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日曜騎士

作中の一部用語について

・幣:作中世界における通貨。一幣=千円。

・陽日、結日:どちらも曜日の呼称。

・名前について:登場人物の名前は全て「名前・苗字」の順に表記。

 一例として、主人公は紫苑=名前、堂=苗字。

 弾丸のような雨粒が、バチバチと容赦なく競技用甲冑ゲーミング・アーマーに打ち付ける。集音機マイクが律儀にその音を拾い上げる所為で、密閉された甲冑内は酔っ払いの口論よりも騒がしい。だが同時に、甲冑のおかげで外の湿気から隔離されているのは、せめてもの救いと言えるだろう。


 人工降雨によって視界は不良。時折、突き刺すような震える雷光によって遠く離れた鉄の梁に立つ相手の姿と、錆によって赤茶けた天井や壁が映し出されるが、それ以外は見事に雨・雨・雨だ。


『さぁー、絶対王者“日曜騎士”紫苑しおんはどう動く!?破竹の勢いで王者への階段を駆け上る“暴風剣戟”館徒かんとは、果たして王座を奪えるのか!?睨み合いが続きます!』


 耳元の伝声口スピーカーからは囃し立てるような雑音混じりの実況の声。絶対王者とは、これまた買い被られたものだ。別に王座に未練などないが、手を抜いて負けるつもりがないだけだ。正直、戦いを続ける明確な理由さえないのだが……それをわざわざ口にする理由もまた、ない。


『おぉーっとぉ、ここで館徒が先に動く!』


 電子眼鏡カメラが動きを捉える。液晶モニターには四角い赤色の囲いが拡大し、敵の接近を示す。実況が叫んだ通り、挑戦者が仕掛けてきたようだ。


 挑戦者は全身を覆う絶縁外套インシュレーターによって雷の直撃から身を護りつつ、左右に体を振って飛行。さらに、俺目掛けて機械連弩アーバレストから杭矢ボルトを発射してきた。鋭利な金属が雨粒を切り裂きながら迫る。


 俺もまた、奴に倣って足場を蹴った。鉄の矢の真上へと跳びあがって回避した直後から、高度計の数字が見る見るうちに減少し、落下を知らせる。


 このまま落っこちてマヌケに負けるのは御免だ。俺は腰に備えられた背面飛行装置バックジェット起動押印スタートスイッチを叩いた。一瞬後、突き飛ばすような圧力が背中から全身へ伝わる。まるで見えない巨人の手によって押されるように、全身が斜め上を目指して加速を始めた。雨が一層激しさを増して、甲冑の表面で弾ける。


 今日の挑戦者は中々の腕前を持っていた。


 判断力はまずまず。攻撃も的確。甲冑や武器の性能に依存するわけではなく、機能を理解して使いこなしているようでもある。この先驕ることなく鍛錬を積めば、騎士団に名を連ねることも夢ではない。


 だが……今はまだ、勝つことに躍起になって功を奏す未熟な新人に過ぎない。


『館徒、更なる連続発射だぁっ!ここで一気に片を付けたい!』


 二本、三本……ゆらりと靡く絶縁外套に掠ることもなく、後方の外壁へと抜けて行く。闘技穹窿バトルドームだから関係ないが、剥きだしの観客席がある闘技場だったら、観戦客は目の前の防護板に杭矢が突き刺さる戦慄を味わったことだろう。もっともそれを楽しみにやってくる酔狂な客もいるのだが。


(無闇に撃っても当たるもんじゃない。まぐれがそう簡単に起きるようなら、今頃町中みんな賭博師になってるだろうな)


 ぼんやりと余計なことを考えている間も加速し、挑戦者との距離は詰まってゆく。


 さすがに血気盛んな若者であっても、接近には警戒しているようだ。挑戦者は距離を置こうとしていた。一旦体勢を立て直し、自分の有利な状況に持ち込もうという魂胆だろう。


 逃げるということは、不利だということ。計算して相手を引き込むために背中を見せるのとはわけが違う。


 挑戦者は逃走のため上半身を後ろへ捻る。加速しようと腰の押印に手を伸ばす――この時だ。


 俺は左太腿の把持鞄ホルダーから機械連弩を引き抜く。折りたたまれた弓は即座に本来の形状へ変形し弦を張った。流れるような動作で狙いをつけ、今にも押印に触れそうな左手目掛けて杭矢を放った。


