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第十一話「焦点の夏(イシュキック)」 アバン、OP、Aパート

 母なる星、地球からA級航海士が船を操って約二日の距離に位置する恒星ククルカン。

 そのハビタブルゾーン、第五惑星イシュキック。

 植民が始まったのは、超光速航法が開発されてまもなく。

 その頃は“ただの”惑星に過ぎなかった。

 大きさは地球とほぼ変わらない。

 そして開発テラフォーミングを行った結果、水資源豊富で一級品と呼んで差し支えない、植民惑星として生まれ変わった。

 ただ土壌の問題か“緑豊かな”という形容詞が冠されることはなかったが、居住区を広げるにあたって人類はそこに何の痛痒も感じなかった。

 テラフォーミング技術まで手に入れた人類にとっては植生の多寡など些末な問題である。

 景観上、緑が欲しくなったとき強引に植樹してしまえばいいだけの話だ。

 またこの星の気候は地球の気候で言えば、地中海性気候によく似ており、開発テラフォーミングにあたって欧州企業の連合体が乗り出したために、植民初期には白人系の移民が大半だった。

 ちなみに、星の名前との差異が激しいのは発見者が開発に全く関与していないからであり一週間の世界ア・ウィーク・ワールドではままあることである。

 だが、その名前がこの星の運命を決めたのか、イシュキックはその名を持つ少女の神話さながらに数奇な運命を辿ることとなった。

 当時は中央省庁とだけ呼ばれていた人工天体がしずしずとその衛星軌道にやってきたのである。


 ――野放図に広がった人類の版図の距離的な中心に位置しなければ、業務もままならない。


 ……と言われては、イシュキックの住人達もイヤとは言えなかった。

 それに、またすぐに移動するだろうという楽観視もあった。

 だがしかし、中央省庁は行政首都ロプノールと名を変えて、未だイシュキックの上空に居座り続けている。

 そして、さまよえる湖ロプノールの名を冠された行政首都からこぼれ落ちたものは、単なる水ではなく一週間の世界ア・ウィーク・ワールド中から集まってくる“情報”という名の蜜。

 それはイシュキックに、爛熟と退廃をもたらした。

 連合職員の保養所としての機能をイシュキックが持ってしまったところまでは、必然の流れだったかも知れない。

 だが行政首都ロプノールから持たされたものは、職員だけではなかった。

 全世界から集まってくる情報。

 しかも握ったものに富をもたらす情報だ。

 イシュキックが腐れ落ちるのにさほどの時間はかからなかった。

 一週間の世界ア・ウィーク・ワールドにおける最高にして最狂の歓楽街。

 それが今のイシュキック。

 豊かな海から水揚げされる新鮮な海産物、それにイシュキック豚。

 地球から持ち込まれたヨークシャー種がよほどイシュキックの水があったのか、事実上品種改良されてしまった結果だ。

 この食材の豊富さも、イシュキックの退廃に拍車を掛けた一因だろう。

 そして今――


 ――イシュキックの首都、ヌォーボ・カリアリは夏を迎えていた。


◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 都市計画も何もなく必要に応じて、あちらこちらと道路が蜘蛛の巣のように張り巡らせた結果、新・カリアリは十年ほど前まで混沌の極みにあった。

