バアル姉弟についての考察 2
クッキーを食べようと一生懸命なパンダと、それを見守る私。
パンダはクッキーを拾い、食べようとしては落とした。
パンダなりに必死に努力してそれを5回繰り返したところで、ぴたりと動作が止まってしまった。とうとう口に入れることのできなかったクッキーがベッドの上にコロリと転がる。彼は視線を落とし、ついには背中を丸めて小さくなってしまった。
うなだれた状態その様子は、無念だ、と言わんばかりだった。
「・・・・・・。」
「ええと・・・。」
ついつい、クッキーに翻弄されるパンダが可愛らしくて見学に徹してしまったのだが、さすがに私も鬼でない。これ以上のお預け状態は可哀想だ。
「手伝ってあげる。」
私はクッキーを拾うと、彼の口元に持っていった。
「あーん、ってして。口開けて?」
彼は私の意図を察すると瞳を輝かせ、素直に口を開けた。
(いや~ん、素直でかわい・・・い?)
・・・が、そこに生えた歯を見て、正直私は後悔してしまった。
その歯は人間のように平らに生えそろった歯ではなかったのだ。人間で言うと糸切り歯、と言うか犬歯の部分というのか、上下前歯の両脇に鋭く長く伸びた歯が!。はっきり言ってかなり獰猛な歯並びで、私の指くらいは簡単に食いちぎれそうなのだ。さすがに笹やら竹を食いちぎるだけのことはある。
(うわ!どうしよう・・・まさか、私の手までついでに食べちゃったりしないよね?)
私は逡巡し、けれどすぐに覚悟を決めた。
可愛らしいパンダが期待に満ちた瞳で見つめ、口を開けて待っているのだ。逆らえるはずがない。
しかし、やっぱり牙のような歯が怖くて、もう一言付け加えた。
「舌出せる?」
これまたパンダは素直に応じてくれた。綺麗なピンク色の大きな舌だ。
緊張で思わず手が震えたが、私は、ええい!とばかりに、牙に触れないようその舌の上にクッキーを乗せた。
すぐに舌が引っ込み、パンダがそれを咀嚼する。
(や、やった!)
やってしまえば、たいしたことではなかった。
クッキーを咀嚼し、飲み込んだパンダは感激したのか、両手を振り腰を揺らして喜びを表現した。さながら、ダンスのように。
それがおかしくて、愛らしすぎて、私は悶えつつもポケットを探った。
(ああ、やっぱり!さすがお局様。)
私は摑んだそれを、再びパンダの目の前に差し出した。
「もう一個食べる?」
すると、パンダは動きを止めて口を開く。
口元にクッキーを持っていくと、今度は言わなくても舌を出したので、それを乗せてやる。
パンダはクッキーを食べ終わると、また感激のダンスを踊った。
(ど、どうしよーーーーっ!可愛すぎ!くせになりそう!!)
なりそうと言いながら、くせになってしまうことを、私はすでに確信していた。
この時のパンダとの出会いから、以来私は毎日欠かさず餌付け・・・もとい、2人のお菓子タイムを欠かさなかった。
クッキーだけでなく、シュークリームやケーキ、和菓子等々。お局様用に出してもらったおやつを、パンダと分けるようになったのだ。
ゼブルがアーシュの捕獲に出かけていった日、最初にこの部屋に通されたのでてっきり自分のために用意された部屋だと思ったのだけれど、この部屋はなんとこのパンダのための部屋だったのだ。ゼブルは意外にもパンダ専用の部屋を用意するほどのペット愛好家だったらしい。彼女が帰ってきたら、ぜひパンダの魅力について語り合いたいと思う。そして、きっとあるだろうパンダの成長記録アルバムを見せてもらうのだ。むふふ。
お局様はあまり動物には興味がないようだったけれど、私の好きなようにさせてくれた。
私はパンダの片膝に座って腕に背中を支えられるような格好でもたれかかり、その口にお菓子を運ぶ。時折、汚れた口元を濡れたタオルでぬぐってあげたり、歯に付いたカスを取ってあげたり。
(むふふ~ラブラブカップルみたいな?ん~幸せ!)
初めのうちは、多少パンダの方にも私の方にも警戒心があった。
お菓子が無くなると、とたんにベッドから追い出されてしまうので、心おきなく癒されるのはパンダがお菓子を食べている短い時間だけだった。 けれど、そんなぎこちなさも一週間もすると解消されてゆき、一ヶ月も経つ頃にはパンダもだいぶ気を許してくれるようになった。
お菓子を食べる時間以外にベッドにいても追い出さなくなり、撫でたり抱きついたりしても突き飛ばさないようになり。
(とうとう食後のお昼寝まで一緒にしてくれるようになったのよー!きゃー!しかも添い寝!!むふ~。)
今日もそうして、おやつタイムの後の至福のひとときを過ごしていたのだ。が・・・先ほどから屋敷内が騒がしい。
(ふむ、ようやくゼブルが帰ってきたようじゃな?)