 杭矢は予定通りの軌道を一直線に突き進み、間もなく左手を弾き飛ばした。


『おおっと!?紫苑が撃ったぁ!!館徒、不意打ちに驚いたのか、体勢が維持できないぃっ!』


 好機を掴んだ俺は、すかさず右太腿の把持鞄から避雷針を引き抜く。細い筒状のそれを強く握ると、右手の膂力を最大限振り絞り――挑戦者の胸目掛けて投げた。


 杭矢の命中と逃走失敗という予想外に混乱した挑戦者は、避雷針の動きに対応できない。避雷針は難なく接触し、吸盤が甲冑に噛み付く。すると装置が反応して針を長く伸ばした。


『館徒、これはまずい!逃げ切りたい!逃げ切りたいが――あぁーっとぉ、さらに紫苑、容赦なく杭矢を撃ちこんだぁ!!』


 避雷針へと伸ばした腕を狙うのは容易だった。無駄な足掻きだ。一度吸着した避雷針は、易々と外すことはできない。それは俺であっても同じことだ。


 反射的な行動というのは理性を押しのけて台頭してしまう。訓練された人間ならばなんとかなったのかもしれないが……経験不足が仇となった。奴がすべきだったのは、絶縁外套で身を守ることだったのだ。


 雷が無慈悲に叫ぶ。そして勝利の光が迷うことなく避雷針へと延び、穹窿を満たし、晦ませる――。


 閃光、衝撃――落下。挑戦者はあえなく機能停止に陥り、そのまま水溜りへと墜落した。


電極刑エレクトロキュート達成ーーーーっ!!強い!王者はやはり強かった!!誰かこの男を止めることが出来るのか!?今日もまた”日曜騎士”が勝利ぃーーーーっ!!』


 雷鳴や雨音よりも遥かに騒々しい声に、俺は思わず片目を瞑り苦笑した。





「――ひぃ、ふぅ、みぃの……はい、それじゃ今日の賞金。きっちり八〇幣ね」


「どーも」


 馴染の受付から薄い封筒に包まれた賞金を受け取り、鞄に仕舞う。賞金に限りピン札なのはこだわりなのか、それとも競技会全体の決まりごとなのかはわからないが、特別さを感じて気分がいいのは確かだ。


「来週は来れんの?」


「今のところ本業の予定はないから、多分――」


「済まんが、来週は俺に付き合ってもらえないか?」


 言葉を遮った野太い声。聞き覚えがあった。振り返ると、そこにはやはり彼が居た。


皆時かいじさん……わざわざ、どうしたんですか?」


 俺が尋ねると、彼は口の端を吊りあげて手を挙げた。厳つい顔に似合わない、相変わらずの屈託ない笑顔だった。


「いよぅ、久しぶりだな。半年ぶりか?」


「ああ、それくらい経ちますね。ご無沙汰してます」


「ま、ここで話すのもなんだ。お前ん家まで行ってもいいか?」


「もう今日は予定ないんで大丈夫ですよ。行きましょう」


 俺は顎で廊下を指すと、揃って歩き始めた。歩く度に、かちゃかちゃと二人分の甲冑の金具がぶつかり合う音が響く。


 皆時さんが私服ではなく騎士団の甲冑を着ているのは珍しかった。つまり今日は私事ではなく仕事で来たということなのだろう。


 しばし無言で狭く薄暗い灰色の廊下を歩く。道中、俺に賭けていた観客からは感謝と称賛を、挑戦者に賭けていた観客からは罵声や恨み言を投げかけられる。いつものことだ。愛想笑いを浮かべながら手を振って返す。こういうのは、どちらも迂闊に関わらないのが吉だ。


