シャイターン・ルキフェール兄弟についての考察 2
(どうしよう・・・私、死んじゃうのかな。)
(それはわからぬが・・・皆が手を尽くしてくれておる。皆を信じようぞ。)
(うん・・・。)
サタンの前で醜態をさらした事件、あれから一週間。
私は絶賛隔離中だった。
と、いうのも、アーシュと同じ病気に感染したのではないか、という疑いがかかったからだ。
確かに彼はずっと私の教師として側にいたのだから、うつる可能性は十分あった。
ぐったりとした私を運んでくれたサタンとは、あれ以来会っていない。いや、彼だけでなく医者以外とは、と言った方が良いだろう。
さすがに私が魔王と同居?しているだけに、周りはやっきになって治療をしてくれようとしている。入れ替わり立ち替わり別の医者がやってきてはあれこれと診察をしていくのだが、残念ながらいまだに原因はわからないらしい。
(私、アーシュが病気になったって聞いたとき、心の中でやったーとか思った。しばらく会わずにすむ、って安心したの。アーシュは7公爵で、魔界にとって重要な人で・・・ううん!それ以前にとても良い教師で、親切にしてくれたのに・・・本当は心配しなくちゃいけなかったのに。だからそんなアーシュの不幸を喜んだ私にバチがあたったのかも・・・。)
(エリカよ。反省するのは悪いことではないと思うが・・・病は気から、と申すではないか。その様子では良くなるものも良くならぬぞ?)
(うん・・・そうだね。)
部屋を出ることも許されず、謎の病気にかかって一週間。さすがの私も憂鬱な気分になってくる。
診察を受ける以外はすることもないので、毎日本を読んだり外を眺めたり。
話し相手にお局様がいてくれるだけまだ良かった、ということなのだろうけど・・・。
「はぁ・・・。」
ついつい、ため息が出てしまう。
見知らぬ魔界で知人友人もなく、原因不明の奇病に冒されて平気なわけがない。
しかも、感染を恐れて無菌室のような部屋に入れられて、他人との接触をしないように隔離されている。
この状況に不満がないわけではないが、だだをこねるほど子供でもない。
(私だって誰かにうつしたいなんて思ってるわけじゃな・・・い?・・・あ!)
浮かんだ考えに、私はぞっとした。
アーシュが自宅療養になってから、私が接触した人物に思い当たったからだ。
その人物とはとても近い距離で話をして、手を握って、それから・・・。
(お、お局様!どうしようっ・・・サタンにうつしちゃったかも知れない!)
私は思わず自分で自分の肩を抱きしめた。
病気にはいろいろある。
空気感染や、皮膚・体液の接触による感染。
今すぐ病気だとわからなくても、症状が出るまで潜伏期間のある病気もある。
どの程度の感染力があって、どこまで広まってしまっているのか。
専門家である医者が何人も関わっているのだから、私が思い浮かぶことくらいすでに対処済みだろう。私と接触した人も全員なんらかの診察は受けているのだろうけど・・・。
(どうしよう・・・どうしたら・・・サタン!)
うつしてしまったかも知れないという不安と同時に、たまらない罪悪感がこみ上げてくる。
彼はとても優しく髪や頬を撫でてくれた。
男の人にあんな風にされたのは初めてで、戸惑って、混乱して・・・。
でも、全然不快じゃなかった。
正直嬉しかった。
単純と言えばそれまでだけど、たった一日でサタンに惹かれ始めていた。
その彼に、得体の知れない病気をうつしてしまったとしたら・・・。
私は頭をかきむしった。
自分が病気だと確定したわけではないけれど、可能性がある時点で彼に会うべきではなかったのだ。
(この身体が病気なのかもまだわからぬのじゃぞ。そう無闇に自分を責めるものではない。)
(そうだけど!もしサタンが病気になったら私のせいだよ。私が・・・私がうつしたんだ!)
