擬態
水槽の中には砂が敷かれており、中央に穴がところどころ空いている岩が鎮座していた。海藻は植えておらず、エアーポンプがブブブと音を立てている。水槽の中には何も泳いでいない。「これで少し華やかになるかな?」
男が水槽の中に熱帯魚を放った。熱帯魚たちが水槽の中に色を振りまいていた。
「そうね。ありがとう」
男に対し女が礼を言った。
その部屋はよく言えば、清潔感のある部屋。悪く言えば、生活感のない部屋だった。
その男女は恋人同士に見えた。女は台所に行き、料理を始めた。男はソファに寝転がり、テレビを見始めた。丁度見たい番組がなかったのかザッピングをしている。
自殺者が増えているというニュースが少し流れた。
「そういえば、私が高校生の頃、同じクラスの子が自殺してたわ」
「へー。やっぱそういうのって多いんだな。俺も中学の頃いじめられてた奴が自殺して、大変だったわ」
「何? 友哉っていじめっ子だったの?」
女は笑った。
「別にいじめたくっていじめてたわけじゃないって。なんていうか。その場のノリっていうか。でも、相手が死ぬなんて考えないからな。俺らも餓鬼だったんだよ。けど、まあ、あんなもんで死ぬなんて、死ぬ方もバカだよなぁ。何も死ぬほどじゃないって、あんなの」
「そうねー。ホントバカよねー」
女は男の前に料理を運んできた。そして、一緒に持ってきた包丁で男を刺した。
男は何が起こったのか分からず、目を丸くしていた。
「そのいじめられて死んだ子の名前、藤木直子よね? その子、私のお姉さんなの」
「だって、名前。それに・・・」
「偽名よ。あなたの知っている私はこの世のどこにもいないわ」
女は吐き捨てるように言った。
水槽の中では熱帯魚がすいすいと泳いでいた。砂が一瞬盛り上がったと思ったら、熱帯魚は姿を消した。砂の中でヒラメが食欲を満たし、安らかに一つ大きな息を吐いた。