「人気者だなぁ」


「金づるですからね」


 しかし今日に限っては、思いがけないことが起こった。


「紫苑・どう!!」


 今度は、まるで聞き覚えのない声と見覚えのない顔をした青年が、廊下に立ちはだかった。だが彼もまた、俺と同じく競技用甲冑を着込んでいたことと、何より全身ずぶ濡れだったことから、その正体に察しがついた。


「あー……ひょっとして、さっきの挑戦者の、えっと」


「館徒だ!」


 彼の叫びを聞きつけたのだろう、周囲では観客たちが騒動を遠巻きに眺めていた。


「ああ、そうそう、そうだった」


 どうにも客以外の名前は覚えられない。競技の相手だと、二、三度は戦う機会でもない限りは、右から左に抜けて行ってしまう。近所の人の顔と名前が一致するまで何か月もかかったため、引っ越したばかりの頃は苦労したものだ。


 その館徒は、どうやら大層ご立腹の様子だった。極稀に負けたことを不服として場外乱闘を挑んでくるような輩も居るのだが、そういう面倒事は御免こうむりたい。もし彼がそうならば、とっとと逃げてしまおうか。いや、その前に皆時さんが取り押さえてしまうかもしれない。いずれにせよ厄介な状況になることは請け合いだ。


「あー、何の用かな。長くならない話だったら聞くけど」


 相手の出方に気を使いつつも、こちらから尋ねてみることにした。すると彼は、おもむろに手を挙げると……そのまま俺を指差した。


「今日は……今日はたまたま負けただけだ!次やるときは、覚悟しておけよ!!」


 そう言うと彼は、怒りに顔を染めたまま俺を睨んだ。うっすらとその目は潤んでいるようだった。そうとう腕に自信があったのだろう。なんだか悪いことをしたような気分だ。


 だが、どうやらケンカしに来たわけではなく、ただ宣戦布告に来ただけのようだ。俺は先輩と顔を見合わせて安堵した。やる気のある若者というだけだったようだ。


 しかしそんな彼の言葉に――胸中で過去の景色が甦っていた。


 もう手の届かない、昔。


「次があるっていうのは、幸せなこと、だよな……」


 不意に考えが口から零れ落ちていた。


「あ?」


「…………」


 館徒には聞こえていなかったようだが、皆時さんは聞き逃さなかったようだ。内心、俺はしまったと思った。


「いや、なんでもない。君なら強くなれるだろうな、うん。次の挑戦を待ってるよ。もっとも、俺がそれまでに負けなければの話だけど」


 俺は顎の無精髭を撫でながら答えた。


「いいか!絶対だ!絶対に勝ってやるからな!」


 言い捨てると彼は踵を返して走り出し、競技場を飛び出して行った。試合も終わったばかりだというのに、元気なことだ。あれが若さか。


 野次馬たちは戦いが始まらないとわかると、口々に「なんだつまらん」などと勝手なことを口走ると、また壁際や購入口へと帰って行った。


 残された俺と皆時さんは、気骨溢れる青年の勢いに複雑な笑みを浮かべながら、


「……それじゃ、行きましょうか」


「おう」


 駐車場へ続く廊下を再び歩き出した。





 港へと向かう道路は、さすがに陽日ようのひだと空いている。すれ違う車もまばらだ。


 といっても、今日は一日曇り空で、遠くに望む雲海原くもうなばらも沈んだ色をしている。日光浴をするための休日だから陽日という名前が付いたそうだが、残念ながらお日様にありつくのは無理そうだ。


「もうどれくらいだ?」


「え?」


 主語のない質問に、反射的に聞き返してしまう。が、すぐに思い当たり、


「辞めてから、もう六年くらいですかね」


 と、答えたが、どうやら違うようだった。


「ああ、いや、スマン。騎士団じゃなくて、“日曜騎士”としてあの闘技場の頂点に立ってから、どれくらいかと聞きたかったんだ」


「ああ……確かこっち来て二年くらいしてから参加しだして、それから……もう大体三年、ですね」


 案外、すんなりと思い出せないものだ。どうやら俺は昔から、記念日とかそういうのに疎いようだ。人の誕生日なんかを聞いても、すぐに忘れてしまう。最近は自分の誕生日さえ、すっと答えられるか怪しい。


