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花かざる国の王  作者: 呆化帽子屋
第2章 転機
22/42

1-4

祭りが始まってすでに数ヶ月が経とうとしていた。

その期間の長さと王都のこの賑わいが、民に蓄積されていた鬱憤と、この祭りの成功の証のように思えてならない。

リティニウスは不本意ながらも城を空けるしかなかった。

王が言っていた「城の門を開放する」という期間に突入したためである。

多くの民が城に押しかけ、王を探すという名目のもと城内をうろつくものだから、全く仕事にならなかったのだ。

人であふれた大通りをリティニウスはもみくちゃにされながらも歩いていた。

王城と王都の貴族街にあるケルディナ侯爵別邸の間を往復するのでさえ歩いたことのないリティニウスは、眉間に深くしわを寄せるはめになった。

なんて人の多さだ。真っ直ぐ歩くことさえ、困難なことのように思える。

「おや、リティニウスではないか」

デュルベ公爵だった。

リティニウスはとっさに人ごみにまぎれて隠れようとしたが、しかし、デュルベ公爵はリティニウスのすぐ目の前で軽く目を見張っていた。

「驚いた。まさか君も王からの『課題』を受け取りにきたのかい」

「い、いいえ。わたくしは、ただ、王都にある別邸に下がらせていただくつもりだったのです。それだというのに、道がこのありさまで、馬車が出せないといわれまして……」

「リティニウス、君の別邸はこんな平民街にあるのかい」

リティニウスは沈黙した。

デュルベ公爵の顔は完全にリティニウスをからかうものに変わっていた。

「ははは。隠さずともいいだろう。あの王の突飛な発想を気にせず流せというほうが難しい」

「……デュルベ公爵、あなたはご存知だったのですか」

リティニウスの問いに、公爵は静かに首を横に振った。

「いいや。何も伝えられていなかった。我が王はいつだって事後報告しかしないのでね」

デュルベ公爵は肩をすくめたようだった。

リティニウスは沈黙した。

一体誰なのだろう。

王の信頼を得て、この祭りをこんなふうに盛り上げているのは。

「我々貴族では思いもよらないことばかりだ」

思考に沈んでいたリティニウスは公爵の声に顔を上げた。

デュルベ公爵は大声で何かを叫ぶ男をじっと見ていた。

「ご覧よ。文字が読めないものが多いからと、ああして声で課題を伝えることにしたんだそうだ。文字が読めることが当然である我らなら紙で告知しただろう」

「それは、」

そうかもしれない。

大勢のものに何かを正確に伝えるなら、口伝より書類のほうが確実だ。

「それに、君、王都の街を歩いたことがあったかい。いつも馬車で通る道も、こうしてみると随分違って見える」

デュルベ公爵はブーツのかかとでこつこつと石畳を叩いて見せた。

「……誰かの目は自分が思っているより自分を見てはいない。なぜなら見る余裕も必要もないから、か」

デュルベ公爵の呟きにリティニウスは首をかしげた。

「それは一体」

「王だよ。王がそう言っていたんだ」

デュルベ公爵は答えた。

リティニウスは数度目を瞬いた。

「こうして歩いていても、誰も私がデュルベ公爵家の当主で、王族であることに気づかない。こんな人ごみにまぎれていては、上等な服を来たおじさんくらいにしか思われていないんだろうね。本当に、誰も彼もが私を素通りしていく」

王城では、デュルベ公爵邸では、誰もが私の一挙一動に注目しているというのに。

リティニウスはデュルベ公爵の呟きをじっと聞いていた。

「リティニウス。高みからのぞけば大局を見ることが出来るね。けれど、その他大勢は決して上を見上げはしない。いつだって目の前のことしか、見えていないんだ。それを君は愚かだと思うかい」

リティニウスは三度目の沈黙で答えた。


リティニウスは王の執務室の前に佇み、扉をノックするか否かで、随分と考え込むはめになった。

いかほどそうしていただろうか。

このままでは埒が明かないと、リティニウスはついに意を決したのである。

「ケルディナ侯爵」

入室を促す声に導かれリティニウスが扉を開けると、王は軽く目を見張ったようだった。

「仕事の話かな」

王の問いに、しかし、リティニウスは即答できなかった。

しばらく沈黙し、眉をしかめ、そして息を吐くような声で答えた。

「……答えあわせを」

「ん?」

「答えあわせをしに、参りました」

王は首をかしげ、そして納得したように一つ頷いた。

「ああ、課題の。でも、まさか、君まで祭りに参加してくれるとはね。私にも予想外だ」

リティニウスはごまかすように咳払いをした。

「課題、次の問いに答えること。

 問一、あなたは銅2枚と半銅3枚をもっています。露天で売っていたゲルバ(肉の串焼き)を買うことにしました。ゲルバは一組十本で銅一枚半です。ゲルバ一組を買うと、あなたの手元には何の硬貨が何枚残りますか。

