バアル姉弟についての考察 1
充分な睡眠を取ってから話し合った結果、ルキフェールの体調が回復してお局様を迎えに来るまで、という期限付きでバアル・ゼブルの屋敷に滞在させてもらうことになった。
王城に戻るのであればお局様の安全のために7公爵の誰かの警護が必要なのだけれど、サタンとルキフェール、アーシュに頼れない今は他に動ける公爵がいない、との理由だった。
幼体であるお局様は実質的な統治には至っていないために、7公爵が本来の魔王の責務を分担している。それに加えて、お局様の即位からまだ日が浅く、魔界自体が混乱していて各地でたびたび騒動が起きているそうで、その処理のために他の公爵達や腕の立つ貴族達は出払っているのだという。
「これもすべて妾のせいじゃな。」
などと落ち込むお局様をなだめつつ、私達は一週間ほど部屋でごろごろとする生活をしていた。別に職務を怠慢している、とかではなく、教育係がいないせいですることがないのだ。幼体であるお局様に迂闊に男性の教育係は近寄せられない。女性か、もしくは身元が確かで教養があり、あわよくばお局様の権力を利用しようという企みを持たず、性的経験が豊富でありつつ偏見がなく、決してお局様に悪影響を与えることのない適任の男性が見つかるまで(そんな好条件の男性を捜すのはそりゃ時間かかりそうですね、そうですね)の間、放置プレイというわけだ。
ゼブルも気を遣ってはくれるが、そこはさすがに騎士団長。彼女にも仕事がある。
各地での騒動を鎮圧するのに騎士達を派遣したり、他にも団員の管理や教育で忙しく、こちらにばかり関わってはいられないのだ。
(人材不足、ってやつだね。)
先代の魔王が偉大すぎてその力に頼り切りだったのか、それとも部下の教育に熱心ではなかったからなのか。はたまた次代の即位が急だったために準備が間に合わなかったのか。とにかく、即位後の混乱期に肝心の魔王の教育が滞ってしまうのは問題だろう。
(ふむ。ならば戻りしだいシャイターンに相談を・・・)
(サタンには会いたくない!!)
サタンに相談しよう、と言いかけたであろうお局様の言葉を遮って、私は拒絶の意志をあらわにした。
(じゃが・・・。)
(サタンはやだ!別の人が良い!)
(別の、と言ってものう・・・。)
お局様を困らせているのは重々承知!
でも、ここは譲れませんから!!
時間が経って冷静に考えてみたら、サタンにされたことがとんでもないセクハラだったことに気がついたのだ。
(くぅ~!!王子様オーラにだまされたぁあああ!)
寝起きで頭が呆けていたのか、人生始まって以来初の異性の急接近に理性がぶっ飛んだのか。
今考えると、どうして自分がはっきり拒まなかったのか、我ながら疑問で仕方がない。
だって、だってさ。お局様は12歳よ?日本だったら犯罪でしょ。未成年で幼体で、おまけに魔王様よ!?
なにをどーしたら「手を出そう!」なんて思えちゃうわけ???なーーにが「したい」よ、ありえないっつーの、ロリコン王子め!!
ベオルにぶった切られたせいで全治2週間らしいけど、同情の余地なし!だね。同体のルキフェールは気の毒だけど、サタンはしばらく頭冷やした方がいいよ。ついでに悔い改めて、お局様がロリコン趣味の対象外に成長するまで顔を出しませんっ!てなくらいの反省をすればいいのに。ふんっ!
って言ってる私が一番あり得ない。なんであの時、逃げなかったんだろう・・・?
そりゃ、腕力で大人の男にかなうなんて思ってないけど、大声出すとか手を振り回して暴れるとかくらいはできたはずだ。それを、抵抗もせずお局様の貞操を危険にさらすとは!!
自分のことを「常識的な大人で彼氏もできないくらい男に厳しい女」だと思っていたけれど、意外にも流されやすかったのね・・・。はぁ、がっくり。
(お局様・・・ごめんね。私、ダメな大人で本当にごめん。)
(謝らずともよい、と何度言えばわかるのじゃ。妾は気にしておらぬし、そもそも、妾とて起きておったのじゃからこれは連帯責任じゃろう?)