「凄いな。そんなにも長く頂点に立ち続けるなんて、容易なことじゃないだろう」


「ほら、指導者が良かったから」


「お?嬉しいこと言ってくれるじゃないか」


 今でこそ、こうして肩を並べて話しているが……新人時代の記憶を辿ると、いつだって皆時さんの鬼の形相が甦る。えらい剣幕で怒鳴りつけられた苦労の日々は、とてもじゃないが忘却の沼に沈んでくれそうもない。


「今は訓練教官一本でやってるんですか?」


「いや、まだ任務も続けてるよ。こう見えても優秀なんだ」


 皆時さんは鎧の上から真ん丸としたお腹をポンと叩いた。鎧を着ているとまるで中年太りのおじさんにしか見えないが、構成要素はぜい肉ではなく筋肉なのだから恐ろしい。この人が引退して寝たきりにでもならない限り、俺が力で勝ることなどないだろう。


「お前もわかってるとは思うが……今日は、その任務の方で来た」


 不意のその一言は、いつもの調子でありながらも真剣さが垣間見えた。


「じゃなきゃ、わざわざ鎧なんて着てこないですもんね」


「あったりまえだろう。ただ遊びに行くのに騎士団の備品なんて持ち出したら大目玉だ」


「確か皆時さん、昔一回やらかしたことあったんでしたっけ?」


 尋ねてから、俺は今日二度目の「しまった」と思った。


「そうそう。新人の頃、ありゃあ忘れもしない入団した年の静雨せいうの月だった。今でこそ護衛官統括なんぞやってるが、まだヒラだった規理きりの奴と一緒に…………」


 ……車が家に到着し言葉を制止するまでの間、皆時さんの話が終わることはなかった。





「どうぞ」


「おお」


 長話と競技用甲冑から解放された俺は皆時さんにお茶を出し、向かいの席に腰を下ろした。なんだか、ようやく一息ついた気分だ。


「……まだ飾っているんだな、その剣」


 西の壁に掛けられた剣に視線を向けると、皆時さんは静かに言った。


 傷が目立つ鞘と、豪華だが品のいい装飾を施された剣。忘れることのできない過去の象徴。


「いつまでも飾り続けますよ。船旅の時は必ず持ち歩いてますから」


 俺の言葉に対して何か返そうとしたようだったが、皆時さんは一旦開いた口をそのまま閉じると、お茶を飲んで仕切り直した。それから、


「いきなりだが、本題だ。今日お前に会いに来たのはな、お前に“海蜻蛉うみとんぼ”として依頼したいことがあるからだ」


 言う通り、突然話題を切り出した。海蜻蛉として……という内容そのものに意外性はないが、しかし、気になる点はあった。


「どうして俺に?腕のいい船乗りくらい、王宮にだって居るでしょう」


 お茶をすすりながら、率直に尋ねた。だがすぐに、いささか困った様子で、


「そりゃそうなんだが……今回ばかりは、ちょっと勝手が違ってな。普通の船乗りじゃダメなんだ」


「……まさか、上層雲海に行くつもりですか」


 近隣の下層雲海の航海であれば、普通の船乗りであっても不都合はないはずだ。ここ最近は海賊や海獣が活発だという話も聞かない。それを、わざわざ俺のような海蜻蛉に依頼するということは、危険な海域か、あるいは――危険という言葉では生ぬるい、上層雲海に行くということしか考えられない。