 しかし十年前にイシュキック首相に就任したフェリーニは、再開発を強力に主導。

 新たな利権と既得権益の調整の末、新・カリアリには綺麗に整備された道路網が完成した。

 特に新・カリアリの中心を貫く、フィルテ通りは片道四車線の大動脈。

 だが、ただ道路を敷設しただけの殺風景なものではなく、中央分離帯と道路脇には街路樹が配置され景観に配慮された立派なものだ。


 ――敷設途中で大量に発生した使途不明金が有効に使われていれば、もう一段階グレードが上がるのであるが。


 そのフィルテ通りを南東に向けて大型の黒塗りリムジンが、音もなく走っている。

 相対的な問題でさほどの速度が出ているようには見えないが、実のところ時速150km以上の速度でフィルテ通りを突き進んでいた。

 その行く手に見えるのは、空に向かうきざはしと見まごうばかりの巨大建造物。

 鋭角的なデザインを随所にあしらいつつも全体的には、風を感じさせるエアロデザイン。

 大胆なオリーブグリーンの外壁の色は、今の季節に合わせてのことだろう。

 ホテル・トゥーットゥリア。

 新・カリアリでも有数の超高級ホテル。

 再開発時に誘致され新・カリアリの新たな顔として君臨するこのホテルの利用者は、一週間の世界ア・ウィーク・ワールドでも3%に満たない僅かな人間だけだ。

 だが、その利用者は超高額な富裕層。

 自然と人を選ぶ、格式高いホテルでもある。

 リムジンはフィルテ通りからホテル前のロータリーに乗り込んだ。

 控えていたベルマンが、出迎えのために姿勢良くリムジンへと近づいてゆく。

 ベルマンも今や普通のホテルでは見られない存在だ。

 第三次世界大戦の折、人口を激減させた人類は、当然のように不足した人手を機械に肩代わりさせた。

 このベルマンという仕事も、今ではほとんどアンドロイドが行っている。

 だが格式高いホテルでは今でもきちんとベルマンを雇っていた。

 それは、サービスを行うホテルマンとしての登竜門が、この職業であるからだ。

 だからこそこういったホテルを利用する客も、この判断に口出しすることはない。

 ホテルを自ら育てていく。

 一種の、ノブリス・オブリージュ的な精神がその根底にはあった。

 ベルマンがリムジンの後部座席を開けると、まず突き出されたのは鰐皮の紳士靴。

 そして、ネイビーブルーのダブル。

 そしてローズレッドのシャツにパールホワイトのネクタイ。

 このような、あまりにも異常な色彩感覚の持ち主には、通常であればそのままお引き取り願いたいところではあるが、こういった客が訪れることは、ベルマンも連絡を受けていた。

 荷物を預かろうとベルマンが話しかけようとしたところで、この客は手を振ってそれを追い払う。

 が、すぐに呼び戻してチップを差し出した。

 現在ではこういう場面以外にほとんど出番がない紙幣。

 その最高額面のものを三枚。

 格好はともかく、金払いはなかなか良い。

 ホールに乗り込んだ客は自然と視線を集めるが、その視線はすぐにそらされる。

 関わってはいけない人種だと一目瞭然でわかるからだ。

 だが仕事であればそうもいってはいられない。

 ホールの格式を保証するかのように、装飾を施された制服を着込むガードマン。

 そして、ホテルの玄関口を預かるフロント。

 そのフロントから、柔和な笑みを浮かべるマネージャーらしき男性が、この派手な客に近づいていった。

 そのまま、一言二言言葉を交わすと、そのままホールのずっと奥へと案内する。

 そこにあるのは最上階にある、インペリアルエグゼクティブスイートへの直通エレベーター。

 この派手な客は、そこに逗留する、謂わばホテルにとってのVIPが呼んだ客人である。

 ホテルとしてもおろそかにするわけにはいかない。

 慣性制御まで働いた快適なエレベーターでの移動を終え、開かれた扉の向こうにあるのは、一つの街。

服飾店、理髪店、レストラン、プール、カフェテリアに映画館。

 その全てが、このフロアの客に傅く設備だ。

 マネージャーに案内されて、派手な客も黙ってついていく。

 周囲の雰囲気に圧倒されているという理由もあるのだが、それ以上にこの客を引かせているのは人の多さだ。

 見たところ、芸能事務所のマネージャーが十名ほど。広告代理店に音源発信社の営業担当がこれまた本当に必要なのかと疑いたくなるほどの人数。

 この全てが今から尋ねる客に従い、従属し、依存している連中である。

 客の口が思わずへの字に曲がった。

 儀礼として行われたマネージャーのノックの音が聞こえる。

 技術的には、部屋に近づく者がある場合はそれとなく知らされる防犯装置が働くし、扉の前に立った場合は自動的にその顔を判断して、登録されていない場合は排除行動を行う仕掛けだ。

