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ベルの考えるところによると、ユーリウスは決して愚かではない。
少なくとも小さな国の王でいられる程度には思慮分別があった。
無学ではあるが、人の心に敏感で、人を動かすということを自然にやってのけてみせる。
この国の真実に失望しながらも、決して考えることをやめず、王という仕事は投げ出さない。
この国の民の貧しさに心を痛めながらも、その場限りの付け焼刃なお節介はしない。
ベルは、自分では何もできないくせに、欲張りなあの王を気に入っていた。
何かを強く欲するあの目は、誰にでも持ちうるものではないから。
「おい、そこのお前」
ベルは足を止めた。
そして、ことさらゆっくりと振り返ると、にこやかな笑みをうかべた。
「これはこれは。何用でございましょう、ケルディナ侯爵様」
あの会議での、この男の慌てようといったら、思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。
やっぱりあの王には見込みがある。
ベルが心底憎たらしいと思うこの男に、あんな顔をさせることができたのだから。
「これより先は王の私的な領域だ。限られたものしか通れないのだ、知らないはずがなかろう」
「ええ。しかし、わたくし、王に呼ばれておりますので」
「何」
ケルディナ侯爵にしてみれば、ベルなんて、王城に居座る無能な子爵の一人でしかないだろう。
そんな男が、王の私的な場所に、しかも私室に呼ばれているなんて、このプライドの高い侯爵にしてみれば、とても屈辱的なことなのではないだろうか。
何しろ、この男でさえ、ここから先に行くことはできないのだから。
「王は、お前に何の用で、」
「侯爵様にわざわざお伝えすることではございません」
あんたには関係ない、と言外に告げてやれば、かすかに眉間にしわが寄った。
この男は、ベルが認める程度には頭が良く、有能だ。
ユーリウスもそれを知っている。
けれどユーリウスはリティニウスには何も相談しなかった。
ベルとユーリウス、それぞれの賢さの違いを知っているからに他ならない。
本当に、人を見る、いや、見抜く目をもつ人だ。
その一点だけなら、彼はベルに勝っているかもしれないと思うほどに。
「それでは、急ぎますゆえ、失礼いたします」
ベルが大げさな仕草で頭を下げ、彼の横を通り過ぎれば、彼の視線を背中に感じた。
きっと睨みつけているに違いない。
ベルは唇をつりあげた。
これでいい。これこそベルが求めていたものだ。
あのケルディナ侯爵がベルを見て、ベルを敵と認識している。
ベルを蹴落とし、踏み潰し、捻り殺さんとする、そんなぎらぎらした奴を、更なる高みから見下ろすのがベルに最高の快感をもたらしてくれる。
ベルはこれから、あのユーリウス王とともに高みに登る。
その背中を追いかけてくればいい。
「まあ、あんたなんて、私の敵じゃないけど」
ベルは小さく呟き、にやりと笑った。
ただ頭が良くて有能なだけで、ユーリウスの側にいようなんて、そんな馬鹿げたことはない。
ユーリウスが見つめている世界は、きっとこの国の誰にも分らない世界だ。
だからこそ。
「トゥルティン・ベル、ただいま参上しました」
穏やかな声で入室を促すユーリウスの声がした。
「ベル」
こんな声で、こんな目で、ユーリウスはベルを見てくれる。
誰にも認められなかったベルの才を、こんなにも信頼してくれているのだ。
この王の願いを理解し、夢を叶えてやることこそが、ベルの野心を満たすのである。
ユーリウスの私室は品良く整えられていた。
彼は窓際のテーブルにいくつもの資料を積み重ね、何かを必死に考えているようだった。
「陛下、ケルディナ侯爵のあの間抜けな顔見ましたか。ざまあって感じですよね」
ベルは床にばら撒かれた走り書きを拾い上げながら、フランクに話しかけた。
ユーリウスは軽くため息をついた。
ベルの随分砕けた口調を咎めることはしない。
ベルの口が悪いことはとっくの昔にばれていたから、ベルも取り繕うのはやめたのだ。
「ケルディナ侯爵はきっと怒り狂ってますね。自分の可愛いお人形さんが、ただの馬鹿な男になって戻ってきてしまったんですから」
「その通りだ。随分と悪い男にたぶらかされた」
ベルの冗談に皮肉を返したユーリウスにベルは笑った。
確かにそうだ。
「そもそも、台本を考えたのは君だろう。私はその通りにしたまでだ」
ユーリウスは断言した。
けれどベルにとってみれば、彼の願いを叶えたまでに過ぎない。
お祭りをやりたいから、みんなを納得させる理由と方法を考えてくれ、なんて無茶な命令をベルに下したのはユーリウスなのだから。
「こんな時代ですから、わざわざこっちが考えてやらなくても、騒ぐ口実さえ与えてやれば、後は勝手に騒ぎますよ」
「君は本当にいい加減な男だね。王城に来ることができる人間が、多かったらどうするんだい」
ユーリウスは困った顔で笑った。
「陛下は知っているでしょう。地方の平民が王都にくるなんて、ケルディナ侯爵が逆立ちしてみせたって、無理なことぐらい」
ベルの喩えが微妙だったからか、それとも他に思うところがあったのか、たぶんその両方の理由で、ユーリウスは沈黙した。
ベルはすっかり考え込んでしまったユーリウスに肩をすくめ、拾い上げた書類をまとめて、彼の机の上に戻しておいた。
そして、ベルは彼の豪奢なベットの下を覗き込み、にやりと唇をつりあげた。
彼は大切なものをベットの下に隠す。随分安直だが、意外と見つけられないものなのである。
そこには秘密の書類がびっしりと詰まっていた。
ベルは突っ込んでいた頭を慎重に上げ、呆れた顔をするユーリウスに笑ってみせた。
「陛下の部屋は面白いものばかりですね。一体どこから集めてきたんですか」
「白々しい。君は全部知っているだろう。それに、その辺りのものが必要になるのは、まだまだ先だ。こっちのことをちゃんと一緒に考えてくれ。何のためにわざわざ君を呼んだと思っているんだい」
ユーリウスは唇を突き出し、随分幼い表情ですねた。
ユーリウスの手元に広がるものをちらっと見て、ベルは直ちに答えた。
「駄目ですね、陛下。複雑になりすぎて把握しずらいし、無駄が多い」
ベルはきっぱりと言い切った。
ユーリウスは溜息を飲み込んだ。
ベルは彼の腰掛ける椅子の目の前に座り込み、筆を握った。
「なんのためにあんな無茶をやらかしたと思っているんですか。ケルディナ侯爵の目が祭りに向いている間に、これを完成させなくちゃならないんでしょう」
「時間稼ぎも満足にできない、か。本当に私は何もできないんだから、もう、どうしようもない」
ユーリウスの声は苦笑交じりだったが、本気で落ち込んでいるらしかった。
ベルは彼の草案を見直しつつ、よりよいものに練り直す作業を始めた。
ベルはふと呟く。
「滅茶苦茶な国の、破天荒で馬鹿な王様。ぴったりでしょう。少なくとも私は、あなたが王だから、今、ここにいるんですよ」
ベルの真剣な声をユーリウスはどう受け止めたのだろうか。
彼はただ頷き、静かに微笑んでいた。




