1-6
ユーリウスには優秀な味方が必要だった。
ユーリウスの目となり耳となり、陰となってくれる存在が。
そのようなことを最近出会った男に相談すると、彼はにやりと笑ってユーリウスに囁いた。
きっと黒いものがこの王宮のどこかにいますから、拾ってはどうですか、と。
そしてユーリウスは無事黒いものを拾うことができた。
私室の豪奢なベットの下で飼うことにした。
思ったより随分と大きな拾い物だったが、後悔はしていなかった。
「トリテリウス王が崩御なされました」
リティニウスは淡々と告げた。穏やかな最期であったらしい。
結局一度も父親の顔を見ることがなかったな、とユーリウスは思った。
「近日中にトリテリウス王の葬儀が行われます。ユーリウス殿下には挨拶と王即位の宣言をなさっていただきます。ユーリウス殿下の戴冠式と新王誕生の記念式典は、トリテリウス王の喪が空けた三ヵ月後を予定しており…」
ユーリウスが王太子となって約1年、何やら秘書の真似事もするようになったリティニウスは今後の予定を厳かに述べた後、殿下は何も心配する必要はありませんと続けた。
ユーリウスは笑って頷いた。
「どう思う、僕が王様だってさ。笑っちゃうよね」
ユーリウスは私室で飼っている黒いものに向かって話しかけた。
黒いものは手足を縛られ、猿轡をし、床に転がされるままになっていた。
「ああ、ごめん。それじゃあ、しゃべれないよね。今はずすよ」
ユーリウスは猿轡だけはずしてやった。
黒いものはじっとその黒い瞳をユーリウスに向けていた。
ユーリウスはなんとなく懐かしさを覚えながら、その瞳を見つめ返した。
「どう思うの」
ユーリウスは繰り返し問うた。
「…いつ気づいた」
存外に若々しい声だったのでユーリウスは目を瞬いた。
「教えてくれた人がいるんだ。でも、こんなに大物だとは知らなかったよ」
きっとトリテリウス王の病気とやらもこの黒いものの仕業なのだろう。
せっかく内乱で跡継ぎが消えうせたのに、あの王が復活したら意味がない。
この黒いものに命令を下した帝国にとっては、だが。
「もうすぐ統治者が消えて、帝国がこの国をのっとるつもりだったのに、僕が出てきちゃったわけだ。この国は随分としぶといよね」
ユーリウスは割と本気でそう思っていた。黒いものは何も言わなかった。
「君は僕を殺すために来たのかな」
「……おかしなことを言う。こんな状態にされて、まさに手も足もでない」
ユーリウスは首をかしげた。
「君は好きでそうしているんだろう」
若干誤解をまねくユーリウスの物言いに、黒いものは思いっきり嫌な顔をした。
「ごめん、ごめん。言い方が悪かった。えーと、つまり、君の作戦なんだろうってことさ。暗殺者は屋根裏っていう僕の固定観念はまあ、おいておいて、それでもあの程度の眠り薬をまいたところで君には何の問題もないだろうに。わざと捕まって、大人しくしているんだろう。僕を殺すために」
ユーリウスはお試し程度の気持ちだった。
あの男が丁度よく眠り薬なんてものを用意してくれたから、運が良ければいいものが釣れるかもしれないと思っただけなのだ。
だから、とりあえず屋根裏に転がっていた黒いものを捕まえてみたものの、大物すぎてビビッているというのが本音である。
まさか帝国からわざわざいらしているとは、自分もたいしたものになったなあと、ユーリウスは暢気に黒いものを眺めた。
「……自分を殺すかも知れない相手を前に、随分と余裕だな」
黒いものは目を細めた。
「うーん。だって、まあ、きっと僕の側にいる騎士では君に勝てないだろうし、僕なんか論外だね。悲鳴をあげる前にしゅばっとやられそうだ」
「……」
黒いものはしばし沈黙した。
「しかし、丁度尋ねてみたかったんだ。僕が王様でいいのかな?」
黒いものはじっとユーリウスを見上げていた。ユーリウスが瞬きをしたその隙に、彼は縄から抜け出していた。
ユーリウスは苦笑した。
「殺すなら、なるべく痛くないのがいいな」
それはほとんど独り言だったが、黒いものにはしっかり聞こえたようだ。
「……帝国から我々に下った命令はただ一つ。トリテリウス王が不自然ではない形で死ぬこと」
それ以外は我々の仕事外の出来事だ。
黒いものはそう告げて、さっさとユーリウスに背をむけた。
「え、それって、君、実はああいう趣味……」
冗談だったのに、意外と本気の殺気を感じて、ユーリウスは口を閉じた。
いけない。この交渉に失敗してしまえば、ユーリウスはずっとこのままなのに。
「……僕は駄目な王様になりそうだ」
黒いものは目線だけで振り返った。
「だから僕は、僕の、僕だけの優秀な味方を探さなければならない」
ユーリウスは、今、それなりの覚悟をもって王位を継承するつもりであった。
王様らしくないといわれようとも、お飾り王様と呼ばれようとも。
かつて夢見た、あの理想郷を再び夢見るために。
「……そうすればいい。我々には何の関係もない」
「キルキラ、僕は君に僕の花を一緒に背負ってほしい」
黒いものはこちらを振り返り、腕を組み、偉そうにユーリウスを睥睨した。
「キルキラとは」
「僕が名づけた。王の私兵、独立機関”フローテ”の長の名前だ」
黒いものの視線はユーリウスの心の底を見透かそうとしていた。
ユーリウスは胸をはった。
「キルキラ、君に僕を殺す権利を与える。僕が王として失格だと思うなら背中から切り殺せ。でも、それまでは、君が僕の背中を守れ」
ユーリウスはじっと黒いものを見つめた。
もしかしたら、睨んでいたのかもしれない。
「……何故」
「僕には優秀な味方がいる。それは王である僕のために。だから、王でない僕を殺せる存在が欲しい」
黒いものは微かに息を吐いた。
「俺に、花はあんまり似合わない」
「その派手なマークより似合うと思うけど」
ユーリウスは帝国の国旗を刻んだ彼の黒服を指差し、唇を吊り上げて見せた。
「妙な名前だ」
「拾ったものにどんな名前をつけようと、所有者である僕の勝手だ」
黒いものは微かに笑ったようだった。まだ捨てられていないんだが、と呟いた。
「捨てられて来い、僕のために」
黒いものは返事もせずにユーリウスの前から姿を消した。
「僕が、王様だって、どう思う」
ユーリウスはどっと疲れたような声で囁いた。
「なるべく、早く」
ユーリウスには時間がない。
即位は目の前に迫っていた。