 だが皆時さんの口から飛び出した言葉は、俺の予想をさらに上回っていた。


「――“竜”による招集があったのだ」


「…………マジですか」


 心的容量を超えた回答に対して、なんとかそう答えるのが精一杯だった。


 ……竜という存在に人間が出会ったのは、この国が出来るよりも遥かに昔。まだ先祖が雲海の底よりも遠い土と緑の広がる地上に暮らしていた頃まで遡るという。


 滅多に姿を現さないその存在を、昔の人々は恐れ敬った。歴史やお伽噺を紐解けば、滅ぼされた都市や文明も少なくない。当時はまだ得体の知れない脅威の怪物だったのだ。


 本格的な交流が行われるようになったのは五〇〇年ほど前だと言われている。この国が王制の国家“聖空陸土セイクリッド”として成立して間もなくの頃、一条の竜が現れた。竜は賢く偉大な生物で、何よりも魔術という不思議な力を生まれながらにして扱うことができる。竜との謁見より後、下層雲海に点在する国々は王よりも上の存在として竜を讃え、今に至るまで交流は続いている……というのが、学校や騎士団で習った竜と人との交流の歴史だ。


 習いはしたが……無論、そう易々とお目にかかる相手ではない。例え王であっても、自ら出向いてお会いするほどだ。


 だから、どうして俺なんかが、その竜にお会いする際の足に選ばれたのかがわからない。いや、そもそもなぜ竜が招集をかけるのか、その理由すら想像がつかない。


「俺だって最初は信じられなかったさ。だがな、国王直々のご命令とあらば、断ることもできん。竜の国である「尺木根」へ行け……そう言われたのだ」


「一体何があったんですか?記念日でもないのに竜に会いに行くなんて、一大事ですよ」


 しかし皆時さんは頭をポリポリと掻くと、煮え切らない様子で、


「それがな……上もよくわかっとらんようなのだ。「竜による招集があった」「何か不可解な事件があったという」「腕の立つやつを二、三人連れて行け」……もっと小難しい言い回しをしていたが、要約すればそんなところだ。行って話を聞かんことには、皆目わからん」


「その腕の立つやつって、誰連れてくつもりなんですか?」


「まずは俺。あとはな、お前が辞めた後に入ったので凄腕の狙撃手が居て、そいつ。そして……」


 皆時さんは言葉を切ると、人差し指を伸ばして俺に向けた。


「お前だ」


「…………」


 参ったな……と、俺は心の中で溜息をついた。もしかしたら、実際に溜息が漏れていたかもしれない。


「……皆時さん。俺はもう騎士じゃないんですよ。部外者だ。俺を連れて行くくらいだったら、もっと他に使える部下が居るでしょう」


 いまさら騎士の真似事をするつもりはない。そのことは皆時さんが、誰よりも深く理解してくれていると思っていた。


 しかし皆時さんは首を横に振った。


「何もお前を騎士として連れてこうって話じゃあない。お前を指名したのはな、ちゃんと理由あってのことだ」


 そういうと指を一本立てた。


「一つ目は、お前が海蜻蛉だからだ。その海蜻蛉の中でも優秀で、もう何度も上層雲海に行って帰ってを繰り返している実績を買ってのことだ。二つ目は、お前が未だに腕が立つからだ。いざと言う時は俺が守らんでも一人でなんとか出来るし、護衛を付ける手間も省ける。場末とはいえ、闘技場の頂点に立ち続けるお前なら実力は申し分ない。三つ目は、口が堅いということだ。なんせ相手は竜だ。軽々しく秘密を漏らすような奴は身内であっても連れてゆけん。そして、四つ目」


 四本目の指を立てると、不意に皆時さんは、にやりと嫌味な笑みを浮かべて黙ってしまった。


「……四つ目は?」


「王直属の専任艦長と特注飛行船と違って、部外者のお前とその飛行船なら、万一失っても王国にとっては痛手ではない。うまく行けば褒賞をくれてやればいいだけだし、失敗したら責任をうやむやに出来る」