 つまり、ノックが出来る段階である程度の信用ある人物ということになる。

 扉が自動的に開け放たれた。

 声が届く範囲に、いつも居られるほどに狭い部屋ではない。

 開け放たれたいうことは、それは同時に入室が許されたと言うことである。

 マネージャーは恭しく一礼すると、部屋に入り込む。

 派手な客もそれに続くしかない。

 部屋の中は真っ白だった。

 このクラスになると調度品も選べるようになるのだが、それにしても白ばかりだ。

 床も真っ白な大理石で、壁紙も白。

 周囲がこれだけの白だと、自分の位置を見失ってしまいそうになる――妙な浮遊感を感じてしまう、と言うべきか。

「ありがとう。下がって良いよ」

 柔らかな男の声が聞こえる。

 そちらを見てみれば、ちょうど二階から降りてきたらしい一人の青年の姿があった。

 サテン地の大きく襟元の開いた白いシャツ。

 つや消し黒のパンツと、シンプルな出で立ちながら、その装いにはどこか華があった。

 首からは銀のロザリオ。

 両耳に、サファイアのピアス。

 その色は、自分の両の瞳に合わせたのだろう。

 青年の瞳は地中海の青(アッズーリ)のような深く吸い込まれそうな神秘的な輝きを放っていた。

 髪の色は、東洋の漆器のような艶やかな黒。

 顔立ちも、特徴として人に印象を与えるパーツはないが、それだけに調和の取れた完成された美しさをそこに見いだすことが出来る。

 彼こそがカイ・マードル。

 今現在、一週間の世界ア・ウィーク・ワールドでもっとも人気のある男性アイドルと言っても良いだろう。

 今は一週間の世界ア・ウィーク・ワールドを巡るツアーの最中で、イシュキックではそのファイナルが開催される予定である。

 カイに限らず、ツアーのファイナルをこのイシュキックで迎えることは、芸能界ではほぼ慣例となっていた。そういうシステムが出来上がっていると言っても良い。

 その為に恐らくは疲労も蓄積しているだろうに、自然に人を引きつける笑顔を浮かべたまま、カイはトントンと階段を下りてくる。

 マネージャーはカイに対して一礼すると、そのまま派手な客にも一礼して部屋を出て行った。

「ようこそクーン。実際に会うのは初めてだね。僕がアガンだよ」

 二人きりになってすぐに、青年はそう話しかけてきた。

 派手な客――クーンはその言葉に戸惑いの表情を浮かべていた。

「気持ちはわかるよ。君はほとんど同じだねクーン。わざわざ来て貰ってすまなかった」

「本当に……アガンなのか?」

「向こうでの僕は、欲望を解放しているからね。おかげでこっちでは良い子で居られるんだよ。で、ボロが出ないように普段からこういう風にしているわけさ」

 納得できるようで、納得しきれない話ではある。

 が、実際そこに拘ってもお互いに益はない。

 アガンという名前を知っていて、自分をクーンだと認識できる。

 それに何より、天国への階段(EX-Tension)で指定されたとおりに行動したら、このトップアイドル様のところにまですんなりと通されたのだ。

 それがこれ以上ないほどの、カイがアガンであることの証明になる。

「さて……今日は割と時間に余裕がある。何か飲むかい?」

「安い酒なら貰おうか。だがまぁ、その前にやるべき事はやっておこう」

 クーンはそう言って、懐から樹脂製のタブレットケースを取り出した。

「いつもの通り五十錠だ」

「ああ」

 言うまでもなく接続延長役ハイアップである。

 非合法の薬物に分類され、製造、売買、所持共に固く禁じられているが、禁じられているからこそ商売になる。

 カイは、受け取ると黙ってマネーカードをクーンへと差し出した。

 クーンは無言でその残高を確認し、大きくうなずく。

 カイは、クーンの上客の一人であるのだ。

 だが上客と言っても、こんな風にクーンが手ずから捌くようなことは通常なら行わない。

 クーンの部下を向かわせて終わりである。

 リスク管理の面から考えてもそれが当たり前だ。

 だが、今日はカイから直々に呼び出された。

 どうも、薬の入手以上の用件があるようだ。

 カイは薬を大事そうに金庫――これも当然の如く白である――にしまうと、バーカウンターからバーボンを取り出した。

「これでいいかい?」

「よくわからんが、いいだろう。で、酒盛りをしよう……って話じゃないんだよな」

「ああ。まずこれを見てくれ」

 その声と同時に、部屋の照明が落とされる。

 随分とこの部屋を飼い慣らしているらしい。

 その薄暗さの中で、カイはロックに仕上げたバーボンのグラスをクーンに差しだした。自分の左手にも同じものを持っている。

