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花かざる国の王  作者: 呆化帽子屋
第1章 出会い
17/42

2-5

ロベルト・テルベールはイブソナ伯爵領のとある小さな村で生れた。

ロベルトの祖父はそこらの草花をいじって薬のようなものを作っていた。

ロベルトがひどい熱で倒れたとき、祖父はロベルトの口にそれをつっこんだ。

とても変な味だったけれど、あんなにも苦しかったのに、すっと楽になった。

ロベルトがびっくりしているのが面白かったのか、祖父は息をもらした。

歯がほとんどない祖父の笑い方だった。

「ロベルト坊や、お前さんはたくさんのことを知らなければならないよ。そしてたくさん考えるんだ。どうして苦しいのか、どうやったら苦しくなくなるのか」

祖父はロベルトにいつもそう語った。

「見てごらんよ、坊や。お前はここにある草の名前を全部言えるかい」

祖父が指差したのは、家裏の畑に生えた草たちだった。

ロベルトにはそれと道端に生えているものとの区別がつかないので、首を横にふった。

「それみろ坊や。お前はなんにも知りはしない。こんな小さな畑のことも知らないでどうするんだい。この世にはね、たくさんのことがある。このじいじにも分らないことだってあるんだよ」

だから学びなさい。

それはきっとお前とお前の大切な人を助けてくれる。

その時のロベルトは祖父の言葉に素直に頷くことができていたのだ。


ロベルトは祖父の仕事を継いで、村で医者のようなものをしていた。

腹が痛むという男には痛み止めの薬を渡してやったり、腰が痛むという老婆には塗り薬をわたしてやったり、そんな細々とした仕事だった。

ある日、小さな子どもをつれた女がロベルトの家にかけこんできた。

「ロベルト、この子を見ておくれよ!」

子どもはひたすら吐きつづけ、熱を出して倒れてしまったらしい。

ロベルトは吐き気をとめる薬を渡してやった。

子どもはその後三日とたたず死んだ。

悲しいことだけれど、しばしばあることだし、仕方のないことだった。

しかし、同じ症状で倒れる子どもは後をたたなかった。

子どもの次は老人が、その次は女が、そして村の男たちも次々と倒れていった。

ロベルトには何が起きているのか理解できなかった。

ただ吐き気を抑える薬を飲ませることしかできなかった。

「イブソナ伯爵様は感染病の根を絶てと私に命令した」

領主の使いだという男は、村に火を放とうとした。

村ごと焼き殺すつもりらしい。

「ちょっと待ってくれ! なにか、なにかあるはずなんだ。この病気を治せる薬か、治すための方法が。きっと見つけてくるから!」

「イブソナ伯爵様の主治医は申していた。これはたちの悪い感染病で、病人が一人でもいれば、同じ病気の人間が増え続けるから、多くの人が死ぬ前に、これを止めなければならないと」

「でも、でも、きっとあるんだ。じいじはそう言って……」

「どこの医者か知らないが、」

ロベルトは男の話を最後まで聞かず、馬で駆け出した。

じいじは言った。学べと。

だからきっとどこかにあるはずだ。

ロベルトに優しくしてくれた彼らを助けるための方法が。


ロベルトがその方法をお隣のデュルベ公爵領で見つけて、村に帰ってくると、村のあった場所には焼け焦げしか残っていなかった。

ロベルトは愕然として、崩れ落ちた。

ロベルトは日にちの数え方を知らなかった。

だからロベルトにとって一瞬に思えた月日は、男には待てるものではなかったのだ。

ロベルトは人の優しさに囲まれて育ったから、病人に生きることさえ許さない伯爵が理解できなかった。

じいじ、学んだって、駄目じゃないか。

この世は止まらず進み続けていて、誰もロベルトを待ってくれはしないのだ。


ここしばらくロベルトはイブソナ伯爵領をふらふらとさまよっていた。

少し大きな町の小さな食堂でロベルトは不思議な雰囲気の青年と相席した。

青年は体の線が細く、色が白かった。

青年はじっと視線を向けているロベルトに気づいたようだ。

青年はこちらに向けて微笑んだ。

ロベルトはとっさに俯いた。

「それは君の書留なのかな」

青年はロベルトの荷物にくくりつけられた古びた紙の束と、書き付けられた字に気づいたようだった。

ロベルトはますます俯いた。

「薬草の名前、かな。僕は医学とか薬学は全く知らなくてね。ベル、君は分るかい」

「少しなら。そういった本は読んだことがありますよ」

ロベルトは小さな声で呟いた。

「感染症とその対処法、それから有効な薬の名前、です」

ロベルトは祖父の言葉を信じられなくなっていた。

けれど、神経質で好奇心の強いロベルトは、気になったことを学ばずにはいられなかった。

「独学なんだね」

ロベルトは頷いた。

「すごいね」

ロベルトははじかれたように頭を上げた。

青年は穏やかな微笑を浮かべていた。

「まさかこんなところで医者の卵に会うとは思わなかったよ」

ロベルトは顔をゆがめた。

「私は医者になるつもりなんて、ありません」

青年は驚いたようだった。

「何故?」

「だって」

誰もロベルトが学ぶのを待ってくれないから。

これは自分が気になるから調べているだけで、自己満足で、それで充分なのだ。

誰もロベルトに期待なんてしていないのだから。

青年はふと息を吐くような笑い方をした。

ロベルトは祖父の笑い声を思い出した。

「確かに、そうだろうね。だって僕は君を知らないもの」

青年はこともなげに言った。

「君は、君に誰かが期待するような何かをなしたのかな」

ロベルトはとっさに反論しようとして口を開いたけれど言葉は何もでてこなかった。

そういえば、村人たちは何故ロベルトのところに来てくれたのだろうか。

ロベルトの薬では誰も治らないことを知っていたはずなのに、なのに、どうして。

「何もなさないなら、学んだって意味がないだろう」

でも、祖父は、じいじは。

じいじは言った。

たくさん学んで、それから、それから。

「僕はやらなくてはならないことがあるんだけれど、どうすればいいのかさっぱり分らないんだ。ひどいだろう? でも僕の都合なんて、それこそ、みんなにとってはどうでもいいことなんだ。だから僕は考えなくちゃいけない」

そうだ、考えろと。

ロベルトとロベルトの大切な人たちを助けるために。

青年は溜息をはいたようだった。

金髪の男は肩をすくめていた。

「……きっと、きっと大丈夫ですよ」

ロベルトは久々に微笑むことが出来ていたのかもしれない。

青年はじっとロベルトを見ていた。

「だってあなたはきちんと考えることができる人です」

ロベルトには出来なかったことだ。学ぶことばかりに気をとられすぎて。

「考えないといけないことは、ええ、たくさんあるんです。だから、一緒に考えましょう。きっといつかいい方法を思いつきます」

「いつかなんて暢気なことは言っていられないんだけれどね」

青年は肩の力を抜いたように見えた。

「でも、大丈夫ですよ、あなたなら」

「どうして?」

だって。

「何かを強く思う気持ちがあるみたいですから」

青年は小さく、そうだね、と呟いたようだった。




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