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ユーリウス王の側近たちのなかで記録をつけるものは僅かしかいなかった。その上、仕事に関して詳細を記した日記をつけていたのは、尚書省長官リティニウス・ファッジ・ケルディナと王付き侍官筆頭のシャルナ・カバルディアぐらいである。シャルナ・カバルディアが王の私的な領域の世話も任されていた侍官であったからか、彼の日記からはユーリウス王の穏やかでありながら、どこかミステリアスな性格をうかがい知ることができた。リティニウス・ファッジ・ケルディナの日記はそれはそれは素晴らしく、といっても我々学者にとってはということだが、ユーリウス王の政治について彼の感想を交えながら書かれているものが多い。フロテティーナ王国の公的な記録が記されるまでのユーリウス王の政治を知りたければ、ケルディナ侯爵の日記が一番であろう。
彼の日記のなかで一番興味深いのは「大粛清」の項である。おそらく、フロテティーナ王国暦271年ごろの出来事と思われるのだが、彼の日記によると、ユーリウス王はその当時、法律を片端から文章化し、さまざな規律や基準を定めていたらしい。そんななか、爵位と貴族の権利についての話題になると、ユーリウス王はとんでもないことをしでかし、それをケルディナ侯爵は「大粛清」と名づけているのである。
「大粛清」というからには多くのものに何らかの処分が下ったと考えられるのだが、残念なことにケルディナ侯爵はこの件に関して詳細を語っていない。ただ彼はこの大粛清について『大胆かつあざやか』でありながら、『非道』や『人格を疑う』などという感想をこぼしていた。安定のユーリウスという言葉の通り、彼自身も彼の治世も穏やかな印象が強いぶん、この「大粛清」に大いに関心を抱いたのは言うまでもない。
(ペリエ大学政治学教授シニディア著『ユーリウス王の政治と現代政治の対比』「大粛清」より抜粋)
新しい官吏登用試験が導入され、一年と少しの月日が経過していた。
この一年の間、ユーリウスとベルはこの国の法律や規律を片端から文章化していった。
もともとこの国で暗黙の了解とされつつ、時にはごまかされ、無視されていたものたちである。
それらを確認、訂正しながら文章化する作業は、ユーリウスの想像よりはスムーズに進んでいるようだった。
ベル曰く、『馬鹿がいなくなったおかげですね。無駄話はしないから、話が進みます』とのことだった。
今城の内部にいるものは、難関を突破した真に優秀なものばかりだ。
そのおかげか、新しい政治組織もまともに機能しつつあるけれど、結局貴族や富豪たちが約八割、裕福な商人や学者が約二割と、ただの平民育ちは城に上がることさえできなかったようだ。
それでも構わないとユーリウスは思っている。
今城にいる人間は、たとえ腹に一物かかえていても、ユーリウスを良く思っていなくても、この国をまともに動かすことができるものだけだ。
「陛下、やっぱり人事は一年に一度でいいんじゃないですか。一年に二度だと忙しいし、たった半年じゃ適・不適は見分けられませんよ」
執務室へ続く回廊に向かうユーリウスの隣を歩くのは、ついこの前の人事で中書省副官にまで上り詰めたベルだった。
「城の中もだいぶ落ち着いたようだし、それでもいいかも知れないね」
ユーリウスはぐるりと視線をさまよわせた。
あちこちで様々な人が急がしそうに動き回っている。
城にも随分活気がでてきたし、働く人間の動きにも統制が取れているように思う。
「城と王都、それから王直轄地、王国領については細かいところまで決めることが出来てますよ」
「税率、納税方法、地方行政、区画……たくさん決めたけれど、もともとあったものを文章化しただけだから、そんなに時間はかからなかったみたいだ。そろそろ、例のアレも進めようか」
ベルは頷き、にやりと笑った。
「本番はこれからってことですね。ケルディナ侯爵の歪んだ顔が見れると思うと、ぞくぞくしますよ」
「君は……本当に性格がよくないね」
ユーリウスは肩をすくめた。
「それで、陛下」
「何かな」
「さっきから気になって仕方がないんですけれど……」
ベルは後ろを親指で指差した。品がない行為であった。
ユーリウスはその指の先を見た。
「ずっと後ろを付きまとっている、あの劇役者みたいに派手な男は誰ですか」
ユーリウスは二度、瞬いた。
派手な男、つまりジルベウスは少し伸びた髪をふわりとなびかせ、微笑んだ。
ベルはうっと息をつまらせた。
ジルベウスの容姿は派手だが、国一の美しさを誇ることは違いなかった。
「元ロンダート伯爵家ご嫡男だよ。君は知らなかったかな」
「トゥルティン子爵殿、わたくしはジルベウス、ただのジルベウスでございます。近衛騎士団に属する身でございますが、この度の人事で、王付き近衛騎士筆頭となりましたので、こうして陛下のお側に控えております」
ジルベウスは美しく一礼した。
ベルはげんなりした顔でぽつりと呟いた。
「……芝居がかったと言うか、何と言うか……面倒くさそうな男ですね」
ユーリウスは苦笑した。
「ジルベウス、まだ言っていなかったけれど、昇進おめでとう」
ジルベウスは胸をおさえ、頬を染めた。
「ああ、陛下、何とありがたいお言葉をかけてくださるのでしょう。暑苦しい男どもの汗にまみれ、昇格試験を突破したかいがありました。今、陛下の御前に控えることができて、このジルベウス、天にも昇る心持でございます」
「……うざ」
ユーリウスは小さく呟いたベルの背を強めに叩いておいた。
ベルは咳き込んだ。
そう、今はまだ、城の全てを握れていなくても、構わない。
少しだけでも自分の味方がいてくれるから、ユーリウスは前に進むことができるのだ。
「行こう、ベル、ジルベウス……やることはたくさんあるよ」
「はい、陛下。このジルベウス、どこまでもお供いたします」
「え、陛下、こいつも連れて行くんですか」
自分の周りも、随分とにぎやかになった。
ユーリウスは小さく声を出して笑っていた。