 そして、そのグラスを掲げるようにすると、白い壁に大きく一枚の写真ホロが映し出された。

 そこには蜂蜜色の豊かな巻き毛が特徴的な女性の姿。

「誰だ?」

 カラン、とクーンがグラスの中の氷を鳴らして尋ねる。

「リュミス・ケルダーと言ってね。天国への階段(EX-Tension)で今、大人気のアイドルだよ。聞いたことぐらいはあるだろ?」

「あ、ああ。言われてみれば確かに。だけどこんなんだったかな? もっとこう派手な……」

天国への階段(EX-Tension)では彼女は髪の色や瞳の色とか、かなり自由フレキシブルに変えているからね。ただこれは……現実世界でのライブ告知の宣材なんだ」

「現実? そんなことしてるのか?」

「ああ。実は彼女は数日後に、このイシュキックにやってくる。天国への階段(EX-Tension)でのファンの要望に応えて、彼女は時々、生身でのライブを行うんだ」

「ははぁ……それはご苦労なことで」

「そこで君の手を借りたい」

 いつの間にか、カイの声に欲望の色が付いていた。

 カイは壁のリュミスに向けて、グラスを掲げて見せている。

「俺の?」

「彼女を攫って欲しい」

 あっさりと告げられたその依頼に、クーンは一瞬理解が及ばなかった。

 だが、その依頼は確実に犯罪行為だ。

 自分を呼んだ理由はそれで理解できたとしても、よくわからないのはその動機だ。

「そりゃあ……金さえ出してくれればそれぐらいはするけどよ。あまりに大人げないんじゃないか? お前とは全然格が違うだろ。危険な橋を渡っても割に合わない――」

「いや違うよ。彼女の活動の妨害は目的じゃない」

 カイは、さわやかな笑みを浮かべた。

 クーンはその笑みに焦臭いものを感じながらも、もう一つの可能性を口にする。

「自分の女にしたいってんなら、アンタなら股を開く女たくさんいるだろ。これもわざわざ俺に依頼することは……」

「実はそっちも違う。まぁ、女はいくら居てもいいだけどね」

 間違いなくアガンだ、とそこでクーンは確信した。

「GTにパートナーが居るのは知ってるだろ? 会ったことは……」

「どうも、そいつに一度撃ち殺されたらしいが、直には見てないな」

「そのパートナーの正体がリュミスなんだ」

 カララン……

 と、クーンの持つグラスが涼やかな音を奏でた。

「……驚かせてしまったかな?」

「驚く以外のことができるか? ――それフォロンには」

「言ってない。ここは二人で片付けてみないか? そのままGTの正体もわかれば、さらに面倒事が減る。もちろん、聞き出す時に役得もあるだろうね」

 その提案に、黙り込むクーン。

 仲間内で自分たち二人の立場が微妙なものになっているのは感じている。

 ここで一つ手柄を上げて立場を強化しておきたい――そういう意図があるのだろう。

 カイは自分の欲望もそこに乗っけているようだが、クーンにしてみれば、それによってもたらされるであろうGTの情報により魅力を感じる。

「……そのリュミスが、パートナーというのは確かなんだな?」

「それは間違いない」

 その強い言葉に、クーンも覚悟を決めた。

 起死回生を狙ってのことか、それとも自分の欲望を優先させてのことか。

 今まで、最重要情報を黙っていたことに疑問を感じないではないが、それだけにその情報を自分だけに明かしたと言うことは、逆にその情報に信憑性があると考えることも出来る。

「……で、リュミスがイシュキックに来るんだって? どの連絡船に乗ってくるんだ?」

「それが難しいところでね。彼女は個人でクルーザーを持ってるんだ」

「何?」

 今度こそ、クーンは声を上げて驚いた。

「お、おい、まさか超光速船か?」

「ああ」

「なんて奴だ……」

 個人用の超光速クルーザーは言うまでもなくもの凄く高い。

 見たところリュミスの年齢は、行っても二十代前半と言うところだろう。

 この年齢で、クルーザーを買うほどの金を貯める――クーンにはそれが何よりも驚きだった。

「それで、航法士も雇ってるんだろ?」

「いや、それがね」

 カイは、喉の奥で笑う。

「……彼女自身が航法士なんだ」

 クーンは大きく目を見開いた。

 現在の一週間の世界ア・ウィーク・ワールドにおいて、航法士はほとんど異能者扱いである。

超光速航法。

 それが実際にどんな仕組みで果たされているのかを、人類のほとんどは知らないままそれを受け入れてしまっている。

 現状の社会情勢において、超光速航法を受け入れないまま過ごすと言うことはほぼ不可能であり、喩え一つの惑星ほしで生涯を過ごす者がいたとしても、惑星ほしそれ自体が生存し続けるためには他の惑星ほしとの連携は不可欠で、それを成すためにはやはり超光速航法に依存するしかない。

