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「こちらに赤毛に緑色の瞳をした、ジャックという少年がいると伺いました」
ジャックの働く娼館の戸を叩いたのは、小太りでてかてかした頭の男だった。
それなりの身分だと初見で見抜いたのは、薄汚れた格好のわりには靴が上等だったからで、しかも、男は髪が肩の辺りを過ぎていた。
男で髪が長いのは、汗臭く働く必要のない貴族や男娼、またはそれに仕える上級召使いだけというのが、この頃の風習だった。
「ジャックは僕だけど」
ジャックは帳簿から目を離さず応えた。
「そのう、わたくしは、プシュア伯爵の使いでございまして、あのう、ジャック、あ、いえ、ジャック様にお尋ねしたいことが…」
ジャックは眉をしかめて男を見た。
男は引きつった笑顔を見せながら、脂汗を白いハンカチで何度もぬぐっていた。
ジャックは頬杖をついて、にやりと笑いかけた。
「プシュア伯爵様はこの店にお泊りではないよ。ご利用になったこともない」
男は怒りと羞恥で顔を赤くした。しかし、唇は笑みの形を保っていた。
たいした根性である。
「わたくしのご主人様は、ええ、高貴なお方でして。このような場所に来られるような方では決して…」
「なら何の用かな。僕はジャックだけど、あなたに様付けにされるような人物じゃない。赤毛で緑の目をしたジャックなら、このあたりには腐るほどいるから、人違いかもしれないよ」
むしろそうであってほしい。
貴族の使いなど厄介ごとしか運んでこない。
ジャックの願いもむなしく、男は何度も首を横に振った。
「いいえ、いいえ。この店のジャックに確認せよとご主人様は仰せです。ジャック、様。あなたは体のどこかに、花の形をしたあざをお持ちではありませんか」
ジャックは自分の体にあるあざが正当な王位継承者の証であるなど考えもしなかった。
そもそもこのあざは、ジャックの上半身の半分を覆い隠し、色も形も洗練されていたから、ジャックは生まれつきのあざというより刺青だと思っていたのである。
男娼には花の形をした刺青を彫るものが珍しくないから、ジャックの記憶にもない幼い頃、誰かが勝手に彫ったものだ思い込んでいた。
何しろジャックが幼い頃は、このあざはくしゃっとつぶれていて、何の形かも判別できなかった。それにも関わらず、体が大きく成長するにつれこのように美しい花を咲かせたのだから、名のある刺青師が体の成長を計算にいれて描いたものだと考えるのが普通である。
王を間近でみることもないような平民に、そこらに咲く野花と王家の花の区別がつくはずもない。
しかし、ジャックの右腰から左胸にかけて広がるこの花は「フローテ」という王家に伝わる伝説の、名のある花らしい。王の直系の子どもたちのなかでも、王位を継ぐに値する王子にしか咲かないというその花は、代々特殊な魔法具で本物かどうか見極めるのが慣例であるそうだ。
色街で勘定係をしていた頃のジャックは当然それらのことをまるで知らなかった。
だから、尋ねてきた男に、面倒だと思いながらも素直にそのあざをさらしたのである。
男は驚愕に目を見開きながら、後ろに控えていた男たちに何やら指示し、水晶玉のような魔法具から漏れ出でる光をそのあざにかざしたのである。
ぴりっとした痛みと不自然な熱を感じたジャックが、怪訝な顔であざを見、男に何をしたか尋ねようと顔をあげたところ、今度はジャックが驚いた。
男たちは気味の悪い笑顔でひざまずき、ジャックを見上げていた。
このあざのために、ジャックは「ユーリウス」になったのである。
まったくもって、想定外である。
「花もち」――つまりフローテのあざがある王子――の最後の生き残りとして、まさか王太子になるなど、誰が思いつくだろうか。
この国の国王は、代々花もちのなかで最も優秀な者が努め、花もちが生れなかった場合には王の直系の中から最も年長のものが選ばれるのが慣例である。
約5年ほど続いた「花もち内乱」とは、現国王の四人の花もちが、慣例どおり「王太子選定式」において自らの優秀さをアピールしようとした結果、まわりの王族貴族を巻き込んだ内乱に発展したというのがことの真相であった。
そのような話を、いまだ説教らしきものを続けるリティニウスから聞いたユーリウスは呆れ果てて、気の利いたコメント一つ返せなかった。
次期王となる王太子を決める式で、王太子候補がすべて死に絶えるか消息不明になるのだから、本末転倒もいいところである。
次期王太子と名高かった王の第一子の行方がつかめなくなって半年、あせった高官たちがあちこちを探し回った結果、見つけ出したのは第一子ではなく、現国王の秘密の日記であった。
その日記によってジャックの存在、つまり娼婦との間に生れた御落胤が明らかになったのである。
城に仕える男たちが四苦八苦して見つけ出したジャックは、意外も意外、しかもふってわいた希望であるとでも言わんばかりに「花もち」であったのである。
問答無用で王城に連行、いや、歓迎されたわけである。
とにもかくにも、そんな馬鹿げた経緯で棚ボタ王太子を努めることになったユーリウスは、ジャックの名を捨て、ユーリウス・ベルディナ・フロワ・J・バローナとして生きることになったのである。
当然平民の子であるユーリウスには複数の教育係がつけられ、王にふさわしい振る舞い・礼儀作法・教養を習うことになった。
目の前のリティニウスは帝王学やこの国の歴史、慣例など知識面を教えてくれている。
しかし、本の朗読が彼の専らの「指導」なので、ユーリウスは自分で読んだほうが早いんじゃないかとすら思っていた。
何しろユーリウスには時間がなかった。
現国王は内乱のときから病に臥せっていて、回復の兆しは一向に見えない。
このままでは無能な王様間違いなしである。
ただ、ユーリウスはリティニウスや他の教育係、世話をする侍従や侍女、そして挨拶に来る貴族たちから何も求められていないことも自覚していた。
彼らはただ署名をして、国璽を押す王がいればいいのである。
「…どうするかなあ」
小さな呟きは、リティニウスの説教に消されていた。




