シャイターン・ルキフェール兄弟についての考察 5
私がサンドイッチを食べ終わると、ルキフェールは階段をいくつも上った部屋へと私を連れて行き、簡単に先ほどの傷の治療をしてくれた。
部屋は診察室だったようで、そこでそのまま彼から診察を受けることになった。
ただ・・・。
「あの、ルキフェール様って、ただのお医者様なんですよね?」
「それは、どういう意味だ?もちろん医師の免許は持っているが・・・何が言いたい?」
「どういう、っていうか・・・ええと・・・。」
診察用のベッドに寝かされているのだが、どうにも落ち着かない。
なぜなら、この部屋がただの診察室には見えないからだ。診察どころか手術もできそうな設備と・・・加えて実験中、とでもいうような奇しげな液体や積まれた材料、器具の数々。
まるで、研究室とでもいったありさまだった。
(この部屋、あやしくないですか?とか聞いたら・・・いやいや、本当にただの診察だったらまずいし・・・。)
整った顔立ちに、冷たく青い宝石のような瞳。銀フレームのメガネは、彼の硬質な印象をさらに強くさせている。
彼の表情から何か読み取れないかと見ているのだが、これと言った感情の起伏は感じられない。それが不安を増長させた。
(何を考えてるのか、全然読めないし・・・私、実験とかされたりしないよね・・・?)
そして、どこからか現れた彼の配下が2人。
彼らもルキフェールと同じように白衣を着ていたのだが、彼らの好奇心一杯の視線にも落ち着かないものを感じていた。
なんだか、これから何かが起こるのを期待しているような気がして・・・。
(ま、まさか、私とんでもない人について来ちゃったんじゃあ・・・。)
いい知れない不安が胸を覆う。
本当に診察のために連れてこられたのだろうか?今まではずっと城の部屋で診察を受けていたのに、なぜわざわざここに移動したのか・・・?
そういえば、ルキフェールは「診察をする予定だったが、気が変わった」と言っていたのだ。
その上、この研究室とでも呼べそうな設備の数々・・・。
(な、な、なな、なんか、私ってやばいんじゃない!?)
怯えたような私に、傲然たる態度で顎をそらし彼は言い放った。
「話は後でも良いだろう。診察だ。服を脱いでもらおうか。」
「えっと・・・・・・。」
身の危険を感じている私は、すぐには動けなかった。
それを見て、彼は苛立たしそうに眼鏡の奥の目を細めた。
「どうした。早くしろ。」
「や、ええと・・・心の準備というか、何というか。」
うわ、言い訳下手だー。
自分でもそう思ったのだけれど、他にうまい言い訳が思いつかなかった。
診察のためだ、と彼は言うけれど、一度浮かんだ疑惑はすぐには消えない。
この魔界には人間はいないと聞く。頑強な魔界人とは身体のつくりが違うため、魔界に来ると人間ははぜてしまうらしい。(うわースプラッタ!)
つまり、今の私の身体は医者や研究者にとっては垂涎ものの素材というわけなのだ。実際、今まで診察をしてくれた医者たちからも、熱い視線を注がれたことが何度もある。だから、白衣3人に囲まれるとつい身構えてしまう。
加えてこの部屋の様子。
何か・・・実験とか、研究の対象だとか、そういうものにされてしまうのではないか。そんな疑惑が浮かんでしまう。
「心の準備、だと?たかだか服を脱ぐのに、どう準備をすると・・・。」
そこまで言って、彼は腕を組み、尖った顎に軽く指を当てた。
(そんなに気取らなくてもいいのに。)
貴族的な、高慢そうな仕草がこれほどに会う男もいないだろう。金髪にアイスブルーの瞳。王子然としていて柔らかい空気を持ったサタンとうり二つなのに、発せられる雰囲気から全くの別人だとわかる。
ふと、思いついたように彼は意地悪そうな色を瞳に浮かべた。
「ふん。まさか、チビのくせに生意気にも恥じらっているのではあるまいな?」
「そ、そりゃ、恥ずかしいに決まってるじゃないですか。」
(そ、そうだ!恥ずかしがって脱ぎたくないことにしておこう。)
「言いましたよね。私はこれでも立派な大人!淑女なんですからね。」
さすがに、淑女、は言い過ぎかとも思ったのだけれど、この場を何とか乗り切らなければと無理矢理言葉を重ねた。
「3人もの男性に裸を見られるのは、恥ずかしいんです。心の準備が必要です!と、言うことで診察は明日にしてください。」
「はぁ・・・何と言い出すかと思えば・・・まったく。私はそんなに暇じゃない。これは診察であって、治療の一環だ。よって、お前が服を脱ぐのは必要な行為だが、お前が恥ずかしがる必要など微塵も無い。面倒だが仕方がない、手伝ってやろうではないか。」
