バアル姉弟についての考察 3
ゼブルがアーシュの捕獲から帰宅して以降、私はもといた東棟の客室に戻ってきていた。
そしてあれ以来、愛しのパンダちゃんに会えない日々が続いている。
ゼブルによると「修行部屋」なるものがあって、今そこで修行中なのだそうだ。
ゼブルはパンダちゃんを鍛え直すと言ってはりきっていて、「軟弱なあいつを男の中の男にしてみせるっ!!」と握り拳で豪語していた。なんだかその熱の入れようにパンダちゃんの安否が不安なのだけれど「魔王に会えばあいつは甘えてダメになる」からと言って会わせてもらえない。シクシク。
パンダちゃんの様子は気になるけれど、飼い主はゼブルなのだからとそれ以上は言えない。
自他共に認める活字中毒の私なので、以前アーシュに渡された分の教科書はすっかり読み終わっている。はっきり言って私は暇をもてあましていた。
そんなある日、約2ヶ月ぶりに会うことになるルキフェールが訪ねてきた。
「なんだと!?テメェふざけんな!」
バアル家の応接室で一緒に話を聞いていたゼブルは、ルキフェールの話を聞くなり怒りに肩を震わせた。持っていたティーカップを叩きつけるようにソーサーにおいて立ち上がる。
その勢いで繊細なフォルムのティーカップは無惨にも割れてしまった。
(あ~あ、高そうなのに~。)
場の空気も忘れ、ついつい庶民的な感想が思い浮かんでしまう。
だって、今でこそ魔王なセレブ生活を満喫しているとはいえ、28年間ずっと庶民だったんだから仕方ないよーうんうん。
対応するルキフェールは落ち着き払った様子で、そんなゼブルを見上げている。ゼブルの反応を予測していたのか、眼鏡の奥の透き通る青い瞳に動揺は少しも見られない。
ついでに、割れたティーカップを気にする様子もないから、庶民的感覚も持ち合わせてはいないらしい。・・・ふーんだ!金持ちめ!!
「私はふざけてなどいない。」
「本気なら余計悪いんだよっ!研究のしすぎで気でも違ったか?この引きこもりが!!」
ルキフェールはゼブルの罵倒にわずかに眉間に皺を寄せた。深くソファに背を預け、うらやましいほど長い足をもてあますように組んでいる。
そうやって座っているだけでとっても偉そうに見えるのは、さすが「傲慢」を司るだけのことはある。
ちなみに誉めているわけではない。
「貴様のような筋肉脳味噌に言われたくはないな。」
「なんだと!?」
「事実を言ったまでだ。ふん。教えてやろう。貴様の脳味噌は筋肉でできているのだ。知らなかったのか?可哀想に。」
「き、筋肉だと!?そんなわけがあるかっ!!てめぇもういっぺん言ってみろ!二度と口がきけねーようにしてやる!!」
「これだから脳筋は困る。なんでも暴力に訴えれば済むと思っているからな。冷静に話が聞けないようなら消えろ。邪魔だ。」
「ああ?てめぇみたいなイカレた研究オタクと魔王を2人きりにできるわけねーだろ!ボケが!」
ゼブルの淀みないつっこみも、ルキフェールの嫌みも絶好調だけれど、聞いている私はたまったものではない。
にらみ合い罵り合う2人の間で出方をうかがっていた私だけれど、このままではいつまで平行線だろうと仲裁に入る。
「まあまあ、2人とも落ち着いて。」
あぁ、なんだか主任を思い出すなぁ。この台詞。
私は課長と平社員の間で右往左往していた主任の気持ちを実感していた。
「これが落ち着いていられるかよ!こいつは魔王をあの変態に差し出せ、って言ってんだぞ!?」
「変態というところは否定できないが、これも魔界のためだ。魔王の勤めだと思って諦めてもらうしかない。」
ちなみに「変態」と呼ばれているのはアエーシュモー・ダエーワ。アーシュのことで。
ルキフェールの話というのは、私に隔離中のアーシュと面会して欲しいという内容なのだ。
アーシュは病気の検査と治療という名目で隔離され、ルキフェールが医師として担当していたのだけれど、検査と治療への抵抗・脱走を繰り返し話を聞くことすらもままならない状態らしい。前回の脱走で王城に向かったアーシュはゼブルによって捕らえられ、連れ戻されたのだが、どうにも大人しく治療を受けようとしない。ならば、とルキフェールが交渉に当たると、脱走の原因はアーシュが私に会おうとしていたからだと言うのだ。
「山羊男はおまえと会う約束をした、と言っていたが本当か?」
ルキフェールに聞かれて私は首をひねる。
山羊男というのは話の流れからしてアーシュのことだろう。最後に会ったのはいつだったか。確か、アーシュに初めて出会ったときに殴ってしまったことを謝罪した時だ。お詫びをしたいと言ったらなぜか「殴って欲しい」と頼まれてタコ殴りにした覚えが・・・そして鼻血を嬉しそうにぬぐっていたよね・・・・・・ドMだな、アーシュ。
じゃなくて、私はそんな約束をした覚えはない。
お局様はアーシュのことが苦手で授業中は積極的に眠るほど避けていたから、起こして確認するまでもないだろう。
「いえ、そんな約束してませんけど。」
私が否定すると、ルキフェールは指先を軽く顎に当てて思案顔になった。
「と言うことは・・・やつの狂言か・・・妄想か?やつは、おまえと将来を誓い合ったと言っていたぞ?」
(しょ、将来!?)