(でも私は大人なんだよ?あの場は私がお局様を守らなくちゃいけなかったの。)
(妾を守ろうとしてくれる気持ちは嬉しいが・・・とにかく、気に病むでない。妾はそなたを責めるつもりなど無いゆえ。)
お局様の優しい言葉が、かえって辛い。
はぁ・・・猫ちゃんの癒しが欲しい。
あの時の可愛い悪魔ちゃんに会いたいよ~。
ゼブルに聞いた話だと、悪魔ちゃんの方は幸い軽傷(いや、血を吐いてましたけど??)で、2,3日休んで元通りに回復したらしい。魔界人って丈夫よね。
それを聞いた私は、会いたい、と言ったのだけれど、彼はなんでも医療チームの監視下に置かれているとかで、こちらには来ることができないそうだ。むむむ、残念・・・。
彼には危ないところを助けてもらったから、お礼も言いたかった。なにしろ彼があの時寝室に踏み込んでこなかったら、サタンとどうにかなってしまっていたかもしれないわけだから。・・・ああ、恐ろしい!!
気になることもある。そもそも、なぜ彼がルキフェールの屋敷にいたのか、だ。
始めに食堂で彼を見たとき、彼は黒い小鳥だった。そしてあの悪魔のような姿になり、私を窓の外に引きずり出した。ルキフェールが来たせいですぐにいなくなってしまったけれど、あれには何か目的があったはずなのだ。
それは何か・・・?
(う〜ん、情報が少なすぎてわからないなぁ・・・今は考えても仕方ないかな。)
ここに彼はいない。ルキフェールやサタンもいない。アーシュもいない。聞こうにも、事情を知っていそうな彼らにはしばらく会えそうにもないのだから、これ以上考えるのは無駄だろう。
部屋にはゼブルが用意してくれた本や、オモチャなどがあったのだが、一週間も経つと飽きてしまってすることがなかった。しかし、役立たずなうえに、警護のためにと特別に屋敷に置いてもらっている身だ。アレコレと要求するのも忍びなく、すっかり暇をもてあましているという状態だった。
(暇じゃのう。)
(そうだね。)
お局様と、今日何度目かになる会話を繰り返していると、にわかに廊下が騒がしくなった。乱暴なノックの音と同時にドアが開け放たれる。
「魔王!アタシは出ることになった!」
ノックへの返事も待たず、そう言いながら入ってきたのはゼブルだった。
(ノックの意味ないんじゃ・・・?)
出かかった言葉を飲み込んで聞き返せば、なんとなかば軟禁状態だったアーシュが、押さえる配下達を振り切って屋敷から逃亡してしまったらしいのだ。
そういえば彼も、病気だ何だと疑われて隔離されていたんだっけ・・・?まぁ、軟禁されたらストレスも溜まるよね。かといって、脱走するかは別だけど・・・。
「あいつは単身で王城に向かってるらしい。あいつ相手じゃあ、他の奴の手には負えないからな。チッ、面倒かけやがって、なんでおとなしくしてられねーんだ、あの万年発情期ヤロー!見つけたら刻んでやる!!」
美少女の眉間には皺が寄っていて、不機嫌さを隠しもしなかった。舌打ち混じりで、苛立たしさを体中で表現している。
言葉から察するに、アーシュのことをあまり好きではないのだろう。
「あんたには悪いが、帰ってくるまで警護は弟に頼んでおくことにした。部屋を移動してもらうから付いてきてくれ。」
そう言われ、私たちは客室がある東棟の向かい側にある西棟の別室に連れて行かれた。東棟はゼブル、そして西棟が弟のものなのだそうだ。
「じゃあ、行ってくる。」
「うむ。頼んだぞ。」
足音も勇ましく、大剣を担いだゼブルはあっというまに私たちを残して出て行った。
(アーシュ・・・ご愁傷様。)
ゼブルの容赦ない戦いぶりを思い出し、つい遠い目になってしまったのは仕方ないだろう。まぁ、ゼブルも命までは取らないよね?
部屋に入ってしばらくすると、愛想の良い侍女が3時のおやつを山ほど持ってきてくれた。
なんでも成長促進効果のあるチョコが入ったクッキーだそうだ。お局様に気を遣ってくれたのだろうけれど、食べられる量には限度がありますからね?
温かいお茶ととてつもなく甘いクッキーを食べていると、お局様は眠たくなってきた、と言って寝てしまった。お腹が満たされ、身体が温まったのだから無理もない。
寝る子は育つ・・・って本当だろうか。でも、それなら協力して私も眠らなくちゃね。
そう思って、私は部屋にあった天蓋付きの超特大ベッドに近寄った。
(天蓋付きのベッドって憧れだったんだよね~!うふふ~。)
そんな呑気なことを考えながらベッドを囲む布を横に引いて・・・私は3秒ほど固まった。そして無言のまま布を元の位置に戻す。
(あれ?なんだ、今の!?)