「なるほど、それは立派な理由だ」


 俺は肩をすくめた。皆時さんはがりがりと頭を掻いた。


「上もな、本当ならば最高の人員と装備を派遣すべきだと考えてはいるようなんだが、いかんせん竜の目的がわからん。であれば、実力はあるが失っても惜しくはない人選をしたいというのが本音だ。既に前線から一歩引いている俺、王国軍内でいささか浮いている狙撃手、そして海蜻蛉のお前。条件に見合う人選だと思わないか?」


 自嘲気味な笑いには、少なからぬ憤りと……何より、子供じみた野心が潜んでいるようだった。


「俺だってみすみす死ぬつもりはない。どんな無理難題であっても、やれる限りはやってやるつもりだ。あとは一番信頼できるお前が手伝ってくれさえすれば、万事うまく行く算段だ。で、やってくれるのか?」


 相変わらず強引な人だ。悩む暇さえくれない。


 しかし俺も悩むことはなかった。仮に死ぬことになったとしても……その時は、その時だ。


「いいですよ。引き受けます。どうせ断られた時のことなんか考えてないんでしょ?」


「まあな」


 いかつい顔をしわくちゃにして皆時さんは笑った。





「それじゃ六日後の結日むすぶひに」


「ええ。本当に送っていかなくて大丈夫ですか?」


 もうすっかり夜が更けていた。もっとも、今日は仕事での来訪であり酒を飲んでいないため、その点は心配しなくていいのだが。この人の場合、襲われる心配はしなくていいのだが、酔っぱらって道端で大いびきをかいて眠り迷惑をかけるのではないか、という懸念が先立つ。


「この先で迎えを待たせているんだ。じゃあな」


 皆時さんは手を振ると、大股で町の方へと歩いて行き、あっという間に姿を消した。家々の明かりと街灯だけが照らす夜道はどこか物悲しさが漂っていた。


 背中を見送った俺は家へと戻る。先ほどまで人がいた室内に残された空っぽの器を眺めていると、なんだかいつもよりもやけに静かなような錯覚を覚える。


 どうにも人と会うとダメだ。居なくなった後には、なんだか心に開いた穴の中を、ひゅうひゅうと風が吹き抜けてゆくような寂しさに襲われてしまう。


「……一人にはもう慣れたと思ったんだがなぁ」


 自分に言い聞かせるようにぼやきながら、食器を流しへと運んだ。薄暗い電球に照らされた白い皿まで、孤独を煽っているようだ。


 もう今日はさっさと寝てしまおう。皿を荒いながら、俺は小さく呟いた。





 ――目の覚めるような青空の中に、負けじと輝くような青い鳥が舞っていた。


 叫び声も、爆発音も、近いのに遠くから響いている。音が鼓膜を震わせているのに、せき止められたかのように、頭まで届かない。


 そこに刃はなかった。もはや剣とは名ばかりのそれの先端は、道路に突き刺さって立ち尽くしていた。


 血を流して倒れている。その人のことを知っている。他の誰よりも、俺が一番深く知っている。


 倒れているその人。大事な人。守るべき人。だけど名前を思い出したくない。その人だと、わかってしまってはいけない。


「――――――」


 だけど俺は名前を呼んでしまった。呼ばずにはいられなかった。その名前を口にすれば、永久に失われてしまうのに――。


「――――――」


 体が鉛になったのか?それとも、いつの間にか泥沼に沈んでしまったのか?這いずって近寄ろうとしても――鈍く、遠い。


「――――――」


 俺は、彼女に手を伸ばした――




「………………」


 ジリジリと小刻みにけたたましい音が響いている。間違いなく、毎日のように聞いている音だ。


記憶と知識が結びつくまでたっぷり一分はかかってから、俺はようやく伸ばした右手をおろし、目覚まし時計を止めた。


 暦表カレンダーに目をやると、今日は間違いなく約束の結日。遅刻するわけにはいかない。


 目尻を伝う涙を布団で拭い、俺は寝台ベッドから足をおろして立ち上がった。


「…………おはようございます」


 そして、壁に飾った剣に頭を下げると、伸びた髪の毛を紐でくくってから、顔を洗いに洗面所へと向かった。



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