驚いて反応の遅れた私よりも早く声を上げたのはゼブルだった。
「そんなのあいつの嘘に決まってんだろ!」
「ふん、誰が決めたのだ。おまえか?おまえに魔王の結婚についての決定権があるとでも?本人に確認するのが確実だから直接魔王に聞いたまでだ。で、どうなんだ?」
2人の視線が私に答えを迫る。特にゼブルの眼力は強くて、思わず目をそらしてしまった。
「そ、そんな約束もしてません!」
「ほらみろ!嘘だったじゃねーか。」
私の答えに、ゼブルは勝ち誇ったように腕を組んでルキフェールを見下ろした。
ふん、とその視線を軽くいなしてルキフェールは私を見る。検分するような、そんな視線だ。否定したのにまだ疑っているというのだろうか。
「本当です。なんで私が勝手にアーシュと将来を誓い合わなくちゃいけないんですか?お局様の未来なのに!!」
お局様の交際相手、もしくは結婚相手はお局様自身が決めるべきであって、身体を間借りしている私が勝手に約束をするわけがない。
私が眠っている間にお局様自身が約束をした、と言うのなら話は別だけれど・・・それはないだろう。お局様はアーシュを嫌っていたようだし、仮に約束したというのなら真面目なお局様のことだから私に報告くらいはしてくれたはずだ。
「約束がないのならそれで良い。だが、お局様の未来・・・か。それを言うなら、実際あの山羊男はおまえの相手に不足はない身分だ。おまえはあやつが相手では不満か?」
「私の相手??」
あれ?なんだか話が変な方に・・・?
私の困惑をよそに、ルキフェールは私に問い続ける。
「あやつは7公爵の一人だ。地位もあるし、公爵の中では2番目に資産もある。」
「はぁ・・・。」
つまり、私というか、正確には「お局様の結婚相手として」どうか、という意味らしい。
「私には及ばないが容姿も悪くないし、私には劣るが頭脳も悪くない。長生きしているだけに知識も豊富だ。まぁ、私ほどではないがな。」
結局遠回しなおのれの自慢話かっ!!
「なに、後で気に入らなくなったら別れれば良いだけのことだ。不満でないのなら、まずはあやつで手を打っておけ。」
なぜかしきりにアーシュを勧めるルキフェールの真意は気になったけれど、それよりも、と私は口を開いた。
「いや、アーシュが不満だとかそうじゃなくてですね。そもそも私の意見なんて関係ないじゃないですか。大事なのはお局様の意見ですよ。」
そう反論すると、ルキフェールは自分の眉間に指を伸ばしてメガネを押し上げた。
「お局様の意見はわかっている。自分から進んであやつに身を任せることはしないだろう。お局様はあやつに対して良い感情を持っていない。だからこそお前の同意が必要なのだ。」
「えーとつまり、私が承諾すればお局様は仕方なくアーシュを受け入れるだろう、ってことですか?でもそれって無理矢理すぎなんじゃ・・・。というか、なんでお局様はアーシュのこと嫌なんですかね?良い人だと思いますけどね。」
ドMでなければ、と心で付け加える。だって、見た目は文句のつけようがないほど綺麗だし、頭も良さそうだし物腰柔らかで、被虐趣味だということを差し引いてもお釣りが来るくらいだ。それくらいの美貌なのだ。うん、美形最高!
