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テデリウスにはユーリウスに是非とも聞かなければならないことがある。
ユーリウスが動き出した。その理由と目的を聞かなければならない。
意を決したテデリウスは、彼の執務室を訪ねることにしたのである。
幾度か訪れたことのあるそこでは、ユーリウスがにっこりと微笑んで待ち構えていた。
「きっと来ると思っていたよ、デュルベ公爵」
テデリウスはぐっと息を飲み込んだ。
ユーリウスは椅子に腰掛け、鷹揚な態度でテデリウスを迎えた。
ユーリウスのすぐ側にリティニウスが直立していた。
テデリウスはリティニウスに視線を投げた。
リティニウスはテデリウスと目を合わさなかった。
テデリウスは機能美にあふれた執務室をぐるりと見渡した。
「……トゥルティン子爵の姿が見えないようだが」
「ベルは私の執務室に入ることはできないよ」
今は、まだ。
ユーリウスはぽつりと呟いた。
確かに子爵の身分で堂々と王の執務室に入ることはできないだろう。
テデリウスは何を言うべきか迷って、結局困ったように微笑んだ。
「本当に君は……いつも私に内緒で何かをやらかす。今度は一体何をするつもりなんだい」
あんまり私を驚かさないでくれ。
ユーリウスは微かに眉を下げた。
「……これからやることはベルが一緒に考えてくれたことだから、私の口からでは説明しきれない」
でも、とユーリウスは続けた。
「私がやりたいことはいつだって同じだよ。優秀な誰かを側に置く、しかも、できるだけたくさん」
テデリウスはユーリウスにいつも同じことを問うが、彼もまたいつも同じ答えを返す。
しかしテデリウスはその答えに納得したことはない。
「……ユーリウス、確かに君に国の政は無理だろう。だからその気持ちも分かる。だが君は、君はどうして、そこまで王であろうと……この国のための王であろうとしているんだい」
ただの平民だった君にとって、この国の王はそんなに執着すべきものなのかい。
テデリウスの視線は真っ直ぐだった。
ごまかしや嘘を許さない強さがあった。
ユーリウスは椅子に背を預け、大きく息を吐いた。
「……ずっと夢見ていた世界があるんだ。小さな頃、何度も何度も繰り返して見た夢の国」
息に混ざってしまうような、小さな小さな声だった。
テデリウスは視線を逸らさなかった。
「夢は夢で、決して現実になりはしないと知っていたよ。自分に夢の国を実現する力も何もないことも知っていた」
ユーリウスはこの国での生活に順応していたけれど、決して満足していたわけではなかった。
自分の生を真正面から受け止めていたわけではないのだ。
何しろこの国には嫌なことや辛いこと、生理的に受け付けないことがあまりにも多かったから。
ユーリウスがこの国で満足に生きられないのは、自分に根付く夢の国の記憶のせいだと、曖昧で美しい自分の記憶を憎んだこともある。
けれど辛いことがあるたび、その夢の国を思い出して心をなだめたのも事実だった。
そうすれば、この国の生から一時でも逃げることができた。
自分の魂はあの夢の国にあったと、この国の腐った連中どもとは違うと、そう思い込むことで優越感や自尊心を満たしていたのだ。
そんなふうに根暗で狭小な、ただのくそがきだったのだ。
けれど王太子となり、王となり、少なくとも自分に出来ることがあると知った。
夢の国に近づくために、出来ることをしたいと思った。
夢の国を理解し、実現してくれる誰かがいてくれるのなら、その人を見つけ出すのがユーリウスの役目だとさえ思ったのである。
「でも所詮、私も王都生れの王都育ちだったんだ。この国の真実なんて、私の想像より百歩は後ろにあったよ」
ユーリウスの夢を叶えることが出来るような人間なんて、始めからこの国にいないのだ。
それほどユーリウスの夢見る国は素晴らしくて、ユーリウスたちの百万歩は先を進んでいる。
まさに夢の国、追いつけるわけもないただの幻想の国だ。
「それにね、私は怖くもなったよ」
王であるユーリウスの決断がこの国の明日を作る。
誰でもない自分自身が作り出す国の姿が、今と変わらなかったら、今よりひどくなったらと考えると、怖くて仕方がない。
自分の一言が、自分の思い付きが、多くの人間を殺し、苦しめる。
それはユーリウスにはとても耐え切れない重荷だった。
だって自分はただ夢見るだけの、何の変哲もない野郎なのだから。
「……だけど、でも、それでも、」
そうだとしても。
「私は、私はね、あの夢の国を見てみたい。あの国に生きてみたかったんだ」
ユーリウスの心の支えは、結局それだけなのだ。
ユーリウスはあんな夢の国で暮らしてみたかった。
自分の魂が当たり前のように受け止めるられる生を、生きていきたい。
ユーリウスはいつの間にかうつむけていた顔を上げた。
テデリウスはいつになく険しい顔でユーリウスを見ていた。
リティニウスはじっと瞳を閉じ、息さえもしていないように見えた。
「他力本願だと、情けないと罵ってくれてもいい。無様だと嘲笑されてもいい。お飾りの王だと馬鹿にされたって構わない」
だけど。
「私は王でありたい。政が出来なくたって、私の生きたい国を作るためなら、王座にしがみつくくらいのことは出来るんだ」
だから、私の重荷を一緒に背負ってほしい。
ユーリウスはひどい声でそう続けた。
ユーリウスは顔を真っ赤にして、テデリウスを睨むように見つめていた。
テデリウスはユーリウスがなぜ王家の花を持っているのか理解できたような気がする。
彼は、彼は。
「……夢の国をつくることが出来る人、ですか」
リティニウスがぽつりと囁いた。
リティニウスの冷めた瞳は、確かな熱を持ってユーリウスを見ていた。
「それは、わたくしではないと、トゥルティン子爵ではないというのですね」
ユーリウスは涙で汚れた顔を乱暴に拭いて、確かに頷いた。
「この国にはいない。だから、育てるしかない」
テデリウスは目を見開いた。
「いつになったって構わない。優秀で有能な、私の夢を叶えることができる人間を、育てるんだ」
「それは、一体、どういうことかな」
「言っただろう。この国は変わる。国が変われば人も変わる。人が変われば、私の夢を実現できる人が現れるかもしれない。私はそのときまで、決して王座から離れない」
ユーリウスは笑みさえ浮かべていた。
愛嬌があって、とても勇ましいと、不敵だと言えるような笑みではなかった。
けれど力強い、生命力にあふれた笑みだった。
テデリウスはユーリウスに晴れやかな微笑みを返すことができた。
彼は王を重荷だと思いながらも、この国の王でありたいと、王座にしがみつく覚悟がある人だから。
きっと何かを成し遂げる、そんな王になれるはずなのだ。