 その航法の重要な要因の一つに位置するのが航法士だ。

 超光速航法のブラックボックスが機能して、現行の物理法則から船体が切り離されている間に、

「目の前の星には、直ぐに着く」

 と“思いこむ”ことで“世界をねじ伏せ”船を超光速へと導く者。

 それが一週間の世界ア・ウィーク・ワールドにおける水先案内人、航法士の役目である。

 A級航海士ともなれば、思いこむ、というレベルではなく“見えてるのにすぐに着かないと思う方がどうかしている”と他を見下し“世界の中心が自分だと確信してる”という、天上天下唯我独尊の鼻持ちならない奴らばかりと言っても良い。

 こういう人間が育つのはかなり希で、そもそも世界を停滞させた大元、相対性理論(アインシュタイン)の洗礼を今の人類は少なからず受けており“思いこむ”前に常識が邪魔をする。

 最初の航法士は今よりも、もっと相対性理論(アインシュタイン)が幅を効かせていた時代に出現したことになるから、それはもうほとんど狂人と言っても良いだろう。

 何しろ、航法士は宇宙船の操縦士であることが絶対条件なのだ。

 それであるのに相対性理論(アインシュタイン)を頭から否定する非常に面倒な人物こそが最初の航法士。

 しかし、そういう人物を連合は養成しなければならない。

 さらに相対性理論(アインシュタイン)に対して懐疑的な教育を施す。

 これを続けていけば、宇宙自体がパラダイム・シフトを起こす――はず、と言われているがそれがいつ起こるかは誰にもわからない。

 だが、航法士とはそれだけの存在である。

 一週間の世界ア・ウィーク・ワールドの人口が、現在約300億。

 その中で、航法士の素質を持つ者は潜在的な者を含めても約100万人と言われている。

 その希少種が、同時に天国への階段(EX-Tension)でのアイドルだというのだ。

 職業選択の自由は確かにある。

 だが航法士の素質が認められた者は、概ね航法士の職業を選ぶ。

 なぜなら、圧倒的な報酬で報われるからだ。

 連合の連絡船に乗り込んでも良いし、先ほどクーンが言ったとおり企業なり個人なりに雇われても良い。

 まず間違いなく天国への階段(EX-Tension)で、地下アイドルしているよりは生活も安定するし、収入も良いはずだ。

「それ、間違いないのか?」

 そういう理由もあって、クーンは今一度確認した。

「ああ。その点は何度も確認した。僕も信じられなかったからね。彼女は謂わば自分のクルーザーに引きこもった状態なんだ」

 言われてクーンは想像してみる。

 安楽椅子リフティングチェアは、個人で所有することも可能だし、それを宇宙船に積んだところで機能不全を起こすことはない。

 つまり天国への階段(EX-Tension)接続ライズすることは可能だ。

 その上で、本物の彼女がどこにいるかは誰にもわからないのである。

 広い宇宙に一人きりで、彷徨っている――それがリュミスの普段の生活。

 確かに、引き籠もりと言っても良い。

 だが、その光景を想像できたことでクーンの脳裏に閃くものがあった。

「……おい、これフォロンも巻き込めるぞ」

 その言葉に、カイは眉を潜めた。

「何を言い出すんだ。リュミスのことは内緒にしていたと言ったろ」

「だが、そのリュミスがそんな妙な状態であることは言い訳に使えるだろ。あいつの力は使えるなら使えた方が良い」

「……だが、それは天国への階段(EX-Tension)限定の力だろ? この場合、何の助けになるんだ?」

 その指摘に、クーンはぐっとグラスを呷った。

 その頬が染まっているのはもちろんアルコールのためではないだろう。

「……そうか。そうだよな」

「わかってくれて嬉しいよ。で、最初の依頼だが……」

「いいだろう。必要なのは細かなデータ。それに金だ」

「金? おいおい、これは君にだって益のある話じゃないか? それに情報を提供したのは僕だ」

「わかってる。だが、人を動かすとなると俺の部下だろ。手当も出さなきゃならんし、士気を上げるには特別報酬、攫ったリュミスを輪姦まわすのを止めさせるには別の鼻薬を嗅がさなきゃならん」

