バアル姉弟についての考察 4
ルキフェールの話してくれたゼブルとアーシュの過去は、要約するとこんな話だった。
「ラグナロク」と呼ばれる150年前に突然始まった魔界を終末へと誘う危機。出生率の低下と、それにまつわる一連の騒動。様々な知識人による長年の解明の結果、当時の魔王(今のお局様のお母様ね)の追求に答えた当人の証言から「性欲」を司るアエーシュモー・ダエーワの性欲減退が原因だったことが判明する。
当然、周囲が原因であるアエーシュモー・ダエーワを放っておくはずもない。
次から次へと様々なタイプの女性を彼にあてがい、それで駄目なら男性も、といった調子でせっせとアーシュの屋敷に交渉相手を送り込んだ。しかし、彼の性欲はいっこうに盛り返す様子をみせない。手を替え品を替え、と言うわけで、幼女から熟女・老人、さらには人型では収まらず獣型や植物型、スライム型のたぐいまでが彼の屋敷に溢れかえった。
それでもどうにもならなかった。
そこで白羽の矢がたったのがバアル姉弟だった。
バアル姉弟は魔界で最後に生まれた双子だった。今では第一線から引退した彼らの両親は、当時は有力な臣下だった。その両親から産まれた姉弟は血筋も良ければ見目麗しく魔力も申し分なかった。
幸か不幸か性欲の赴くまま喰い散らかしていたアーシュは結婚していなかったため、姉弟ともども結婚相手に選ばれたというのだ。アエーシュモー・ダエーワにあれやこれやと日替わりで押しつけるより、結婚でもさせてじっくり関係を深めさせれば芽生えるものも芽生えて性欲が回復するのでは。そう考えた前魔王の苦肉の策だった。
姉弟二人と同時結婚、とか私的にはありえない!のだが魔界の常識についてここで口をはさんでもしかたないので、するするっとスルースキルを発動しておいた。ふむ。
当初は両親の反対から難を免れていた姉弟だが、魔王直々の推薦という形で逆らえず、姉弟の成人を待ってアーシュを婚姻を結ぶこととなったのだ。
「え!?じゃあゼブルとアーシュは夫婦なの!!??」
驚いて聞いてみれば、ため息混じりの返答が返ってきた。
「いや、そうはならなかった。残念だが。」
「まったく残念じゃねーよっ!!」
ゼブルの悲痛な叫びが聞こえた気がする・・・でも、ごめん。気になるから続きを聞かせてね!ワクワク。
とりあえず婚約アンド同棲から始めましょう!と言うわけで、ひとまず姉弟はアーシュの屋敷に滞在することになった。
しかし弟のペオルは寡黙で極度の人見知り、姉は苛烈で乱暴な性質。二人ともラグナロク以降の生まれで、成人はしたものの性欲やら性行為などというものとは無縁で過ごしてきたのだ。しかも夫(予定)はどんな相手にも欲情しなくなってしまいすっかり自信をなくした遙か年上の男。すんなりいくはずもない。
「アタシは努力した!エロ本も読んだしエロビデオも見たし、男教師をひんむいて男の体まで勉強したんだ。それを・・・それを!くそおおおおお!!!!」
「まぁ、つまり小娘は努力むなしくまったく相手にされなかったというわけだ・・・フゥ、まったく。」
いつものように呆れたため息をついて、ルキフェールは優雅に足を組み直した。
憤懣やるかたない様子のゼブルが怖すぎて、気の毒でもあって、けれど魔王としては避けて通れない話題だということで追求してみる。
「それって、ゼブルがアーシュのタイプじゃなかったってことですか?」
ゼブルはツリ目で勝ち気そうな美少女で、男性なら彼女の溌剌とした健康美に惹かれるところがあるはずだ。見た目は若く見えるアーシュが実は結構年を取っているのだとしたら、彼女の生気溢れるみずみずしさは魅力的に見えるだろうとおもうのだけれど・・・?
