アエーシュモー・ダエーワについての考察 3
一つの身体に私とお局様。
プライバシーも何もない状態で正直どうなることかと思ったけれど、お局様の趣味は寝ることだそうで、ほとんど寝て過ごしている。おまけにとてもおとなしく無口なので、はっきり言って意識していないとこの身体にもう一つ人格があるだなんて忘れてしまいそうなくらいだ。
(平和だ・・・。)
もともと、12歳のお局様はまだまだ勉強中の身で特にこれと言った仕事はないらしい。
そんなわけで、ちょこっと勉強をしつつ美味しいものを食べ、広い魔王専用風呂でくつろいでから見たこともないような豪華巨大ベッドで眠る、というセレブ?な生活を送っていた。
こうなってくると現金なもので、ここで暮らすのも悪くないかな、なんて思えてきた。
(そうだ。転職したと思えばいいんだ!)
転職ついでに単身赴任。職業は「魔王」で、赴任先は「魔界」。
ちょっと人とは違うけど、私にしかできない専門職に就いたと思えばいい。人生前向きが一番。どうにもならないことは、さっさと諦めるに限る!
「・・・といったように、魔界は6層に分かれ、各階を7公爵とおつぼ・・・魔王が取り仕切っております。ここまではおわかりいただけたでしょうか。」
おっと、今は授業中だった。
「はい。7公爵の名前は一度じゃ覚えられなさそうですけど。」
実際はまるで聞いていなかったのだが、すましてそう言った。
「大丈夫です。私が側におりますから、いざというときには聞いていただければ。まぁ、すぐに名を呼ぶような事態にはならないでしょう。ですが・・・せめて、私の名前くらいは覚えてもらえると嬉しいのですが。」
「はぁ・・・・すみません。名前を覚えるのが苦手で・・・。」
「私の名前はアエーシュモー・ダエーワです。ふふ・・・5回も名乗ってしまいました。」
そう言って困ったように笑う美形・・・はスタントマンではなく(なぜ!?もったいない!!)、なんと魔界で魔王に次ぐ地位を持つ7公爵の一人らしい。つまりとても地位が高い支配階級の人間・・・ではなく、魔界人なのだ。
それにしては腰が低く、話し方も丁寧なので、とてもそのようには見えない。
いや・・・おそらく最初の印象が悪かったのだろう。
なにしろ鼻血を垂れ流しているところしか見ていないし。
(怒っていないのかな?)
そう思って彼の顔を眺めてみる。
その顔は穏やかなままで、怒っているとか、恨んでいるようには見えないが・・・。
こちらに来てから一週間。
彼は私の側近として、教師のようにあれこれと教えてくれていた。身の回りのことはお局様でもわかるのだが、そこは所詮12歳のお子様。教師役としては役不足だったのだ。
それに引き替え彼・・・。
(ええと・・・あえーすだーも?だっけ?・・・あえすーも・・・ん。これも違う・・・あーしゅもえー・・・もういい。めんどくさいから、私の中で勝手にアーシュと呼ぶことにしよう。)
アーシュはすばらしい教師だった。
頭の悪い生徒(私のことね)に怒ったりせず、誉めるべきところは誉め、おだて、根気よく教えてくれる。
あんなに何度も殴ったり蹴ったりした私に・・・。やりすぎた・・・かも知れない。さすがに・・・うん。
わずかに・・・ほんとーーにわずかに罪悪感を感じる。
なぜ「わずか」なのかって?だって、お局様、って何度も言いやがったからっ!このやろーーっ!!ハァ、ハァ。
でもまぁ、とりあえず謝っておこう。私も大人だし。今後のこともあるしね。
「あの、初めてあったときのことだけど・・・その・・・ごめんなさい。」
「初めてあったとき、ですか?何か・・・謝っていただくようなことがあったでしょうか。」
不思議そうに答えるアーシュ。
少し見開かれた目がまたいつもと違った趣で、愛嬌があるというか、それはそれで美しくて、むふふ・・・じゃなくて!
(ぐっ・・・これはそうとう根に持たれてる!)
一見何の含みもなさそうに見えるが、あれだけの鼻血を吹かされたのに覚えていないわけがない。
はっ!そうか・・・そうだよね。謝るのが遅すぎた。毎日顔を合わせていたにもかかわらず、一週間も放置していたのだから彼が怒ってもしょうがない。
よし、ここは誠意を持って謝ろう!