「ぎゃー!やめて下さい!ち、痴漢!」
「な、なんだと!?」
私の服をのばそうと手を伸ばした格好のまま、彼は固まった。
「相手の許可無く服を脱がせるなんて、痴漢です!そうじゃなきゃセクハラです!」
「言わせておけば、お前!誰に向かってそんな口を聞いているのかわかっているのであろうな。」
「ルキフェール様、でしょう。わかってます。」
無言でにらみ合う私たち。
ここまでくると引くわけにはいかない。それに、会ったときから彼の尊大な態度には正直、腹が立っていたのだ。ささやかな反撃のチャンスを逃したくはない。
それに、彼が真実医者で、私を診察・治療してくれるというのなら、その前に私の不安を取り除く説明くらいはしてくれても良いはずだ。
2人の配下たちは静かに様子を見守っている。
そうするうちにルキフェールは冷静さを取り戻したようで、再び腕を組むと顎をそらして私を見下ろした。
「ふん。私もこの者達も確かに男だが、お前のような子供の裸を見ても何とも思わぬ。安心して脱げ。」
「だから!子供じゃないって言っているじゃないですか。」
「ほう?・・・どのあたりが?」
彼は私の上から下までを無遠慮に眺め、鼻で笑って見せた。
「い、今はお局様の影響で12歳の頃の身体になっているだけで、本当の身体はちゃんとした28歳の大人なんです。」
「12歳の頃の身体、という言い方はおかしいな。その言い方ではまるで、その容姿がお前のものであるかのように聞こえる。勘違いするな。お前はお局様に間借りしているだけの存在。その身体はお前のものではないのだから。」
「え?でも、見た目は私でしょう?」
目を丸くして驚く私に、彼はふん、と鼻を鳴らした。
「お局様は恐れ多くも魔王であるぞ?幼体とはいえ、人間ごとき弱きものに姿を奪われるわけがないであろう。お前の目に今の自分がどう映っておるのかはわからぬが・・・、ふむ。では、お前の目ではお局様の姿を認識できぬのであろう。」
彼は頭が良いのだろう。
自分だけさっさと納得してしまったようだ。
(ええと、つまり・・・私の目には12歳の頃の私の姿に見えてるけど、みんなから見ればお局様の姿に見えてる、ってことね。)
彼らしい失礼な話しぶりだったけれど、これから魔界で生活するのにとても有用な情報だった。残念なのは、お局様がどんな容姿なのか私だけ見ることができないということだ。
「それよりも、28と言ったのか?お前の本当の身体は、たったの28歳で成体だと言うことか?」
キラリ、と彼の目が光った気がした。
「成体?」
(って、その前になんて言った?たったの、28歳!?)
「たったの」と言う言葉にうっかり反応してしまった。
メガネめ、なかなか良いところもあるじゃないか!
「たったの」28歳、だなんて・・・むふふ。
思わず顔がにやけそうになって、慌てて唇を引き結ぶ。
「ふん、そんなことも知らぬのか・・・まったく。」
そう言ってため息をつくと、彼は椅子に腰掛けた。
「まったく」を聞くのは何度目だろう?と思っている私に、メガネはとても偉そうに説明をしてくれた。
それは魔界人の生態についてだった。
お局様は今「幼体」と呼ばれる子供の状態であること。
だいたい12歳から15歳くらいで「成体」に変化すると言う。成体に変化した後は緩やかに成長を続け、種族や個人に沿った寿命をむかえて死に至ること。種族によって違うけれど、寿命は平均で500年程であること。
確かにそれを考えたら28歳は「たったの」と言えるかも知れない。
幼体は種族特有の能力を発揮できないため、成体に比べて無力で人間の子供とほとんど変わらないらしい。
そのため、危険を回避するためにお局様は成体になるまでは城から出ることができず、7公爵の誰かが交代で城に詰めているのだそうだ。
しかし、成体になれば種族に見合った外見と能力を発現できるようになるという。そうなれば、お局様もやっと一人前の魔王として認められるようになるのだ。
(早く成体になれたらいいのにな。)
自分のためではなく、お局様のためにそう思った。
お局様は自分が未熟だと、それをふがいないと悩んでいるようだから。もちろん、成体になってからも魔王として魔界を治めるまでには、いろいろ苦労があるのだろうけど、少なくとも悩みの一つは解決するのだ。
(悩みといえば、私が魔界に呼ばれた理由って・・・まだ、ちゃんと聞いてなかったかも?)