(うん・・・アーシュ生きてるかな。)
ゼブルがアーシュの捜索にかり出されてから、すでに1ヶ月が経っていた。その間、屋敷内は特に変わった様子もなく、ルキフェールや城からの使いが訪れることもないままだったので、思う存分パンダとの友愛を深めていた私。しかし、それもどうやら終わりのようだ。
足音も高らかに近づいてきたゼブルは、前回同様ノックの音とほぼ同時にドアを開け放った。
(いや、だからそれじゃあノックの意味がないから!)
私はパンダの毛皮に寄り添っていた身体を起こした。
「な!お・・・おお、お、おまえらっ!!!」
ゼブルは私たちの姿を見るなり、声を荒げた。
そして、そのまますごい勢いで駆け寄ったかと思うと、いきなりパンダを足で蹴飛ばしたのだ。
「え!?ちょ、ちょっとゼブル!!」
「止めるな!・・・この、よくも魔王に手を出したな!」
いったいこれはどういう事なのか。ペット愛好家であるはずの彼女が・・・!?
慌てて止めようと手を伸ばした私を振り払い、ゼブルはベッドから転げ落ちたパンダになおも足蹴りを繰り返す。
「わーっ!やめて下さいゼブル。動物愛護協会に訴えられてしまいますよーっ・・・あれ?魔界にはないか・・・じゃなくて、待って待って!!」
「このやろう!パンダの分際で魔王と同衾なんかしやがって、この!このぉ!!」
「やめて、やめてってば!ゼブル、どうしちゃったの?落ち着いて!!」
ゼブルの突然の暴挙に驚きながらも、されるがままのパンダの上に覆い被さるようにしてかばう。
「ゼブル!もうやめて下さい。なんでこんなことするんですか!?」
帰ってきたと思ったら突然こうなのだ。いくら好戦的な性格とはいえ、ゼブルが理由もなく暴力に訴えたりするはずもないだろう。何か理由があるのだ。
そう思って問いかけると、彼女は憎々しげにパンダを睨み付けながらも足を降ろした。
「いい加減な気持ちで魔王を誑かそうなんて、このアタシが許さない!」
「た、誑かす!?」
何がどう解釈されたのかはわからないが、ゼブルは何か誤解しているようだ。
「そうだ!どうやったかは知らないが、魔王の心を奪い、そのうえ、か、かか、身体までっ!まだ会ったばかりだというのに破廉恥なっ!!」
「心とか身体とかいったい・・・ゼブル、何を勘違いしてるのかわからないけど、この子は何もしてないんです。」
「何?何も・・・してないのか?男のくせに何もしない、だと!?」
(雄だったのね~、パンダちゃん!)
思わず確認してみたくなったのだが、そんなことをして新事実に浸っている暇はない。今はゼブルをなんとかしなければ。ゼブルはパンダが私に「何か」をしたのだと怒っているようだけれど・・・?
(だって、餌付け・・・じゃなくて、お菓子をせっせと貢いで仲良くなろうとしたのは私の方なんだしね。)
(そうじゃの。そなたの片思い、というやつじゃな。)
(うぐぐ・・・そうね。)
お局様のつっこみに痛い事実にを確認してしまってへこみつつ、私はゼブルに訴えた。
「一緒に寝たのは私からお願いしたことなんです!この子は悪くない。だから、そんなに怒らないで下さい。」
「そ、そうなのか!?魔王から?魔王が望んで、ということか?」
「うん。本当にこの子は私に何にもしてないんです。」
「それなら許す・・・わけないだろう!それはそれで問題だ!男として!」
パンダは悪くないと説明したはずなのに、どうしてかゼブルは顔を真っ赤にしてさらに怒り出した。何かが気に入らないらしい。
「ええ!?なんで・・・?」
「だってそうだろう。こいつはすべて魔王に任せてただマグロのように転がっていたと言うんだろう?」
「マグロ?う~ん?まぁ・・・そう・・・なのかなぁ?」
パンダはパンダでマグロではないのでその表現はどうかと思うのだけれど、確かにパンダが一日のほとんどを転がって過ごしているのは事実だ。
「なんて、情けない!いや、恥だ!魔王に任せきりだったのか、この腑抜け!もやし野郎!!魔王のお情けにすがることしかできないヒモ野郎め!」
「お、落ち着いて下さいゼブル。興奮しないで!私なら大丈夫ですから。始めよりずいぶん仲良くなれたし、私は今の状況に満足してるんですから。」
ゼブルの言いようがあんまりなので、私はひとまず彼女の誤解を解くことにした。彼女が仕事熱心で魔王であるお局様を第一に考えてくれていることはわかるけれど、このままではパンダが可哀想だ。
この一ヶ月で、パンダはずいぶん心を開いてくれたと思う。