え?美形なら何でもいいのかって?
ある程度は許せます。ハイ。
いや、だってアーシュほどの美形は日本じゃ見たことないもの。鑑賞する価値のある顔なのよーうん。芸能人と比べたらどうか、って?うーん、芸能人を至近距離で見られる環境になかったから何とも言えないけど、間近で見る美形ってすごいのよね。オーラ半端ないのです。光り輝くとでも言うのか、「おのれ眩しいわっ!」って感じなのよ。芸能人もそうなのかなぁ?どうだろう。
そんな私にルキフェールは小さくため息をついた。
「お前は知らないだろうが、山羊男はお前が召喚されるまでは惰性で生きているような腑抜けだったからな。お局様はその姿しか知らない。『性欲』を司る役についていながらそれを果たせず、魔界を混乱に陥れ、あまつさえ前魔王を退位に追い込んだ元凶だと軽蔑しているのだろう。無理もない。お局様は向上心の塊のような真面目な性格だからな。」
「ええ?アーシュが腑抜け・・・だったんですか ?」
私に魔界についての懇切丁寧な指導をしてくれたアーシュからは「腑抜け」だなんて様子は微塵も感じられなかった。どちらかといえば、面倒見の良い優しいお兄さんといった印象だったのだけれど・・・。
しかし、ルキフェールから見れば違うらしい。
「我々魔界人にとって『役』と言うのはいわば存在意義に等しい。前にも言ったとおり、あやつの『役』は性欲。それを果たせないということは、存在理由がないということでもある。あやつもそれなりの努力はしたし、我々も原因解明に奔走した。もちろん私もな。」
存在理由とは大げさな、と言いたいところだけれど魔界には魔界の秩序があるのだろう。
「性欲」を司ると言うことは、つまり性行為・性交渉のスペシャリストというわけで・・・うう・・・想像できない。あの真面目そうで綺麗なアーシュがその・・・・・・・うがぁ!!!
「おい、顔が赤いぞ。大丈夫か?」
ルキフェールに覗き込まれ、暑い暑いと白々しく手で顔を仰いでごまかす私・・・・・・だって、ちょこっと想像しちゃったんですよおおおお!アーシュが乱れた着衣で女の人と絡み合ってる場面を!
すみませんすみませんすみませんっっ!!12歳の幼女の体でこんな妄想すみませんーーーー!!
そんな私を見かねたのかゼブルが声をかけてきた。
「魔王、具合が悪いならこの話はまた今度にしてもらえばいいんじゃねーか?あんな腰抜け不能男なんかに会いに行く必要なんかねーよ。」
「ふん、今度とはいったいいつのことだ。7公爵の一人だというのに魔界の深刻な危機をわかっていないとみえる。それに・・・だいぶ私情が交じっているようではないか?」
「なんだと!?」
ルキフェールは意味ありげにチラとゼブルに視線を流す。
「そういえばお前にも協力してもらったんだったな。小娘。」
「な、何のことだ!」
突然話を振られたゼブルは盛大に顔をしかめた。
「忘れたとは言わせないぞ?お前にとっては重大な出来事だったはず。忘れるわけもない。そうだな?」
「わ、忘れたっ!!忘れたぞっ!!」
ルキフェールの思わせぶりな言葉、ゼブルの不自然な返答から予想すると、彼女はその重大な過去の出来事とやらを忘れていないのだろう。しかもどうやら触れられたくない部類の話らしい。その態度が私の興味とルキフェールのサド精神をいたく刺激するとも知らず、ゼブルは「忘れたんだ!絶対!」と言いながらショートカットの白髪をぐじゃぐじゃとかき混ぜ頭を抱え込んだ。
待て!聞きたい!!退屈をもてあましていた私がこのチャンスを逃すはずはない!
激しく好奇心がうずいて身を乗り出す私。
「二人とも。その話詳しく聞かせて。」
「ま、魔王!そんな!」
「よし、聞かせてやろう。」
ルキフェールはいかにも性格の悪そうな笑みを浮かべ、話を始めた。