第二十六話「今はひとたび、星の海へ」 特殊OP、Aパート
アーディの力によって浸食された風景。
壊れかけの壁には、腐食の跡のような黒い靄がカビのように蔓延っている。
その外側には乳白色の何もない空間。
この、あまりにも殺伐とした場所でジョージが要求したこと。
それは――
「歌……ですって?」
リュミスは思わず聞き返す。
「音の元を探しても埒が開かないなら、奴の呪文を塗りつぶしてしまえ」
「そ、そんなことして何がどうなるって言うのよ!?」
そう答えるリュミスの声はほとんど絶叫だった。
「“竜”が抵抗を続けてるなら、変化があるはずだ。そこが目指すべき核だ」
「仮定の話?」
「勘の話だな」
さらに酷くなったような気もするが、何故か頼もしく思えた。
リュミスはうなずく。
「歌う」
「ああ」
短いやりとり。
やることは決まった。
リュミスは歌う。
そして、ジョージはリュミスを守る。
<相談は終わったかな?>
宙に漂う、黒い靄が集まって人の形となる。
それを見上げる二人。
もう、接続時間の残りは少ない。
アーディに効果のある触媒弾丸も底が見える頃だ。
――これが最後の機会だ。
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殴りつけるようなシャウト。
いきなり「APPLE DICE」を歌い出すリュミス。
力強い曲と言えば確かにこれだろう。
この曲を、いわゆるアカペラ状態で歌えるリュミスの技量は確かに大したものなのだろう。
そして、歌で世界を圧倒するという考え方も、一応は正解だったらしい。
何しろ、歌い始めた途端、顕著な変化が現れたのだから。
ギィィィィィィィィィイイイイイイ!
世界が軋んだ音を立てる。
「グッ!」
思わず、ジョージが声を上げてしまうほどの不快さ。
脳を直接締め上げるような酷い音だ。
これが、リュミスが聞かされ続けてきた音なのだろう。
そんな音が響く中でもリュミスは歌い続けるが、何よりこの雑音が酷すぎる。
リュミスの声と、アーディの呪文が正面から激突しているせいなのか。
ヒュヒュンッ!
アーディの触手が、ついにその目標をジョージからリュミスへと変更した。
「素人が今更!」
ジョージが不快な音を無視して、
パパンッ!
とフェニックスエールで迎撃する。
続けて飛来する黒い欠片を、衰えることのない速度でさらに叩き落とす。
そして、変化がどこかに現れないかと左右に視線を散らすが、その視界全体が歪んでいるだけで、ポイントで目に付くような変化はない。
<辞めろ! いますぐ“それ”を辞めろ!>
世界に響くアーディの声。
その言葉に、ジョージとリュミスが共に笑みを浮かべた。
「奴は……」
「……歌を理解できない」
あるいは、歌というものの多様性を理解できないと言うべきか。
「“APPLE DICE”は正面からぶつかりすぎるようだ。相手のリズムを奪えるような曲を――」
「行くよ! リバーサル・ラダー!」
ライブの時のように、曲名をコールするリュミス。
これもまた、アカペラで歌い出す。
「APPLE DICE」よりは、幾分かメロディアスな曲だ。
リュミスは、歌い続ける中で自分の耳を苛んでいた、不協和音のボリュームが下がっていくのを感じた。
<おのれ! おのれ、おのれぇぇぇぇぇ!!>
代わりにアーディの絶叫が響く。
だが、不協和音では無い分随分と楽だ。
これでさらに集中できる。
リュミスは、いつもと同じように何もかもを打ち捨てるように、歌うことだけに没頭していく。
パン、パン、パン、パン!
歌のリズムに合わせるようにして、ジョージが貴重な弾丸を四方へと撃ち始めた。
弾を無駄に消費しているようにしか見えないが、この弾は普通の弾ではない。
アーディの術に対抗する力を付与された弾だ。
ジョージは撃った弾の軌道を追う。
ジョージに与えられた、超人的な視力がその弾のもたらす効果を確認。
何の手応えもなく、ただ飛んでいくだけの弾丸。
そして僅かではあるが抵抗を受け、速度を殺された弾丸。
「あっちだ!」
リュミスに弾丸が抵抗を受けた方向を指さすジョージ。
そこが観客のいる方向。
――そして、目指すべき核がある方向。
だが、それでもアーディは創造神の力は失っていなかった。
リュミスが立ち向かう方向からは触手が迫る。
そしてそれと反対側、ほとんど至近と言っても良い距離に黒い欠片がいきなり“存在”した。
リュミスはそれでも歌うことを辞めない。
“歌うことをを辞める”という選択肢はすでにリュミスの頭の中にはなかった。
ただ、歌い続ける。
キンキキン!