そう聞けば、ルキフェールは偉そうにふんぞり返って言い放った。
「あの男にタイプなどという高尚なものはない。」
それは、ルキフェールが知らないだけではないのか。そう思いつつ聞いてみる。
「・・・と、言うと?」
「あの男にあるのは性欲だけだ。来るものは拒まず、去る者は追い詰めて喰らい、女という括りに入りさえすれば手当たり次第にたらし込んで籠絡する。そこに美醜も年齢も種族すら関係はない。もちろん、性格もな。」
「はぁ・・・それは博愛なことで。」
驚きを通り越し、もはやどう言ったら良いのか。
アーシュは女性であればすべて性の対象にできる心の広ぉぉぉいお方らしい。
心が広いってどういう意味かって?だって、私だったら・・・たとえば毛深くてテカテカに脂ぎった中年メタボのタバコ臭いブサイク禿げオヤジとヤれと言われたら、急所に跳び蹴りをくらわして逃げ出す自信がある。いや、急所に靴で触れることさえ嫌だ。性行為どころが手をつなぐことさえ鳥肌ものだ。顔と顔の距離が30センチ以内になったら…ぐはっ、想像だけで涙目になった!失礼ながら反射的に相手と倍の距離を置いてしまうことだろう。
身体的特徴で差別するなんていけない、とは理性では考えるけれど、それはただの理想、キレイゴトですよ。うむ。実際は性交渉はおろか、肩を抱かれるくらいの肉体的接触でさえ背筋が震えて飛び上がるのをこらえた結果の全身サブイボなのです。えぇ、実体験ですが何か?
と、いうわけで、すごい。マジすごいです。アーシュ様。どんな女性でも受け入れられる海より広い心の持ち主!
さすが7公爵。騒ぎの発端にもかかわらず、お局様の教育係に抜擢されるだけのことはあるぅ!
心の中でアーシュを褒めちぎる・・・が、話が途中だった。
「じゃあゼブルがアーシュを嫌いだったとか?」
ゼブルはいわゆる体育会系、と言えば聞こえは良いが、口より先に手が出る行動派だ。アーシュとゆっくり穏やかに会話をする様子など想像もできない。まさか「拳で語り合おうぜ!」みたいな流れになったんじゃあないでしょうね?こう言ってはなんだが色気より食い気、というかそんなタイプだから、上品で落ち着いたタイプのアーシュを物足りなく思ったのかもしれない。
あるいは、ゼブルは処女で経験がないことが原因だったのでは?まぁ、私が語るのもなんだかおこがましいというか、図々しいのだけれど…ごにょごにょ。
ええと、ゼブルはそもそも150年前のラグナロク以降の生まれなわけよね。そうなると、彼女はアーシュが司る「性欲」というものを生まれてから知識としてしか知らなかったのだ。体験していないものは単なる知識で完全に自分の感覚として理解することができない。本で読もうが他人の体験談を聞こうが同じことで、想像でしかない。つまりアーシュに共感できなかったのではないだろうか。
誰彼かまわず手を出すアーシュを「節操のない遊び人が!」だとか「体の関係だけなんて不純だぜ!」だとか少女らしい潔癖さで軽蔑していたというパターンも考えられる。
「べ、別にアタシは嫌ってなんかなかったさ!その時は!!」
涙のにじんだ目で拳を握ってゼブルは否定した。
(と、いう事は今は嫌いナンデスネそうですか…。)
「アーシュに何かされたんですか?」
「何もされてねえっっっ!!!据え膳食わぬは男の恥っつー言葉を知らねーのかよ!!カスがっ!」
そう叫びながらゼブルは拳を振り上げ、勢い良くテーブルに叩きつける。
侍女たちがせっかく片付け入れ直してくれた新しいティーセットとともに、テーブルが陥没した。
(か、陥没した!どんだけ馬鹿力なのよ!!)
私はその直前に伸びてきたルキフェールの手によって、彼の膝の上に救助されて無事でした~危なかった。
(ああ!高そうなティーセットとテーブルが!!)
