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規格外

作者: 雪麻呂

 乾いた風が、空き缶を転がしていった。

 流れる雲の隙間から、巨大な満月が時折、顔を覗かせる。暴れるジッポの炎を掌で覆って、萎びた煙草に火を付けた。煙の棚引くのが、やたらと早い。

 夜の公園は何処までも静かで、風の音だけが耳を叩いた。切れかけた街灯の瞬きが、チカチカと鬱陶しい。軽く舌打ちして、片眼を細めた。ちょっと早く着きすぎたみたいだ。

 時計を覗く。待ち合わせ場所は、此処で間違いない。

 足元の紙袋に目を遣り、煙を吐いた。まぁいい。この街で、こんな綺麗な月が見られる夜は、そうない。このまま夜空を眺めているのも、悪くないだろう。アイツが来るまで。

 ベンチから立ち上がり、軽く尻を払う。くたびれたダウンジャケットのポケットに、手を突っ込む。握り締めた小銭が冷たかった。

 公園を出て、曲がり角の自販機へと歩く。

 なにかを引っ繰り返すような派手な音が、後ろでガラガラと響いた。

 振り返ると、街灯の下で、小汚い男がゴミの山を漁っていた。

 横目で見ていると、やがて男はゴミの中から壊れたスタンドのようなものを選び出し、それを大事そうに抱えて、路地裏へ消えていった。なんのことはない。日常風景だ。

 いつものコーヒーを買って、ベンチへ戻った。湯気を吹いて一口だけ飲み、新しい煙草に火を付ける。


 ―――此処は捨てられたものの街。


 此処には、捨てられたものが集まってくる。

 そこかしこに積み上げられたガラクタは勿論、あの自販機も、このベンチも、その街灯も。この街には、毎日なにかが捨てられてゆく。理由はわからない。何故そうなったのかも、知らない。とにかく此処は巨大なゴミ捨て場であり、その事実だけ理解していれば充分だった。いや……むしろ集積したガラクタで構成されて出来上がったのが、この街なのかもしれない。

 いつからか、この街で修理屋をやっている。経緯は思い出せない。

 誰かがガラクタを持ち込んできて、それを修理して料金を取る。その繰り返しが続いていた。自分にとって、暮らしてゆくとは、そういうことだった。

 思えば、呆れるほど多くのガラクタを修理したものだ。型後れのウォークマン、玩具のペンライト、安っぽい時計。どれもこれも、くだらないものばかりだった。それでも依頼人達は、元通りになった品を見て本当に嬉しそうな顔をする。あぁ、俺には、わからない。

 だって俺には、大切なものなんて、ない。

 金も物も家も、こんな生活も。なければないで、別に構わない。愛着も湧かなければ、興味もない。こだわりもない。有ろうと無かろうと、どうでもいい。それはたぶん、この俺自身でさえ。

 そして、そんな俺を大切に思う奴も、いない。

 長くなった灰が落ちた。いつしか月は隠れ、仰ぐ空は黒く暗く、渦を巻いて低く唸っている。首が抜けて、吸い込まれてしまいそうな気がした。


 いつから此処にいるんだろう。


 思い出せない。気付けば修理屋だった。此処へ来る以前、俺は何処でなにをしていたんだろう。誰と暮らしていたんだろう。どんな人生だったんだろう。幸せだったのだろうか。不幸だったのだろうか。わからない。

 父はどんな人だろう。母はどんな人だろう。俺はどんな人だったのだろう。

 ……思い出せない。

 けれど、ただひとつ、確かなことがある。

 此処は捨てられたものの街で。

 いらなくなって、忘れられたものの、集まる街で。

 つまりは俺も―――そういうこと、だ。



「よぉ、修理屋」

 声を掛けられ、顔を上げた。街灯に、依頼人の影が伸びていた。

「よぉ」

「直ったのか? おれの」

「もちろん」

 紙袋から小さなラジオを掴み上げ、スイッチを押した。

 出し抜けに流れ出す男女の会話に、依頼人の口調が高揚する。

「あ、あ、ありがとう!」

 依頼人は、皺だらけの紙幣を修理屋に握らせた。数えもせずに、ポケットへ突っ込む。小銭がチャリンと音を立てた。

「思ったより大変だったぜ。規格外製品は、部品の調達が面倒なんだよ」

「ありがとう。よく、直して、くれた」

 依頼人はラジオを抱き締めて、ステップを踏んだ。たぶん踊っているのだろう。

 ラジオから聞こえるワルツにはノイズが混じり、所々、音が飛ぶ。一瞬、自分の仕事が不味かったのかと眉を寄せたが、やがて合点がいき、肩を竦めた。大昔の映画なのだ。如何せん、音源が古すぎる。ラジオは完璧に修理したはずだった。何処の局だよ、今時こんなの放送してるの。

 ……あれ?

