『フロテティーナ王国三賢王の治』序文「ユーリウス賛歌」
フロテティーナ王国最大の危機は、やはりトリテリウス王時代の「花もち内乱」に違いない。フロテティーナ王国暦258年から262年の約5年間にわたるこの内乱は、すっかり力を失っていたフロテティーナ王国をますます衰退へと方向付けたに違いない。しかし、この内乱のおかげで始まりの三賢王、ユーリウスが即位できたというのだから、フロテティーナ王国の民たちにしてみれば、内乱様々であったのであろう。
「花もち内乱」で、トリテリウスの四人の花もちの王子と、その他の直系、それらに関わる王族親族のほとんどが死亡、あるいは行方不明になったのは、国王の権力衰退と貴族政治の腐敗の最高潮にあったトリテリウス王の時代を完全にリセットするためのものであったのではないかと思われるほどだ。
歴史に「もしも」は存在しないと良く言われるが、しかし、言わずにはいられない。
もし、花もちが一人でも残っていたなら。
もし、王の直系が生きていたなら。
もし、あの日記が王の私室から見つからなければ。
かのユーリウスが王となることなく、その才は、あの美しく儚い醜悪な色町の奥深くに埋められていたに違いないのだ。
この奇跡を称えずにいられようか。フロテティーナの民よ、我らの王の名を称えよ。
ユーリウス、ユーリウス、ユーリウス・ベルディナ・フロワ・J・バローナ
我らの王、ユーリウスよ
始まりの三賢王、ユーリウスよ
その慧眼に我を写し給え
我らは王の御心のもとに
おお、我らがユーリウス
フロテティーナの栄光と安寧を
おお、フローテの花の王
我らの心に咲き栄え