側に寄ったり、触っても牙をむかなくなったし、ベッドという彼のテリトリーから私を追い出さなくなった。私という存在を許容してくれている、と言うことなのだと思う。
まだ自分から近づいてきてはくれないれど、今は側にいられるだけでも充分なのだ。
「魔王が良いなら・・・良いのか?だが・・・ああ、くそっ。アタシがいない間にまさかこんなことになるとは。」
良いのか?とか、いや良くない!だとか言いながら頭を抱えているゼブルを尻目に、私は床に転がっているパンダを助け起こした。
幸い血は出ていないし、それほどのダメージはなさそうだ。
「大丈夫?」
そう聞くと、パンダは頷いて私の背中に隠れてしまった。
ゼブルに怯えているのだろうけれど・・・そんな仕草さえ可愛らしく思えてしまう私は重傷だ。
それにしてもゼブルの怒りようは尋常ではない。もともと口は悪いが、さすがに言い過ぎではないか。ここまで罵倒するからにはそれなりの理由があってしかるべきなのだ。だけれど、いまいちその理由がわからない。
縮こまって怯えているパンダの背中をなだめるように撫でながら、私はゼブルに声をかけた。
「ゼブル、どうしてそんなに怒っているんですか?」
すると、彼女はグシャグシャとかき回していた髪から手を離してこちらに向き直った。綺麗な白髪のショートカットが乱れてしまっている。その様子がたんぽぽの綿毛のようだな、と微笑ましいのだけれど、残念なことに鬼の形相でぶちこわしだ。
「どうして、じゃあない!怒るだろう、普通!!」
「・・・そうですか?」
普通・・・とはなんだろうか?つまり、私がわからないだけで魔界の常識から言えば普通ではないことをしてしまったということだろうか。
「ええと、この子に会ってはいけなかったんですか?」
「いや、会うのはいい。アタシも出かけていたし、急いでいてなんの準備もないまま魔王を一人きりにしてしまった。魔王も暇だったんだろう?話し相手は必要だったから、こいつの部屋に通したんだ。」
(いや、話し相手って言ってもこの子は言葉が話せないから、話したことは無いんだけどね。)
心の中でつっこみつつ、ゼブルが意外にも屋敷に取り残された私のことを忘れていなかったことに感心していた。
なんとなくゼブルは猪突猛進というか、ひとつのことに熱中すると他を忘れるタイプのような気がしたからだ。目的を達成するまで突き進むだけ。そういうタイプなのかと思ったのだが、どうやら周囲のことも視界には入っているらしい。
まぁ、将軍という地位にいるくらいなのだから、見た目の可愛らしい少女、というだけではないのだろう。
「じゃあ・・・一緒におやつを食べていたこと?もしかしたら笹以外は食べさせちゃいけなかった?」
「おやつ、というのは菓子のことか?こいつにおやつは与えていないはずだが・・・。」
「はい。私のおやつを一緒に食べていたんです。」
「な、なんだと!?こいつは魔王のおやつを横取りしていたというのかっ!?」
憤慨し、またもパンダにつかみかかろうとするゼブルを慌てて遮る。
「ち、違います!仲良く分け合って食べただけです!」
「分け合って!?じゃ、じゃあ魔王はわざわざ自分の分け前をけずって、こいつに与えてやった言うんだな?」
「は、はい。」
なんとも大げさな言い回しだけれど、間違ってはいないはず。そう思って私は頷いておいた。
「う、ぐぐ。魔王は優しいんだな。こいつなんかに自分のおやつを分け与えるとは!しかもこんなろくでなしを受け入れてくれた。なんて心が広いんだ。うう、さすが我らが魔王!!」
「う~ん、いえ、それほどでも。」
感動したように涙をぬぐうゼブルに、若干ひきつった笑みを浮かべる私。
もうこれ以上は言わない方がいい気がしてきた。
なんだか言葉を重ねれば重ねるほど、私の評価が上がり、なぜかパンダの評価は下がっていく気がする。かばうつもりが逆効果だ。
「魔王!私は決めた!!決めたぞ!」
突然握り拳で叫んだゼブルに驚きつつ、私は聞き返す。
「ゼブル?」
「魔王がいくらいいと言っても、アタシは納得しない!こいつを鍛え直す。」
「へ?鍛え直す?」
ゼブルは漆黒の瞳に強い意志を込め、パンダを睨み付け、それから私に向かって高らかに宣言した。
「ああ、そうだ!アタシがこいつを魔王にふさわしい一人前の男に生まれ変わらせてみせる!期待していてくれ!!」
ああ・・・なんだか問題が起こりそうな予感がする・・・。