 ふと、頭の片隅で、微かな記憶が煌めいた。


 あぁ。俺、知ってる。この映画。ここ、クライマックスのシーンだ。

 確か主人公の老夫婦が、自分達の出逢いを再現しようと、正装して踊るんだ。それで……そう。そのあと映像がフラッシュバックして、コマ送りになって、二人は若返ってゆく。最後は二人が出逢った舞踏会のシーンで終わりじゃなかったかな。

 だけど、いつ何処で。誰と見たんだろう?

 思い出せない。

 暗い映画館。セピアの銀幕。隣に座る人は、とても綺麗で。いい匂いが。

 手を握っていたような気がする。

 甘くて切なくて、ヒリヒリする。それは素敵な時間だったような気がする。

 そのとき。

 俺は幸せだったような気がするんだけど―――


 ギシ、という音に意識が引き戻された。依頼人が、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。まるで糸の切れた操り人形だ。見ちゃいられない。

「……なぁ、あんた」

 眼を反らすように、新しい煙草に火を付けた。

「そんな古臭いラジオが、どうして大切なんだ? んなもん、とっとと捨てちまってさ。新しいのを買うか拾うかすればいいじゃねーか。ラジオなんて、もっといいのが、いくらでもあるだろ?」

 街灯の灯りに、依頼人の顔の剥げかけたメッキが、キラリと光る。

 彼に表情というものがあるのかは知らない。けれどそのとき、彼は、笑っていたのだと思う。錆び付いた指。取れてしまった鼻。片方だけの耳。惨めたらしくオイルの滲んだ眼が、微かに細く伏せられる。

「おれは、こいつ、いっとう、好きなんだよ」

 何処かでサイレンの音が聞こえる。

「捨てたら、もう二度と、おれのところに戻って、来ないだろ。他の奴にとってはガラクタでも、おれは、こいつ、好きなんだよ。こいつ、捨てられたのをおれが、拾ったんだ。だからな。二回も捨てられるなんて、かわいそう、だろ」

「………」

 そっか。言って、煙を吐いた。

 サイレンの音が遠ざかる。

「そんなに動いたら」

 語尾は、金属の軋む甲高い音に掻き消された。依頼人の右脚が変な方向へ曲がって、地面を擦ったから。

「……俺には、直せないぜ。今時あんたみたいな旧式の部品を売ってる店は、もう何処にもねーんだ」

 依頼人は、答えず、踊っていた。

 不器用に身体を揺らせば、捻れた脚が弧を描く。点滅する粗末なスポットライトは、頼りなくよろめく影には、お誂え向きだったろう。それでも、あの硝子玉の瞳には、きっと遠い日のパートナーが映っている。

 これはそろそろ限界だなと、白い息を吐いた。修理屋としての自分の目に狂いがなければ、こうして動いていることすら不思議なのだ。こんな旧型がメンテもなしに放置されれば、然もありなん。そうして壊れて、道端で朽ち果てていった奴を、自分は幾つも知っている。ここまで来れば手遅れだ。直せない。自分にも。

 なにか言葉をかけるべきだろうか。

 おそらくは明日、此処で、二度目の粗大ゴミとなっているであろう依頼人に。

 けれど、わからない。

 こんな俺達にとって、最後の言葉は、どうあるべきか。

 そのとき、俯く靴先に、ふわりと白いものが溶けた。

 見上げれば、綿のような雪が、ゆっくり。ハラハラと落ちてくる。

 そういえば今日は。


「―――メリー・クリスマス」


 忘れたつもりの言葉が口を突く。

 いつか、誰かに掛けた言葉。笑顔で見上げた雪。

 冗談のように飾り付けられた街が。もう遠い、あの遠い街の灯が。

 今も何処かに在るのなら―――


 吸い殻を投げ捨て、靴の裏で揉み消した。

「メリー・メリー・クリスマス」

 依頼人の声が、歩き出す足音に重なった。

 振り返らずに、軽く片手を上げた。


 背中合わせの祝福、か。


 俺達にしては上等だ。ふっと笑って、天を仰いだ。

 雪が……舞い降りてくる。

 落ちては儚く消えてゆく。

 戯れに、受け止めた。ひとつ、ふたつ。掌に滲む聖夜は脆すぎて。

 握り込んだ拳に、何故だろう。

 誰かの温もりを思い出していた。

「メリー・メリー・メリー・クリスマス」

 呟き、静かに眼を閉じた。

 はらりと冷たい粒が、睫を濡らした。











     了


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― 新着の感想 ―
[良い点] 直してやってくれよ~~~(´;ω;`) 猫又のような破壊と殺戮を愛する人間にまでそう思わせる…なんという筆力、恐れ入りました… m(。≧Д≦。)m 面白かったです。でも、悲しい… 自分…
[良い点] 雰囲気が好きです。 [一言] ずっと以前、最初に拝読した時はなんの感想も浮かびませんでした。でも心の片隅でずっと気になっていて、今日読んでみると、孤独な雰囲気が心地よく感じました。 誰にも…
[良い点] こういう燻っていてどこか暖かく居心地のいい雰囲気のお話好きです 私自身物を粗末にしてしまう人間なので、簡単に修理できてしまう人を尊敬しています [一言] 初めまして、通りすがりのシスコン兼…
2014/03/05 20:56 退会済み
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