生活費として十分な収入源になった。誠也は、ブログが炎上するたびに 「フレイム問題は未だ解決していない」と記事にするのだが、こちらには今のところ大した反響はない。
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