再び破壊されたティーセットを侍女たちが慣れた様子で片付け、テーブルを運び出していく。そこに別の部屋から新たなテーブルが運び込まれた。
顔色ひとつ変えずに流れる様に動くさまが何とも言えない。日常茶飯事なんだろうなぁ。うん。
そんな私たちに構わず、ゼブルはアーシュがどれだけ酷い男なのかという事を訴え続けている。
ルキフェールは何度か聞いた話らしく、私の髪に指を絡ませたり梳いたり、そのうち編み込みまで始めながら聞き流している。医者だけあって、手先が器用なのだろう…って、私の髪を暇潰しに使わないでっ!
「このアタシが教師に教えられた通りに、ゆ、誘惑とやらをしてやったっつーのに、あいつは手を出さなかった!何もしやがらなかったんだ、チクショウ!!!」
「んーっと誘惑って、何したんですか?」
それまで大人しく話を聞いていたのだが、誘惑という単語がぜブルに似合わなすぎて、思わず問いかけてしまった。
「あいつのフニャフニャしたアレをピーしたりプーしたり、ペーしたりだ!」
「ぶほっ」
ゼブルの口からは放送禁止用語がこれでもかと飛び出し、未経験な恥じらう乙女(私のことよっ!)は思わず食べていたシフォンケーキを喉に詰まらせてむせてしまった。
ルキフェールがすかさずハンカチを取り出し口元を吹いてくれる。
メガネ君なかなかやるな・・・ではなくて。
紅茶を飲んで一息つくと、改めてゼブルに問いかけた。
「うん。それでも駄目だったの?」
「そうだっ。あいつのフニャフニャはいつまでもフニャフニャのままだった。アタシは教えられたことはすべてやった。やりつくしたんだっ!なのに!なのにっ!!フニャフニャめ!!」
「ああ・・・そうなんだ。」
まるきり初心者なはずのゼブルに、一心不乱に奉仕されるアーシュ。ゼブルは必死だったのだろうけれど、その勢いを想像すると正直怖い。
「今でも時々あのフニャフニャがアタシの夢にまで出てきて・・・。」
どうやらアーシュとのことはゼブルのトラウマになってしまっているらしい。
「フニャピー野郎め、アタシの純情を弄びやがって。クソぉぉぉぉお!」
「フニャ・・・って」
フニャフニャ言い過ぎじゃあないでしょうか。ちょっとアーシュが可哀想・・・。
「あのフニャ男は誰にでもいつでもどこでも発情する見境のない男だって聞いていた。それがなんだ!フニャフニャしやがってちっとも硬くなりゃしねえじゃねえか。アタシを馬鹿にしやがってぇぇぇ!!」
そう叫んで、、ゼブルは猛然とシフォンケーキを口に詰め込むように食べ始めた。マヨネーズをかけて・・・。なにその味覚?大丈夫ですか!?
えーっと、やけ食いですね、わかります。
それにしても、アーシュってそんなギラギラした感じだったんだ。今と違いすぎてうまく結びつかない。まぁ「見境ない」なんて言われるということは、節度あるお付き合いだなんてしていなかったってことだ。
何というか、あの優しくて親切なアーシュがそういう誰にでも手を出す不誠実な男だってことが信じられない。いつだって丁寧で、真面目で、物分かりの悪い私にあんなに忍耐強く魔界のことを教えてくれた彼が・・・?
