1-6
「……貴族の権利がものを言うのは、自分の領地だけではないのかな」
立ち上がってベルを睨みつけていた男は、ユーリウスのその言葉に小さく悪態をついて、椅子に座った。
ユーリウスは静まりかえった広間を見渡し、静かに話し始めた。
「知っての通り、我が国の爵位は大公を始めとして公・侯・伯・子・男の六階級制だ。もっとも、私の治世で大公は存在し得ないから、実質五階級制ではあるけれどね。そして、貴族に課せられた仕事は、自らに与えられた土地を管理し、然るべき税を国に納め、有事の際は王の求めに応じることだ。本来ならば、官吏になる必要などない。しかし、君たちは官吏としてこの場にいる。それは君たち自身が、貴族であることより、官吏であることを選んだということだろう。だから、この城で官吏の地位と権利が優先されるのは当然のことだ」
淡々と語るユーリウスの顔に表情はなかった。
その冷淡さにリュゼは驚いた。
ユーリウスはリュゼにとって、いつだって“ジャック”のままだった。
ユーリウスが背負った覚悟や責任を理解しているつもりだったけれど、ユーリウスはリュゼに対して気さくな態度を貫いていたから、リュゼはつい忘れていたのである。
彼がこの国の「王」であることを。
確かにユーリウスは小さな頃から理路整然とした話し方を心得ていたし、口も上手い奴だった。けれど、こんな風に他人を威圧する話し方はしていなかったように思う。
ユーリウスが“ユーリウス”として振舞っているとき、彼は「王」でしかないのだと、リュゼは身を持って知ったのである。
臣下として側にいて欲しいという、ユーリウスの願いを受け入れたその瞬間から、リュゼは“ユーリウス”に仕えることになったのだ。
それは、つまり“ジャック”との決別に他ならなかった。
今、この場でそれを自覚させられるとは、なんとも情けない。
けれどリュゼだって、生半可な思いでこの場に立っているわけではないのだ。
もうずっと昔に、力にうぬぼれ、いきがっていた年少のリュゼを危機から救ってくれたのは、幼いユーリウスだった。
だからリュゼは思うのである。
力に溺れてユーリウスが己を見失うことがあれば、今度は自分がユーリウスを導いてやるのだと。
「しかし、しかし、ですぞ、陛下。陛下がお考えになった『戸部』という部署は、どうなのです? あれは各領地から持ち込まれる税を管理すると同時に、領地の行政にも口を出せる権限をもっております。それはつまり、国が我らの領土を侵すということに他なりません。我らはそれを甘んじて受け入れておりますのに、少しの優遇もないとは、いかがなものですかな」
「君たちは、何か勘違いをしているのかな」
心底不思議そうにユーリウスは首をかしげた。
こういう振る舞いを本気か嘘か悟らせないのは、ユーリウスのすごさだと思う。
基本的に臆病で卑屈なやつだけれど、ユーリウスは本気で嘘をつくことができるのだ。
「この国の全ては王である私のものだ。土地も民も君たち貴族に貸し与えているにすぎない。私が自分自身のものを把握できないのはおかしいだろう。だから、私の代わりに戸部に見てもらっているんだよ」
正論ではあった。
けれど、正論を振りかざしたところで、納得するやつらではない。
高位貴族たちの顔は厳しく歪んでいた。
ユーリウスはどうするつもりなのだろう。
計画通りに進めるためには、今まで彼らによって意図的に無視されてきた、貴族と貴族の権利その他に関わる法と規律の取り決めが必要なのに。
「それは確かに、そうであろうね。全く正論だ。国の全ては王のもの。だから土地も人も財も王のもの。王の私物を勝手に扱うな、そういうことだろう?」
デュルベ公爵の言葉であった。
穏やかな人格者だと高名な貴族で、ユーリウスの後見人だったということもあって、ユーリウスに表立って反対するようなことはない人物だと聞いていた。
しかし、彼の言葉には明らかな棘が感じられた。
ユーリウスの言葉を良く思っていないのは、明白だった。
大貴族がそういう態度をとれば、他の貴族たちもそれに倣う。
リュゼから見れば、ユーリウスは完全に孤立していた。
「陛下、端的に申し上げますが、我々の権利を剥奪しようという心積もりでもおありなのですか。先祖代々この国の王に膝をおり、この国のため、王のため、文字通り身を削って仕えてきた我々から何もかも奪うというのですね」
ユーリウスは困ったように微笑んで、頬杖をついた。
「私にそんなつもりはないよ。国に地方行政を担当する部署があるということが、どうして君たちの権利を侵すことになるんだい」
「お分かりにならないのですか? 我らは自らに与えられた領地でさえ好きにできないということではありませんか!」
ユーリウスは驚いたように目を見開いた。
ベルはにやにやと笑って、ことの成り行きを静観していた。
リュゼは呆れ果てて怒りも萎えた。
「……それはつまり、君は君の領地で国のためにならないことを、自覚してやっているということかな?」
叫んだ男はその言葉を聞いて、はっと息を飲み込んだ。
「君たちは国のため、王のため、君たちの領地を管理してくれていると、そう思っていたし、君たちもそう宣言したはずだけれど、国に見られて、何か困ることがあるのかい」
ユーリウスは悪戯っ子のように笑った。
その笑顔は、悪徳商人を騙して金貨二枚を巻き上げてみせたときと全く同種のものだった。
「い、いいえ、あの、そうではありません! つまり、つまりわたくしが言いたいことはですね……」
「我ら貴族は、この国の、王の奴隷だということですか? さすが高位貴族は言うことが違いますね。ご立派、ご立派」
ちっとも立派だと思っていない口調で、ベルが茶化した。男は顔を真っ赤にして口ごもった。
リュゼはその様子を見て、鼻を鳴らした。
「君たちは古から誓っているはずだよ。この国のため、代々の王のため、己の及ぶ限り全ての忠誠を尽くすことをね。国に仕える者に何を隠すことがあるんだい? 君たちはただ自慢げにしていればいいんだ」
ユーリウスは嫣然と微笑んでいた。