子孫繁栄がどうとか、言っていたような?だとしたら、お局様が幼体だという話と関連がないとも言えない。けれど、初日以降その問題に関する話は特に聞いていないのだ。
まぁ、私の学習能力の低さ(うぐぐ・・・自分で言っておいて傷つくわぁ)のおかげでアーシュの授業が進まず、問題の処までたどり着いていないというのが予想だけれど。
どうせなら、ついでに聞いてしまおう。
そう思って、彼を見上げて口を開く。
「あの、私が魔界に呼ばれた理由ってなんなんですか?」
「なんだ、そんなことも聞いていなかったのか。あの山羊男もとんだ無能だな。」
山羊男、って誰だろう?と不思議に思っていると、彼は「まったく」とおきまりの台詞をつぶやいた。
ため息混じりで面倒くさそうなのを隠しもしないけれど、説明はしてくれるらしい。案外律儀な人だ。
「今魔界は未曾有の危機にさらされている。問題は150年程前に始まった出生率の低下だ。出生率は下がり続け、その後の50年でとうとうゼロになった。」
「ゼロ!?・・・ゼロって事は・・・。」
「そうだ。100年前に最後の子供が生まれて以来、新たな子供は生まれていないということだ。」
「へえ!!大変ですねぇ。」
「・・・お前、他人事だと思っているであろう。」
骨まで凍るような視線にさらされ、私は慌てて首を振った。
「いや、だって・・・そんなことあり得るんですか?100年も子供が生まれないなんて!信じられなくて。」
「信じられなくても信じるのだ。それでなくては話が進まぬ。」
「うーん・・・じゃあ、信じます。それで?」
「お前は事態の深刻さを本当にわかって・・・まったく。」
眉をしかめ、小さくため息をついてから彼は話を続けた。
「出生率がある程度下がった時点で、先代魔王自ら魔界全土に向けて解決への協力を呼びかけた。それに応えて、魔界中の医者や研究者、心理学者や呪い師までが調査を始めた。しかし、とうとう見つからず今に至る。と言うわけだ。」
「ふうん・・・あれ?でも、お局様って12歳なんですよね?ってことは、先代の魔王様にだけは子供ができたってことですか?」
「いや、お局様が孵ったのは12年前だが、生まれたのは問題が起こるずっと前だ。」
「孵った・・・って、そんな卵じゃないんだから。」
「魔界人は卵から生まれる。」
はい?なんて、言いました?
「卵・・・って、鶏が生むアレですよね?」
「鶏と一緒にするな!・・・と言いたいところだが、まぁ似たようなものだ。ともかく、先代魔王はこの100年で問題を解決できなかった責任をとって、その座を退き、代わりにお局様を孵すことにした。時期魔王は魔王を引き継ぐときに卵から孵ることになっているのだ。魔王の子供に限っては、卵の孵化する時期を自由に選べるのでな。それが12年前だったということだ。」
「へええ・・・。」
なんだか不思議な話だらけで、いまいち現実感がわいてこない。
それに、他人事、と言われてもどうしようもない。だって、私は医者でも学者でもない下着売り場の店員だったんだから。
魔界中の識学者が解決できなかったのに、私を魔界に呼んでどうしろ、っていうんだろう。どう考えても見当違いだ。
「お前は魔界の期待を背負っている。成体になるのが楽しみだな。」
「ふーん・・・え!?」
理解だけはしよう、と話を聞いていたけれど、突然自分に矛先を向けられて目を見開いた。
「どういうことですか!?」
「どうもなにも・・・。そういう期待だ。」
「そういう期待、ってなんですか!?」
なんだか、とても嫌な予感がする。
そして、嫌な予感ほど良く当たるのだ。
ルキフェールはメガネのフレームを指で押し上げ、冷酷な笑いを浮かべたままとんでもない最終通告をした。
「お前にはなるべく多くの夫と交わって、可能な限り多くの子供を産んでもらう、ということだ。」
・・・・・・・絶句。