幻を見た・・・そう思った。
念のため、もう一度布を引いて・・・。
(やっぱりいる!!)
見間違いなんかじゃなかった。
ソレはちゃんとそこにいた!
黒と白の、特徴的な配色の短毛。
ずんぐり丸々としたボディ。
太い手足に意外と鋭い爪。
こちらをじっと見ているのは、垂れたような隈取りに囲まれた、真っ黒でつぶらな瞳。
「ぱ・・・。」
(パンダだーーーーっっっっ!!!!?)
人間界の一般家庭には・・・ましてやベッドになんかいるはずのないパンダだけれど・・・?
魔界なら普通なのか?それとも、私が知らないだけで中国では普通とか?そうなのか?
いや、いや、待て、私!!落ち着け!!
まずは、現状把握だ。
じーっとパンダを見る私。
こちらを見ているパンダ。小さくて真っ黒な瞳が時折瞬きをする。
パンダは特に動く様子もないけれど、わずかに上下する背中が呼吸をしていることを表していた。
(うん・・・着ぐるみじゃない。本物の生きてるパンダだ!)
そうとわかれば、することはひとつよね?
ふってわいた動物とのコミュニケーションを逃すな!ってことよね!?
「落ち着いて・・・私、あやしいものじゃないの・・・ね?」
まずは先手を打って警戒を解くべし!
私は両手を挙げ、危険なものを何も持っていないことをアピールした。
パンダはベッドにごろりと横たわったまま、じっと私を観察しているようだ。
「えっと・・・へへへ。」
鏡を見なくてもわかる。私の顔はさぞだらしなく緩んでいることだろう。
だってしょうがないじゃないの!パンダだよ?
動物園で、しかも遠く柵の向こうにいるのしか見たことがないあの珍獣が、手を伸ばせば届く距離にいるんだよ!?
手入れが行き届いているのか、白い毛の部分は真っ白で、黒い部分は艶やかに光っている。眠そうな瞬きも、ひくひくとわずかに動く口元も、ぬいぐるみではない本物のパンダだった。
しかし、それ以上動かない私に興味を無くしたのか、パンダはつれなく視線をそらすとコロリと転がった。
「っっ!!」
(か、か、か、可愛いーーーーっっっ!!)
転がるだけで可愛い生き物。こんな生き物が他にいるだろうか?
(そんなのいないわ!いるわけないのよ!!パンダ可愛い!パンダさいこー!!)
動物可愛がりたい病の私を、神は見放さなかったらしい。いや、魔王と同居中なのに神とか言う私もあれだけどさ。
(さ、触りたい!・・・けど、我慢、我慢。)
私は近づいて抱きしめたい気持ちをこらえて、ベッドの一番端にそっと移動した。
パンダは見た目は愛らしいが、クマの荒々しい気性も持っているのだ。飼育員が襲われることもあるそうだから、気安く近づいてはいけない。
私は天蓋の外から顔を中にいれ、ベッドの端に肘をついて顔を乗せる。
少々無理な体勢だったけれど、パンダ見学のためには耐えてみせますとも!
(いや~ん、かわい~、ヨダレでちゃう~。)
私は寝転がったパンダを、これでもかとたっぷり眺めて堪能した。
(あ~いいわぁ~、癒されるわ~。)
時間も忘れて見入っていたけれど、さすがに同じ体勢では首やら腕やらが痛みを訴え始めた。仕方なく身体を起こしたのだが・・・。
ポロリ・・・ボト、コロコロコロ・・・コロン。
服の合間から転がり出たのは、先ほどまで食べていた特製チョコチップクッキーだった。
(お・・・お局様・・・。)
お局様は何を隠そう甘いもの好きだった。
そして、それを服の中に隠す、というわけのわからない癖があった。猿やハムスターなどは頬袋に一時的に食べ物を入れておいて後でゆっくり食べるらしいけれど、そのようなものだろうか?う~ん。
つまり、これはお局様の仕業なのだろう。
パンダはクッキーが転がるのを見て、驚いたように身体をすくませた。
「あ・・・ごめんね。ベッド汚しちゃったね。すぐ、拾うからね!」
そう言って私が手を伸ばすと、パンダはそれまでの動きから想像もできない素早さで私の手をはじいた。
「あっ!?」
はじいた力はそれほどでもなかったのだけれど、その鋭い爪が当たったらしく、私の手の甲からは血がにじんでいた。
(うわ・・・やっちゃった。)
どうやら、パンダを怖がらせてしまったようだ。
「何もしないよ?それを拾うだけだから、ね?」
言葉が通じるかはわからなかったが、一応そう言ってから、なるべく刺激しないようゆっくりと近づいた。
しかし、クッキーに手を伸ばすと、パンダは拒絶するように大きく首を振った。警戒しているのだろう。
「大丈夫。君にひどいことしたりしないから。それを拾わせて。そうしたら私はもうあっちにいくから。」
パンダの怯えように、私も今日はこれ以上の観察は無理だと諦めるしかなかった。だがベッドを汚したままではいけない。クッキーだけは片付けようと、再び手を伸ばしたのだがその時!