私だってだてに社会人として6年もキャリアを積んでいない。お客様や上司相手になんど謝り倒したことか。今こそその経験を生かすべき、だよね。
私はソファから立ち上がると、テーブルを挟んで向かい合ったアーシェに近づいた。そのまま腰掛けた彼の足下に膝をつく。
「すみません。あなたが怒るのも無理はありません。もし私があなたの立場だったら、あんなに酷いことをされたら二度と口をきかなかったと思います。それなのに、あなたは私にとても良くしてくれて、」
「そのような!私ごときに跪くなど、いけません。どうか、こちらに。」
言いかけた私を遮るように、彼は私に手を伸ばした。両肩を掴むとソファに座るよう、促す。
私はおとなしくそれに従って、彼の横に腰掛けた。
「そんなふうに謝る必要はありません。あなたはおつ・・・魔王なのですから。」
「それは・・・。確かにそうかも知れませんが、魔王だからといって何をしても許されるなんて思っていませんから!そういうの大大大っ嫌いなんです。上の立場だから好き勝手するなんて、パワハラですからね。だから!だから、あなたが許してくれるまで私は何度でも謝ります!」
身を乗り出して迫る私に、若干引きつつ彼は押し戻すように私の肩を押した。
「お、落ち着いてください。」
「私は落ち着いていますっ。」
「でしたら、その・・・も、もう少し離れていただけると。」
「許してもらえますか!?」
「いえ、許すとか許さないとか、私は・・・。」
「とーーーーっても反省しているんです!痛かったですよね。血も出ていたし・・・本当にごめんなさい。」
「わ・・わた、私は・・・い、いえ・・・何というか、その・・・。」
「あの時はどうかしていたんです。気がついたら知らない場所で・・・魔界に来てしまって混乱していたし。いえ。これは言い訳ですよね。すみません。」
ソファに乗り上げ、詰め寄るようにして迫る私。
それを見上げるアーシェ。
その目は怯えたように落ち着き無く辺りをさまよい、私の顔を見上げ、また目をそらしてさまよい、また見上げてきた。
その様子が私に勇気をくれた!
彼の心は折れつつある!!
(よーし、もう一息だ!)
私は彼が逃げられないよう腕を掴むと、じっとその目を見つめ、重ねて訴えかけた。
「ごめんなさい。本当に。あなたが怒る気持ちはよくわかります。」
「い、いえ・・・ですから。」
「お局様が呼んだとはいえ、私なんかが現れてあなたも不満でしたよね。しかも!その私に何度も殴られたりして。あなたは抵抗できないのにっ!」
「っそ、そのような・・・私は。」
「あなたを責めているわけではないんですっ!」
彼の手を両手で握りしめ、目をじっと見つめる。
そらさずに、じっと。
じっと・・・じいーーーっと・・・。
(こうすれば誠意は伝わるはず!)
すると、彼の目はしだいに潤み始めた。まばたきが繰り返され、長いまつげが涙に濡れる。
頬がうっすらと紅潮し、彼も目をそらせないようだ。
(うう・・・美形だ!フェロモンだーっっ!!・・・と・・・落ち着こう、私。)
あまりの彼の美しさに、つい脱線した思考を無理矢理もとにもどす。
美形教師というのも善し悪しだ、と思う。授業中もなんど見とれて聞き逃してしまったことか!ううっ。
だってしょうがないでしょー。今まで会ったこと無いレベルの美形なんだからっ。
「私はあなたに謝りたいだけなんです。私の気持ち、わかってもらえましたか?」
「あ・・・は・・・はい。」
抵抗を諦めたのか、私の肩を掴んだ手から力が抜けていき、その腕は力無くおろされた。
「お詫びに、と言っては何ですが、私にできることがあれば言ってください。」
「お詫び・・・?」
「はい。私の謝罪の気持ちを形で表すためです。あなたにわかっていただけるように。何か、ありませんか?」
そう言うと、彼は思案するように視線をさまよわせた。
「もし思いつかないんだったら、別の日でもいいんです。」
彼は長い指を自分の唇に押し当て、私の目を見た。何かを言いたげに口を開き、しかしためらうように小さく首を振って言葉を飲み込む。
どうやらなにか思いついたようだが、遠慮して言えないのだろう。
そんな遠慮深いところも、好印象だ。大貴族とは思えない奥ゆかしさ・・・むぅ。顔ばかりか性格まで良いとは!!
「たいしたことはできませんが、できる限り答えたいと思います。」
にこやかに言えば、彼も微笑み返してきた。
(あうぅ・・・まぶしすぎる。)
頬を染めながら笑みを浮かべる美形。
うっかりよろめいた私を慌てて支えてくれた彼は、そっと私の手を取ると、わずかにためらった後で恥ずかしそうにこう言った。
「では・・・あの時のように殴っていただけませんか?」
・・・と。
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・?」
聞き間違いだろうか・・・。
いや、聞き間違いに違いない!と、言うか、むしろ聞き間違いであって欲しい。
私が彼にした仕打ちを反省してお詫びをしたい、と言っているのに、殴ってくれ、とは本末転倒だ。
まさか「右の頬を打たれたら、左の頬をさしだせ」ってこと?そういう教えでもあるわけ?魔界人のくせして、そんなばかな!
きっと、聞き間違い。もしくは彼の言い間違いだ!
私は期待を込めて彼に問いかけた。
「あの・・・今、なんて言ったんですか?良く聞き取れなくて。」
そう言うと、彼は
「では、失礼して・・・。」
と前置きをしてから私の耳元に顔を寄せて・・・ささやいた。
「もう一度殴ってください。お局様。」
私が存分に彼の期待に応えてあげたのは・・・・・・たぶん、純粋に誠意だ・・・うん、たぶん・・・。