「それって本当にあのアーシュのこと?この間まで私の教師をしてくれていた、あのアーシュ?」
その疑問にはルキフェールが答えてくれた。
「そうだぞ。我ら栄えある魔界7公爵の一人アエーシュモー・ダエーワ。この危機の当事者であると同時に原因。ゆえにおまえの教師となったのだ。責任を放棄してのうのうと隠居など許される訳がないであろう?」
「だって、想像つかないんです。あのアーシュがそんな軽薄な…。」
言葉に詰まった私を見つめ、ルキフェールは唇を皮肉げに上げた。
「別段軽薄というつもりではないのだろう。どれだけ多くの女と平行して付き合っていても、顔と名前と性志向はしっかりと把握しているらしいし、それぞれの相手のタイプに合わせて千差万別の付き合い方していたようだからな。よくもそんな器用なことができたものだ。さすが名誉ある7公爵だけのことはある。」
素直に称賛する様子は、傲慢な彼の性格からすれば意外に思えた。しかし、その眼鏡の奥のアイスブルーの瞳に嘘は感じられない。本当に関心しているのだろう。アーシュのように多数の相手に合わせて対応を変え付き合う、ということがルキフェールとっては難しい、または出来ないということか。
(『なぜわざわざ私がお前に合わせてやらなければならない?私の寵愛が欲しいのならばそちらが合わせれば良いだろう』とか真顔で言いそう。)
うん。ありえるわ。自分が相手に合わせるだなんてプライドが許さないだろうな。
それにしても。
「いやいや、そこ感心するとこですか?複数同時進行とか…。そこに愛はあるんですかね?何股か知りませんが、股掛けされた女性たちは納得していたんでしょうか。」
「さて…どうだろうな。興味がなくて詳しくは聞いていないからなんとも言えないが、やつに特別決まった相手はいなかったようだ。誰にでも平等だった、とでも言えば良いのか。山羊男にしてみれば、性欲を満たす相手なら誰でも良かったのであろう。だがそれを不実だと責めることはできんな。ヤツの役目はあくまで『性欲』で『愛』でないからな。」
(浮気亭主を擁護する男友達か!)
そんなルキフェールの言葉を聞いて、なんだか嫌な気持ちになる。
だって、相手の女性はアーシュのこと好きだったかも知れないのに…。何人の相手がいたのかは知らないけれど、すべての女性がみんな体だけの関係だと割り切って付き合っていたのだろうか?
好きでもない相手とわざわざエッチを含むお付き合いなんてする?多少は好意があったのだろうと思う。それが本気か、浮気か、どの程度の想いかはわからないけれど。それに、はじめはそれほどでなくても、付き合ううちにもっと好きになってしまうことだってあり得る。アーシュが相手の望みに合わせていたのなら、なおさらその可能性は高くなるわけで…。
なにより、アーシュは綺麗で優しくてとても…とても魅力的だから。
「本気になっちゃった女性はいなかったんでしょうか。もしいたら、アーシュの付き合い方って役目だと知っていても辛いと思うし…。」
「ふむ。本気になった女はいくらでもいた。女どもの足の引っ張り合い、いがみ合い、刃物沙汰、殺傷沙汰は日常茶飯事だったな。まぁそれも一興であったのであろう。己を巡っての争いを肴に別の女と酒を飲んでいたそうだからな。」
「はぁ?」
なにその最低男ぶり…。
なんだか話を聞けば聞くほど、余計に信じられなくなってくる。
本当にあのアーシュの話なの??
「やつが今の地位まで上り詰めたのは、そうやって役に忠実に励んだからだ。チビから見れば納得できないかも知れないが…まぁ、そう怒るな。」
ふくれっ面の私の頭をなだめるように撫でて、ルキフェールが言う。
怒るな、と言われても簡単に受け入れることができない。だって、そんなことで、「役」だからという理由で女性の気持ちを傷つけても許されるだなんて。相手の本気の気持ちを弄んで、手当り次第やりたい放題。それを役に忠実だって周囲に認められて、出世するだなんて!