パンダが飛んだ。
いえいえ、冗談ではなく本当にパンダが飛んだのだ。
ずんぐりむっくりしたその体型に似合わない俊敏な動きだった。
パンダは飛んで、なんとクッキーの上に覆い被さるようにうつぶせになる。
「わわっ!」
私は慌てて伸ばした手を引き、パンダのその動きで生じたスプリングの揺れを、何とかやり過ごす。
私とパンダは・・・しばらく見つめ合ったまま動かなかった。
(ええと・・・コレはどんな状況なわけ・・・なのかな?)
パンダはその体勢のまま、つぶらな瞳で私を見上げていた。
食い入るように、じーーーーっと。
その瞳は何かを訴えているようにも思えるけれど・・・?
残念ながらパンダが何を考えているかなんて、表情からは何もつかめなかった。目の回りの黒い毛が、垂れ目のように眼の周りを覆っているので情けなく困っているようにも見えるのだが、実際のパンダの目は少しつり目だった。
かといって、牙を向くとか毛を逆立てるとか、そういうこともないので怒っているわけでもないのだろう。
いや、犬や猫ではないのだから表現方法が違うだけなのか・・・?
(む~、パンダがしゃべってくれればいいんだけど・・・何が言いたいんだろう?この子は。)
パンダがベッドにいること自体もイレギュラーなのに、その行動はさらにその上を行く摩訶不思議さだ。
人間界でのパンダは笹が主食だ。動物園のパンダは、りんごなどの植物性の食べ物も食べるらしい。
チョコチップクッキーは確かに、小麦やカカオ豆などの植物性の材料から作られているけれど・・・。
「もしかしたら、なんだけど・・・それが欲しいの?」
一か八かで聞いてみると、驚くことにパンダは頷いて見せた。
どうやら、魔界のパンダは言葉が理解できるらしい。
「あのね、それはお菓子って言って、笹じゃないんだよ?人の食べ物なの。君は食べられないでしょ?」
パンダは首を横に振る。
否定・・・だろうか?
「食べられるの?それ。食べたことないなら、お腹壊しちゃうかも知れないよ?」
パンダは再び首を横に振る。
「お腹壊したら痛いよ?知らないよ。私、君のお腹が痛くなっても直せないよ?」
さらに追い打ちをかけると、パンダは嫌々をするようにもがいてから、クッキーを守るように覆い被さってしまった。
「絶対にクッキーを返さない!」とでも言うように、ボールの様に丸くなってしまった背中が愛らしい。
強い意志を示すように動かないパンダを見つめ、しばらく悩んだあと、私はため息をついた。
「わかった、いいよ、あげる。」
そう言うと、パンダは跳ね起きるように身体を起こした。
器用に両手でクッキーを持ち上げると、口に入れる手前で私の顔を伺った。
そのまま、数秒・・・。
(なんだか目がキラキラしてるけど・・・なんだろう?)
少し考え、どうやら許可を求めているのだと気づき、私は破顔して言う。
「食べて良いよ。」
そう言えば、パンダは嬉々としてしてそれを口に入れた。
いや、入れようとして、落としてしまった。
慌ててそれを拾い口に持っていくのだが、また落とす。
それを拾って。
また落とす。
(ふふ!可愛いなぁ・・・。笹はうまくつかめるらしいけど、クッキーは小さ過ぎるし、爪が長いからうまくつかめないんだね。)
クッキーを食べようと必死になっている姿はなんとも微笑ましかった。
こうして私はこの屋敷で、新たな「癒し」に出会ったのだ。