(エリカ・・・。)
今、彼は何をしているのだろう。
身体の調子が悪くて寝ているだろうか。それとも診察を受けているだろうか。
もしかしたら彼も隔離されて・・・。
先に発病したというアーシュの様子を思い出してみる。
潤んだ目と紅潮した頬。今思うと、あれは熱があったのに違いない。
咳や鼻水は無いようだったが、おかしな事を口走っていた。あの時は私も驚いていたからまともに取り合わなかったが、もしかしたら、熱のせいで意識が混乱していたのかも知れない。
そんな病気がサタンにうつってしまったのだとしたら・・・。
アーシュが病気と判断されてから、もう2週間が経つというのに未だに治療法もわかっていない。そんな病気に感染してしまったなら、きっとサタンは不安でいるだろう。
そう思うと心配でたまらなかった。
(それに、私からうつされたことを恨んでいるかもしれない・・・。)
サタンを心配していると同時に、彼に嫌われることを心配している自分に嫌気がさして、思わずため息が出た。
その時、ノックの音がした。
また医者が診察に来たのだろう、と返事をすると、ドアが開いて一人の男が入ってきた。
長身で金髪碧眼の、王子様のような外見の・・・。
「サタン!」
私は思わず駆け寄って、抱きついていた。
「サタン、大丈夫だった?私、」
「離れろ、馴れ馴れしい。」
私の言葉を遮るようにして降ってきたのは、冷たい拒絶の言葉だった。
同時に身体を引きはがされ、腕を放されると、私はよろよろと後ろに転んでしまった。
見上げればこの間とはうってかわって、突き放した表情の彼がいた。
ここに来ることができたと言うことは、彼は感染しなかったということだ。
そう思い彼を見る。
具合が悪そうには見えない。
メガネをかけて白衣を着ているところをみると、彼は医者だったのだろうか。私は彼のことを何も知らなかった・・・。
いや、それよりも、ショックだったのは彼の態度だ。
彼の表情に、このあいだ会ったときのような甘さはひとかけらも感じられなかった。笑顔でもないばかりか、見下ろす視線は苛立たしげに細められて・・・。
「あ・・・ご、ごめんなさい。私は病気なのに・・・さわったりして・・・。」
「病気かどうかは問題にしていない。私が言いたいのは、気安く抱きつくなと言うことだ。」
「・・・・・・ごめん・・・なさい。」
堅い口調で告げられた内容は、明らかな拒絶、だった。
病気だから、感染するかも知れないから、という理由で近寄るなと言っているわけではない。
(私だから・・・私のことが・・・嫌いになったから・・・?だから、触られるのも嫌だってことなの・・・?)
私が病気になったから?
それともうつしてしまう可能性に気付かずに、サタンや他の使用人達と接してしまった馬鹿な女だから?
あの日の優しい態度は、臣下としての礼儀だった?
それはそうだ。私はお局様と身体を共有しているだけの存在で、実際はただの人間だ。身分も地位もある公爵が始めから本気で相手をするはずもない。
少しは仲良くなれたのだと思い上がったのが、ひどく恥ずかしく思えた。
そんなずうずうしい思いを見抜かれて、嫌われたのかも知れない。
そう思うと、ふいに目の前がかすんだ。
「う・・・。」
あっという間に堰を切ったように涙があふれ出した。
そして、一度あふれ出した涙は止まることなく次から次へとこぼれていった。
嫌われた・・・嫌われてしまった。
そう思ったとたん、一週間の間ため込んでいた気持ちがこみ上げてきて、押さえきれなくなってしまった。
サタンの言葉はきっかけ、だった。
きっと、魔界に来てから今までに積もった不安と不満と、寂しさ。どうして自分がわけのわからない病気にならなくてはならないのか、という行き場のない怒り。そんな様々な感情で、もう心が一杯一杯だったのだ。とっくに許容範囲を超えてしまっていたのだ。
「お・・・おまえ。泣き落としなど・・・卑怯ではないか。」