ジョージはそのリュミスの信頼に応える。
優先度が高いのは黒い欠片の処理だと、一瞬にして判断すると、まずそれを右手で弾き飛ばした。
そして触手を迎撃するために身体を捻る――
――そこでジョージは自分のミスに気付く。
自分の行うべき身体の動きをミスしていた。
左腕を触手に向けても、そこには銃がない。腕もない。
このままではリュミスが触手の餌食になる。
「こなくそっ!」
ジョージは強引に右足を振り上げて、その勢いでリュミスの身体を飛び越える。
だが、そこから右手のフェニックスエールを触手に向けている時間はない。
ジョージはその振り上げた右足を、そのまま触手に叩きつけた。
かすったというレベルではない。
完全に直撃した――いや、させた。
触手はそのままジョージの右足に絡みつくと、その身体を吊り上げる。
<お、おお……! 愉悦だ! お主の昏き魂はなんと極上であることか。お主の魂は濡れてはおらなんだが、その資質はフォロンをも上回るか>
アーディが歓喜の声を上げる。
ジョージに接触した触手から、何かしらのエネルギーを吸い上げているらしい。
「ガッ……!」
ジョージは右足を苛む痛みを無視して、フェニックスエールで絡みつく触手を断ち切る。
その一瞬の光景に、さすがにリュミスの声が止まった。
先ほどまで、歌を紡いでいたはずの唇は大きく開かれて、今にも悲鳴が――
「歌えーーーー!」
触手が切れたことで落下するジョージ。
だが、それでもリュミスの悲鳴を押し止めるように吠えた。
そのまま、背中から落下すると無様に転がっていく。
右足は黒い靄に侵されたままだ。もうジョージの意志では動かないに違いない。
それでは――
<ワハハハ! これで手詰まりだな! 足を潰されては、いかなお前でも我の力を防ぐことは出来まい。二人共々たっぷりと嬲った上で、我が糧として取り込んでくれる>
アーディの言うとおりだ。
まだこちらは、目指すべき核の位置すらも――
ギュアオオオオオオオオオオオン!
そんなリュミスの弱気を責めるように、突然にギターサウンドが鳴り響いた。
リュミスが行う天国への階段でのライブでは、生演奏を用いない。
だから、そのサウンドは聴いた覚えのないものだった。
はっきり言えば下手だ。
だが――それだけに、人の息吹が感じられる鼓動だった。
『やぁ、間に合いましたか』
そんな中、どこか呑気な声がリュミスの剣から聞こえてきた。
間違いなくモノクルの声だ。
「そ……う言えば、残る……とか言ってたか」
すっかりと青ざめて、脂汗を浮かべるジョージがそれでも憎まれ口を叩く。
『ええ。あなたたちが天国への階段を護るために戦うというなら、その義務はあなたたちだけに背負わせるものではないと思いましてね』
果たして、いきなりギターをかき鳴らしたのはリュミスのライブの常連の一人だ。
見知った顔は他にもある。
ケート。
パラキア。
ガーベィにクーリーとライリー。
他にもジョージが“殺す以外”で見知った連中がたくさんいる。
『お二人の名前を出しただけで、これだけの数が集まってくれました。天国への階段の総力結集です』
その言葉通りだった。
乳白色の、何の特徴もない区画に集まって来るのは色とりどりのアバター達。
アーディの危険性を伝えられているのか、一定の距離から近づいてくることはないが――
――それでも届くものはある。
音だ。
音楽だ。
そして声だ。
リバーサル・ラダーの合唱が始まった。
そこに、立ち直ったリュミスの歌声が乗る。
「へ、へへへへへへへ……」
それを横たわったまま、全身で受け止めたジョージが気持ちよさそうに笑った。
<小賢しい! 小賢しいぞ貴様ら! 神に! 神に逆らおうというのか!!>
アーディの声が世界に響き渡る。
そして、触手がめちゃくちゃに振り回されるが、その長さはあまりにも短い。
それどころか、そのために触手の起点となる方向が露見してしまった。
ジョージの視線がすかさず、そこを射抜く。
そのまま右手を動かして、
パンッ!