 問二、友人の家の前に、「不在」と書かれた立て札が置かれています。家に鍵はかかっていないようです。あなたはどうしますか。それはどうしてですか。

 一番の答えは簡単です。当然、銅貨一枚と半銅二枚が残ります。二番の答えは、おそらく、日を改める、です。訪ねるべき友人がいないのであれば意味がありませんから」

リティニウスは朗々たる声で答えた。

ユーリウスは穏やかに微笑んで、組み合わせた手の上にあごをのせた。

「君の答えも、正解だろうね」

その言い方は妙だった。

「……”も”とは、どういうことでしょう」

「私なら一番に対して、銅二枚と答えるよ」

そしてそれもまた、正解だ。

「何故だか分かるかい、ケルディナ侯爵」

リティニウスはしばらく考えた。

計算自体は理解できる。すべて半銅の硬貨で払えば、残るのは銅二枚だ。

だが、何故そうするのかは分らない。

「……平民の、特に下層の育ちのものは、銅貨なんて滅多に持てるものじゃないんだよ。大切にしまっておきたいと思うほどにはね」

王の話はリティニウスにとって信じられるものではなかった。

銅貨なんて、銀貨の百分の一の価値しかないのに。

「そして君より先に私のもとに来た男は、『解答は一つ以上、よって問題として成立せず』なんて答えたよ。全く可愛げの欠片もないよね」

リティニウスはその答えを出したものを、王が「信頼するもの」と直感した。

王はずっと穏やかな表情をしていたけれど、その目が特別柔らかく光るのを見逃さなかったのだ。

「二番目の答え、私は『勝手に入って、いないなら帰る』を想定していた。多くの平民は字が読めないから、不在かどうかは実際に確かめないと分らない」

それも確かにそうだ。理に適っている。

「そして例の可愛げのない男は、」

「何と、その男は何と答えたのですか」

リティニウスは答えを迫るように、つい強い口調で尋ねてしまった。

王は少し驚いた顔をして、答えた。

「……泣く、だそうだよ。鍵が開いたままなら、家は荒らされ、友人は死んでいるだろうから、と」

リティニウスは眉間にしわをよせて、何を言うべきか迷った。

「陛下はその答えも、正解だと」

王は頷いた。

「王都では分らないけれど、地方の治安はとても悪いからね。そういうことも起こりうるだろう」

リティニウスには訳が分らなかった。

この課題の意味も、そして、それに対する複数の答えも。

「……さて、リティニウス」

リティニウスははっと顔を上げた。

「君にはご褒美をあげないと、いけないね」

「ご褒美……」

王はにっこりと笑っていた。

「言っただろう。城の門が開放されている間に、私のもとにたどりつけたら、私から直々に褒美を授けると」

そういえば、そんなことも言っていた。

「実はね、私のもとに来られるものは始めから限られているんだよ」

王は大切な秘密を明かすように、そっと囁いた。

「王である私の顔をよく知っていて、なおかつ、私の居場所を想像できるもの。この国中を探したって、両の手で数えられるくらいしか、いないのではないかな」

みんな必死に王を探しているけれど、私が直ぐ側を通っても気づきもしないから、笑ってしまったよ。

リティニウスはデュルベ公爵の言葉を思い出していた。

「……陛下、陛下は、それが愚かだと思いますか」

王はリティニウスの質問には答えなかった。

そして本当に不思議そうな顔で尋ねた。

「リティニウス、君はどうして私のところに来てくれたんだろう」

リティニウスは思うままに答えた。

「それは、陛下、陛下はあなたですから」

凡庸な少年がこの国の王として即位したその瞬間から、リティニウスにとって王とは、今目の前にいるこの男に他ならなかった。

「……リティニウス、君はとても真面目で、とても優秀だよ。だから見えるものが多い。そのなかに私も含まれているなら、それはとても嬉しいことだ」

リティニウスは王の言葉の意味を考えた。

「けれどね、君だけで全てを見ることは不可能なんだ。いくら優秀な君でも出来ないことは出来ない。それを憂う必要だってない。君が見落としたものを、拾い上げてくれるものもいるのだから」

王はただ静かに微笑んだ。

「見えないものが、気づかないものがあるのは誰だって同じだ。けれど、自分に見えないものもあると知っているか否かの違いは、大きいのではないのかな」

それがリティニウスの問いに対する王の答えなのだと、リティニウスは知った。


リティニウスは自室でじっと自分の右腕を見た。

正確に言えば、右腕に描かれた花の絵を。

『あるものは背中に、あるものは額に、そして君は右腕に。この花を分けあったのは、君で三人目だ。どうかこの花をもっていてほしい。それは私の願いで、褒美というにはおこがましいけれど』

そう言って王はこの花を描いた。

花は、王の体に刻まれた国花に似ていた。

絵の具で描かれた花はすぐに消えてしまうかもしれない。

しかし、リティニウスはこの絵に託された王の願いを、生涯忘れないだろうと感じていた。














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