「ち・・・がっ・・ヒック・・・うう・・・。」
「くっ・・・泣くな・・・泣くなと言っている!」
「ぐ・・・ふぇ・・・・う・・・っく・」
幼い頃から滅多に泣かない子供だった私は、大人になってからはさらに泣かないようになっていった。
なのに、今回ばかりは涙腺が壊れたかのように涙が止まらない。
止めたくても止まらないのだ。
サタンは泣くな、と言うが、普段あまりにも泣かないせいで、涙が止まらない。止めようにも、止め方があるのかもわからない。
泣き続ける私に、サタンは苛々と言葉をぶつけながら部屋を歩き回っていた。
泣きながら謝る私と、腕を組み落ち着かない様子で歩き回るサタン。
しばらくそうしていたが、そのうちだんだんと私に近づいてきて目の前に膝をついた。
彼の口から深いため息が漏れる。
「いい加減泣きやんだらどうだ?」
「うう・・・っふ・・・ごめ・・なさ・・・っい。」
「・・・もういい。」
「ご・・・めんな・・・さい。・・・も、もう・・・触らな、い・・・から・・・っく。ごめ・・・・ううぅ・・・ん・・・」
「チッ、もうよい、と言っているであろう!」
「ふっ!うう・・・ああぅ・・・ああぁ。」
舌打ちと、怒気のこもった口調に、余計に涙があふれた。
まるで、今まで泣かないで生きてきた分の涙が、まとめて流れ出しているかのようだった。
「あぁ・・・まったく・・・面倒な・・・。」
言葉通り心底面倒そうにつぶやくと、彼は私の腕を引っ張って抱き上げた。歩いてベッドまで行き、私を抱えたまま腰を下ろした。
私は彼の足の間に座る形になり、その胸に顔を押し当てられていた。
「ん・・・っう・・・う・・・。」
「泣くなと言うのに・・・。おまえは頑固だ。もう止める気も失せた・・・気の済むまで泣けば良い。」
そう言って彼は、ゆっくりと私の頭を撫でた。
「ご・・・めんなさ・・・い・・・うぅ・・・。」
「もう、わかったから・・・それ以上、謝らずともよい。」
鬱陶しそうな、面倒くさそうな。
けれど、その口調にもう怒りは含まれていなくて・・・。
「私も・・・言い過ぎた。・・・悪かった。」
最後の言葉は聞き取れないほど小さかったけれど、確かに謝罪の言葉だった。
それを聞くと、あれほど止まらなかった涙はもう溢れてはこなかった。
(許して・・・くれた?・・・嫌われて・・・ないの・・・?)
訝りながら、じっと身動きできないでいる私と、黙ったままの彼。
押しつけられた彼の胸の鼓動とぬくもりが、あやすように時折頭を撫でる手が、しゃくり上げ震えていた身体をだんだんと落ち着かせてくれた。
すっかり大人しくなった私を抱えたまま、彼は皮肉っぽい口調で言った。
「なんだ、泣いて良いと言ったら、泣きやんだのか。ふっ・・・おまえは天の邪鬼だな。」
「・・・・・・。」
そう言われるとその通りな気がして、なんだかひどく恥ずかしいような気持ちになる。
「ククッ・・・ひどい顔だ。」
彼は私の顔を覗き込むようにして笑っていた・・・人の悪そうな笑顔で。
あれだけ泣いたのだから、顔も赤く目も腫れているのだろう。不細工なのには違いなく、予想はついたけれど、それにしても・・・。
(こんな表情もするんだ・・・。)
先週会ったときは、あんなにもさわやかな笑顔を浮かべていたのに、今は打って変わって意地の悪そうな顔をしている。あの時は猫を被っていたのか。だとしたら、本当の彼はこちらなのかも知れない。
顎をそらし、口角をわずかにあげて見下ろす様子は・・・なんというか・・・とても偉そうだ。
彼の演技にすっかり騙されていたようで悔しい気もするけれど、今こうして本当の彼を見せてくれているのならそれでいいとしよう。
そんなことを考えていた私に、彼はそれは大きな爆弾を落としてくれた。
「そうだ・・・誤解をしているようだから言っておくが、私はサタンではない。」
「・・・え?・・・・・・えええええええええーーっ!?」