そのポイントに銃弾を送り込んだ。
<ぐおおおおおおおぉぉぉぉぉ!>
ついに苦悶の呻き声を発したアーディ。
確実に、歌も、銃弾も、アーディを追い詰め始めていた。
そこで、リバーサル・ラダーが終わる。
続けて始まるイントロは――いつか聴いた曲。
演奏するのは、頭にターバンを巻いた男、ラバーブだ。
ブルースハープで奏でているのは、リュミスに提供した「コルクボード」の原曲。
リュミスは、その贈り物に微笑みを浮かべると、自分のアレンジを加えたものではない、元曲のアレンジで歌い始める。
この曲は、天国への階段で生まれた最初の流行曲。
そして、アーディが人の負の感情を糧にするのならば、この曲はそれとは真逆の愛を綴った歌。
メロディアスなラインは、あるいはアーディの唱えていた呪文と似たものが含まれていたのかも知れない。
だが、それだけに参加者達の声が重なったことで、その呪文とぶつかることなく、その呪文を侵略し、その韻を奪っていく。
<やめろやめろ! ヤめテくれ~~~~~!>
ついにアーディが懇願を始めた。
そしてついに世界に変化が訪れる。
触手の起点となった辺り、そこに強く輝く光が現れたのだ。
『“彼”だ!』
モノクルが叫ぶ。
「やっと当たりか……待ってろ……今――殺してやる」
その瞳だけをギラギラと輝かせて、ジョージが立ち上がろうとしていた。
<こノマまデ……このまマデ、終わラせルものカぁァぁ!!>
光の周りにたゆたっていた黒い靄が突然弾けた。
そしてそれが集まって、アーディとしての形を成す。
現れたのは、アーディだけではなかった。
その周囲には無数の人の影。
<お前が! お前が殺してきた連中の欠片だ。その恨みを利用して、今は我が走狗と化しておる。お前は再び、こやつらを殺せるか? 復讐を成し遂げたお前が!!>
「殺すに決まってるだろ。俺が躊躇う理由があるか」
即座に言い返すジョージ。
その言葉には何の迷いもない。
天性の人殺し。
殺しの星を持つ男。
それが――ジョージ・譚。
「ジョージ!」
「コルクボード」は続いているが、リュミスはそれを中断して声を掛けてきた。
ただ、それはジョージを心配してのことでも、この状況に興奮してのことでもないらしい。
その瞳が真っ直ぐにジョージを見据えている。
「ここは天国への階段よ。殺しにいくなら、あなたもその流儀を守りなさい」
突然に、ジョージに説教を始めたのだ。
未だ膝立ちのジョージが、その言葉に訝しげに眉をひそめる。
「な、何を……」
「GTに戻りなさい。GTに」
その言葉にジョージは目を見開き、そして息を漏らすような、声にならない笑い声を立てた。
そして、笑みを浮かべたままリュミス見やり、
「……それを名乗った覚えはないと言ってるだろうが」
と、乱暴な口調で返す。
だがその口調とは裏腹に、まず髪の色が銀に変わる。
瞳にはエメラルドの輝きが。
そして、いつもの黒スーツを身に纏い、侵されたはずの右足を動かしてスクッと立ち上がった。
最後にキザに被るのは白いリボンのボルサリーノ。
そして、光に向かって半身の構えで見得を切る。
「さぁ、アーディ! 皆殺しの時間だ!!」
吠える。
その右手には、愛銃ブラックパンサー。
ドゥンッ!
ブラックパンサーが吠え猛る。
フェニックスエールとは比べものにならない、圧倒的な銃声。
アーディが並べた、人の影をその一撃で三体も吹き飛ばした。
ドンドンドンドンドンッ!
続けて吹き飛ばされる人影。
すでに、光の下へ近づくだけのルートは出来上がっている。
だが、GTは止まらない。
ドドドドドドドッ! シャコン! ドドドドドドドドドッ!
器用に片手でマガジン交換しながら、その全ての人影を見える端から殺していく。
そこには全くの容赦も躊躇いもない。
殺す。
ただただ殺していく。
ラブソングである「コルクボード」が流れる中、ドンドンと殺されていく、アーディの駒。
その異様な光景に、アーディは沈黙してしまったのか。
ついに本領を発揮して、殺しまくるGTに抵抗する術はもう無いのか。
そして全ての人影を、GTは駆逐してしまう。
残るは、アーディただ一人。
ドゥンッ!
効かないはずの銃弾を構わずにアーディにぶち込むGT。
果たして、その銃弾はアーディに届く前に分解されるかのように思えた。
だが――
――分解しきれなかった銃弾が、その額を貫く。
GTはそれを当たり前のように受け止めると、
ドドドドドゥンッ!
続けざまに更なる銃弾を叩き込んだ。
もはや、アーディにはそれを分解する力も、受け止めるべき意志も存在しなかった。
無防備に銃弾を受けると、その身体が四散してしまう。
「リュミス、剣だ! それとモノクル!」
『わかってますよ。託されし“竜”の力を解放しましょう』
「行くわよ!」
声を発する剣を、リュミスはGTに向けて投げる。
その輝きは、流星のように真っ直ぐにGTへと向かっていった。
GTはこともなげに剣の柄を握りしめると、幾分か右足を引きづりながらも、さらに強く輝くようになった光へと近づいていく。
そして、その光をまじまじと見つめた。
「……こいつが“竜”か」
『本当に……面倒ばかりを掛ける人ですが――無事らしくてよかった』
そんなモノクルの安堵の言葉に、GTは口元を歪める。
エメラルドの瞳は、未だに光にこびりつく黒い染みを見据えていた。
「……これだな」
『ええ。間違いありません――よろしくお願いします』
すでに「コルクボード」は終わっている。
今ここにあるのは静寂の世界。
そんな中、GTはリュミスの細剣を振り上げると、その黒い染みを切っ先で裂く。
――そして、天国への階段に光が満ちた。
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事実上の最終回ですね。
いえ、確かに二十六話で終わりなので当たり前の話なんですが、残る後半は後日談になるので。
後半は、まだちょっと手を入れたい部分がありますが、一応は書き終わってます。
では、日曜日に~