「不満そうな顔だな。だが今話したことはすべて本当のことだ。もし気になるなら本人に直接聞いてみると良い。そのためにも、やはりやつに会ってもらいたいのだが。」
と、ルキフェールの話は振り出しに戻り、アーシュへの面会を求められた。
それに再び反対するのはゼブルだ。
マヨネーズ味の…あれ?いつの間にかマヨネーズではなく、ケチャップがけのシフォンケーキ(うえぇーー)に変わっていた…を脇に寄せて、真剣なまなざしで私を見た。お腹が満たされて少し落ち着いたらしい。お腹を満たす内容物はもう少し考えた方が良いと思うよ、うん・・・。
「魔王。アタシは反対だ。あんなフニャピー野郎に会う必要なんてない。」
そう言って、今度はルキフェールに顔を向ける。
「教師なら、ルキフェール、お前がやれば良いだろ?魔界一の頭脳とやらで、何とかなるだろ?」
「ふん。脳筋でもわかるほど私の優秀さは知れ渡っているようだな。」
持ち上げられて、ルキフェールは満更でもなさそうに鼻を鳴らした。
「王に相応しい必要な知識、という意味でなら教えられるであろう。だが、目下最大の目標は一刻も早くこの危機を乗り越えること。このチビが成人するのも時間の問題。それまでに一通りの性教育を授けておく必要がある。山羊男は性に関して魔界の第一人者だ。だからこそ、やつが適任なのだ。」
「あの男が適任だったのは過去の話だろ?今じゃ誰に何されたって勃たない、ただの…ヘタレ野郎じゃねーか。」
「お前のその理論でいくと、今の魔界中の男はすべてヘタレだということになる。ならばその中でも一番性に貪欲だった者が一番マシだということだ。結果やつが選ばれた。この件についてはすでに皆で会議で十分話し合ったはずだ。まだ理解できないか?お前の反対理由はただの私怨であろう。個人的な評価だけで反対意見を魔王に押し付けるでない。…まったく。」
ため息を吐き出して、ルキフェールは疲れたようにゼブルを見た。
ゼブルはその視線にもめげず、挑むようにルキフェールを睨んで言う。
「ああ、理解できないね。だってあいつはさんざん手を尽くしたアタシに『無駄な努力はやめて下さい。』って言ったんだ。そんなセリフを言われたアタシがどれだけ惨めで悔しかったかわかるか!?お前はあいつに今度は魔王をあてがおうとしてるんだろ?アタシは魔王に同じ思いを味わわせたくねーんだよ!」
ゼブルの言葉に私は二重にショックを受けた。
一つは、今度はお局様をアーシュと結婚させようとしていたということ。
ゼブル姉弟が失敗したから、お局様に順番が回ってきたと言うことか。言われてみれば考えられないことではない。性欲消滅という魔界事情に影響されない人間(私のことね)を内包したお局様は当然第一候補なのだ。
もう一つのショックは。
(『無駄な努力はやめて下さい。』ですってぇえええ!?)
なんだそれは!
それが、年下で未経験なのに精一杯頑張った女子に言う台詞なの?
ひどすぎる!!
と、言うか、それ私の時も言われるんでしょうか。言われるんですよね。あぁ、想像だけで傷つくんですけど。
いや、今の時点で私がアーシュをなんとかできるって期待されてるのはわかっているんですけどね。ムリです!エロ本とかエロビデオなんて見たことないし、下ネタだって言えないし、フニャピーとか本物を見たことも触ったこともないし!!
ゼブルの話を聞いて、すでにアーシュと向き合うことから逃げ出したくなっている。
まして結婚だなんて!いや、即結婚ではないのだろうけど、ともかく私はズタボロに負けるとわかっている勝負に無防備に飛び込める勇者ではない。ゼブルほどの美少女がトラウマになるほど傷ついているのに、私みたいな平凡女に何ができるって言うの?格闘技もできないし運動神経も悪いから何人もの女性との刃物沙汰の争いとか巻き込まれたくないし…私には荷が重すぎるよぉおお!