「君の部下は野獣の群れかい?」

「人のこと言えた義理か。だから折半だ」

「折半?」

「さっき言ったみたいな人件費を半分出せ。その代わりにリュミスはお前にそのまま引き渡してやる」

 ゴクリ、とカイの喉が鳴った。

「……いいだろう」

 その様子を見て、やっぱりアガンだな、とクーンは再確認した。


                     ~・~


 くどいようだが新・カリアリは夏である。

 地中海性気候に区分されるだけあって湿気は少なく乾燥している分、過ごしやすくはあるのだが、暑い事に変わりはない。

 そんなカリアリの夏の市街地を、薄汚れた合成繊維のシャツに、飾り気のない灰色のチノパンをサスペンダーで吊った東洋系の男がフラフラと歩いていた。

 再開発された綺麗な通りではなく、昔ながらの蜘蛛の巣が如き路地を右に左にとさまよっている。

 言うまでもなく、ジョージだ。

 数ヶ月前、モノクル――シェブランの情報からイシュキックにやって来てからも三食ロブスターという、変わらない生活をおくっていた。

 イシュキックについて直ぐにねぐらを確保したあとは、ロブスターを売っている店舗を確認。

 それだけでジョージの生活は満たされてしまう。

 もちろん、ロブスターを買うために相変わらず天国への階段(EX-Tension)には出入りしているわけだが、そのための手配はシェブランが行ったので、言ってしまえばジョージのあずかり知らぬ作業である。

 今日はすでに天国への階段(EX-Tension)での定期連絡は終わっているので、今は昼食用のロブスターを求めて、いつもの店に向かうところだ。

 この惑星ほしはロブスターは自前で取れるらしく、安いし、品切れの心配もない。

 それを実感したジョージは、イシュキックを旅立つ事態が訪れた時用に、そういう惑星ほしを調べていくつか候補として頭に叩き込んでいた。

 カルキスタに留まっていた理由を、今となってはどうやっても探せ出せない。

 あと一つ路地を曲がれば、観光客用でもなく、妙な手を入れていない、地元民用の食料品店がある。

 老夫婦で経営していて、未だにジョージのことを常連だと認識していないところが、また良い。

 その食料品店が、視界に収まろうとしたその時、その視界を遮るものが現れた。

 まず、目に入るのはスリムなシルエットの黒スーツ。

 この暑さの中、とても正気とは思えないが、スーツ姿でなければならない職業というものはある。

 ジョージは、ザッとそのスーツ姿の男を確認した。

 まず身長。

 2メートルはあるだろう。だが、それに比例した身体の厚みがあるわけではない。

 研ぎ澄まされたナイフのような印象だ。

 アフリカン独特の筋肉の付き方が、周囲の空気に緊張を強いている。

 その男がジョージに向けて真っ直ぐに頭を下げてくる。

 本当に空気を切り裂いたのではないかと思えるような、鋭い会釈だった。

 その挨拶一つで、ジョージは悟った。

 裏社会の人間だ。

 もっとも自分に挨拶をしようという輩が、まともな人間のはずはない。

 すぐに頭を上げた褐色の顔には笑みが浮かんでいる。

 それも威嚇するような笑みだ。

 どうやら人生の中で、余り笑った経験が無く、それでも自分に媚びなければならない事情が発生したらしい。

 そこまで判断したところで、ジョージは先に折れることにした。

「……何か用か?」

「はい。まずは挨拶が遅れましたことを――」

「そのあたりの下りは良いから。挨拶できない事情も何もかも俺は承知してるよ。だからこそわざわざ声を掛けてきた、今の状態が信じられないわけなんだがな」

「では、譚先生。ここは単刀直入に折り入ってお話が」

 男が普段の表情なのか、眉間に縦皺を浮かべてジョージに迫ってきた。

 なかなか端整な顔立ちではあるが、非常に暑苦しい。

 年は四十代程……だろうか?

「まぁ、こうやって接触してきたからには、何かしら覚悟を決めては来たんだろうが……」

 ジョージの視線が、男の向こう側にある食料品店を探す。

「もちろん、昼食はご用意してます。ええ。ロブスターを」

 この日のジョージの運命は決した。


◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


第十一話です。

計画通りに書いていたらボリュームが圧倒的に少ないことに気付いたので、超光速航法について、適当に書き連ねました。

これで以前一本書いているので、思いつきで書いたものではありませんが、まぁ、シニカルルーレットではあまり突き詰めなくても良い部分でしょう。


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