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リュゼはただのリュゼだった。
周りの子どもたちよりはずる賢く、そして腕っ節もそれなりだったから、路地裏にたむろするやつらに認められていた。
しかしリュゼは誰に似たのか正義感の強い子どもだった。路地裏の暗黙の了解を破るガキどもにお仕置きと称して暴力を振るっていた。それが正義だと信じて疑わなかった。
今思えば、路地裏の正義なんて世間じゃ悪徳だし、堅く信仰するには曖昧なものだった。
リュゼは友達から習った文字のおかげで、割とまともな仕事にありつけた。
モルベン商会という中規模の商会で下人として雇ってもらえたのである。
専らの仕事は荷物運びだが、ならずものをのしたり、金を払わない客をおどしたりと用心棒のようなこともこなしている。
友達は小さな娼館で勘定係をしていた。
たまに会って近況を報告する程度の仲だったが、しかし、リュゼは彼を友達だと思っていたのである。
5日前の戴冠式までは。
新王の即位という名目で街は沸いた。多くの人が新しい王を見ようと城の見える広場まで集まった。
いつもは堅く閉じられている門は開け放たれ、早いもの順で城のバルコニーでの王の演説が見えた。
リュゼは驚愕した。
新王はリュゼが友人だと思っていた少年であった。
その女はマリアと名乗った。
金髪に青い目、特に目立った特徴もないありふれた女は、やはり名前も普通だった。
「これを、俺に?」
マリアは小さな封筒をリュゼに託すと、夜の暗がりに消え、すぐに見えなくなってしまった。
リュゼは自分のありふれた容姿を自覚していた。痛んだ黒髪も、こげ茶の目もここら辺では珍しくないだろう。
よって、これは恋文ではない、はずである。
側には誰もいないが、リュゼは幾度か咳払いをし、少しわくわくしながら封を切った。
目に飛び込んできた筆跡に、リュゼの機嫌は急降下した。
「来てくれると思ってたよ」
赤毛の少年は言った。つい先日王として即位した、リュゼの元友人である。
丸1年会っていなかったが、彼の様子は随分変わっていた。
頭に被せた古い布に隠れているが、彼の赤髪は随分伸びてつやつやしていた。
親しげに手を振る彼の指先にあかぎれはない。
なにより、あんなにがりがりだったくせに、随分肉がついたようである。
がたいのいいリュゼと並べば、かなり華奢で小柄ではあるが。
「随分とイイ生活をしているみたいだな、”ジャック”?」
少年、元ジャック、ユーリウスは笑った。
リュゼはその胸倉を容赦なく掴みあげた。
「俺が来たのはお前に文句を言うためだ。こんな紙切れ一枚で俺を呼び出して、一体なんの言い訳をしようっていうだ!? お前、俺が、俺が」
どれだけしんぱいしたとおもっているんだ。
ユーリウスは力をこめすぎて茶色に変色したリュゼの拳を白い手で包み込んだ。
リュゼはやるせなかった。
ユーリウスの手はもっと赤かった。
それはかさぶただったかもしれないし、鞭でたたかれた跡だったかもしれない。
しかし、でも、こんな病人のような青白い手ではなかった。
「・・・・・・お前は昔からそうだったよ。義理堅くて、正義感が無駄に強い」
「お前も昔からそうだった。ふらっと現れて、俺たちに良くしてくれたかと思ったら、気まぐれに去っていく。次にいつ会えるかなんて分らなかったから、俺が会いに行ったのに」
なんで、俺が会いに行けない場所に行っちまったんだ。
ユーリウスの胸倉を掴んでいた手はすっかり力をなくし、だらりと体の横に垂れた。
二人はしばし沈黙していたが、ユーリウスがリュゼの拳を握る手に力をこめた。
リュゼは顔を上げた。
「覚えているか、リュゼ。お前はここらのガキ大将で、いつも陰険なやつをシメていたね」
「ああ」
ユーリウスはリュゼの顔から視線をそらなかった。
「お前、いや、君の力を僕にくれないか」
リュゼは困惑と驚きに目を見開き、一歩体を退けた。
ユーリウスはますます手に力をこめた。
「僕には味方がすくない。でも、やらなければならないことがある」
王として、と聞こえた。
「……俺だったらお前を手伝えるって」
「手伝うんじゃない。君がやるんだ。君自身の力で」
「な」
「君がやりすぎたら僕が止める。僕が甘えすぎたら君が叱る」
ずっとそうだっただろう。だから。
「どうか僕のために君の力を」
「そ、れは」
リュゼは舌の上にたまっていた唾を飲み込み、声を絞り出した。
「それは俺にお前の家来になれって言ってるのか」
「そうだ。君には、僕のために、僕の臣下となって、やってもらいことがある」
ユーリウスは迷ってなどいなかった。
つまりは、友人を臣下として扱うという、それ自体を。
リュゼには受け入れられなかった。
「俺が断ったら、どうする」
「他を探す」
優位に立ったつもりで強気な態度で拒否の素振りを見せれば、間髪いれずそう言われた。
あまりの呆気なさにリュゼは声を荒げた。
「ちょ、お前、俺でなくてもいいのかよ!」
「よくない」
ユーリウスの真剣で、険しい顔にリュゼは二の句が告げなかった。
「でも僕には時間がない。急がなければならないんだ。もう王になってしまったんだから」
君は頑固だから、君の説得には時間がかかる。
だから、他をあたる。
ユーリウスは淡々と答えた。
リュゼは選択を迫られていた。
夜明けが迫るとユーリウスは例の女と共に城に帰ってしまった。
リュゼがくぐることの出来ない、あの高い門のなかに。