「ルキフェール様、私じゃあ無理だと思います。」
すっかり怖気付いて正直に告げると、ゼブルは深く頷いた。
ルキフェールは眼鏡をキラリと光らせ、指で押し上げる。
「なぜ無理だと決めつける?」
「だって私、その…しょ、処女だし。お局様だってそうでしょう?そんな二人じゃ無理じゃないですか!どう考えたって。」
恥を忍んでそう言えば、ルキフェールは私を膝から下ろして立たせた。正面から顔を覗き込むようにして言いきかせる。
「不安になることはない。あいつは経験のない女に一から教え込むのも楽しめる男だぞ?なによりおまえの初体験の相手としてはうってつけではないか?山羊男はあらゆる性技を極めた『性欲』を司る男なのだからな。経験豊富な男にまかせれば、何もわからぬお前も手取り足取り教えて貰えて良いではないか。」
「そ、そうかも知れないですけど!そうじゃなくて、それ以前に私には男の人をその気にさせるような色気なんて出せないってことです。人には向き不向き、っていうのがあってですね。つまり、私には向いていないかと…。」
そう言う私の頭の先からつま先まで視線をやり、最後に胸の辺りを見てルキフェールはキッパリ言った。
「ふむ…確かに色気はないな。」
(断言するなぁああああ!)
自分で言うのと人から言われるのとでは遙かにダメージが違うのです。はい。
(ペチャパイでスミマセンネ。)
謝る気は無いので棒読みですけど何か文句ある?ううぅ、ぐすん。
「私じゃ可能性が低過ぎます!」
「だがゼロではないぞ?」
ルキフェールとしばし睨み合う。
私もルキフェールも互いに折れないまま。ゼブルは私の肩を持ち、同じようにルキフェールを睨みつけている。
事態は硬直し、誰も動かずそのまま時間が過ぎてゆく。
一番始めに睨み合いを脱したのはルキフェールだった。
ため息をついて目を閉じ、眼鏡を外すと眉間を揉むようにして俯いた。
(うー、この人、カッコイイな。)
性格は別として、こんな時なのにやはりカッコイイなんて思ってしまうくらいカッコイイのが恨めしい。眼鏡のないルキフェールはやはりサタンと瓜二つの美形で、潔癖感のある金髪青眼の王子様だ。ソファに座った彼の真っ直ぐな金髪が目の前にあって、睨んでいたのも忘れて蜂蜜色の艶感に見惚れてしまっていた。
「とりあえず今日は帰るが、二日後にまた来る。それまでによく考えておけ。いいな?」
「あ、はい。」
ボケっとした私にそう告げると、ルキフェールは帰って行った。
(ダメだな私。イケメンに免疫無さ過ぎる…)
これでは、お局様をサポートなんて出来そうもない。より多くのイケメン達とウフフアハハな子作りを推進!とか、夢のまた夢、妄想エンドで間違いない。はぁ。どうしよう。
ともかく、アーシュに会うかどうかという問題は先送りになった。
ゼブルはルキフェールが去ったことで落ち着きを取り戻し、何か考えているようで無言のままだ。少し疲れた様子で元気がないようにも見える。
私も疲れた。アーシュの過去を聞いて驚いてしまって。彼の人物像がまったく定まらなくて。
そんな理由で、結局、その日は結論が出ないまま、解散となった。
ルキフェールが帰った後、私を部屋まで送ってくれたゼブルを呼び止めて、つい聞いてしまった。
どうしても気になったことを。
「その頃って、ゼブルはアーシュのことどう思ってたんですか?」
だって、気になるじゃないか。
アーシュの婚約者にまでなった彼女が、当時彼のことをどう思っていたのか。
その質問にゼブルは目を見開き、即行動派の彼女には珍しくわずかにためらう様子を見せた。
「……。」
「あ、答えたくなかったら良いんです。あの…。」
予想外に固まってしまったゼブルに、この質問は聞かれたくなかったことなのだと察せられた。
慌てて取り消そうとするけれど、一度口から出てしまった言葉は戻らない。
「ええと、その、参考までに聞けたらな、って思ったんですけど……言いづらいなら、いいですから。」
「あぁ……いや、それは……。」
ゼブルは眉間にしわを寄せ、迷いを振り切るように首を振ると、仕方ないといったふうに息を吐いた後で小さくつぶやいた。
「アタシの初恋だったよ。」
逃げるように去って行く彼女をとっさに呼び止めようとしたが、なんと言って良いのか言葉が見つからなかった。
阿呆な私はそのまま呆然と立ち尽くし、見送るしかなかったのだ。