プロローグ
「お局様就任、おめでとうございまーす!!では、乾杯!」
金曜の夜、とある居酒屋に集まった某下着メーカーの社員25名。
今月度よりおめでたくも主任になった私、安藤絵里香のための宴会が始まった。
乾杯、といっせいに声が上がりグラスを合わせる音がする。
「先輩!おめでとうございます!」
「おめでとうございます!!」
「いよいよお局様だな!おめでとう。」
「いいなぁ。お局様。うらやましい。」
声を大にして言いたい。
(うらやましいって言った?じゃあ、替わってよ!)
独身、彼氏なし、の28歳。周りは次々に嫁に行き、または子供を産み、30歳を間近に控えていろいろと微妙なお年頃なわけです。
それを、言うに事欠いて「お局様」などとっ!!
前任者がいたころ自分も主任を気軽に「お局様ー」なんて呼んでいたのに、まさか自分がそう呼ばれるようになるとは!
くぅ。あの頃の自分をはり倒してやりたい。そして、私をいびらず仕事に感情を持ち込まなかったすばらしい先輩に花束を贈りたい!
今なら心から言えます!
先輩ごめんなさいっ!若気の至りです。若さが永遠だと思ってましたっ!すみませんでしたっ!!!
私は心の中で思い切り土下座をした。
「先輩どうしたんですかぁ?主任になれてうれしくないんですかぁ?」
舌足らずな口調で言うのは、販売課ホープのお姫様チサちゃん。大きな目と真っ白でぷくぷくとした頬からにじみ出る若さが許せな・・・いや、守りたくなるような美少女だ。
「うれしいよ?主任になれたのはね。」
「なんだなんだ。お局様になれたのにその顔は。みんなお前のために集まってくれたんだぞ?」
そう言うのは販売課の課長50歳。5人の子持ちでお腹周りに贅肉がつき、少々頭が寂しくなってきたところがかわいそ・・・いやいや、頼もしくさえ見えるナイスダディだ。
「そうよぉ。誰でも主任になれる訳じゃないのよ?お局様、っていうのはちょっとアレだけど伝統だから仕方ないでしょ。んふ。おめでと。お・つ・ぼ・ね・さ・ま。」
色気過多の同期で友人でもある彼女は弘美。スレンダーな足をこれでもか、と見せつけるような短いスカートをはいて座敷に座る。どんだけショーツ見せたいのかってつっこみたくもなる。実際男性社員の視線がその辺りをさまよっているのを彼女は知っている。フェロモンじゃなくて計算なのに、男は次々にひっかかってくる。
かくいう私の元彼も騙されて毒牙に・・・いや、よそう。弘美は悪くない。私の足に魅力が足りなかったんだ。もしくは計算能力か?
お局様おめでとうコールを何度かやり過ごし、ほろよく酔いが回ってきて周囲を見回してみる。
隣にいた有望男子社員本橋君の目が、何人もの男子社員に囲まれた弘美の股あたりに釘付けになっているのを見て、拳を握りしめる。
(くぅ、色気か!)
反対側を見れば、販売課きってのイケメン笠松君をはじめ、何人かがチサちゃんを取り囲んで口説いていた。
(若さかーっ!)
どうやら「お局様」と呼ばれた事実が想像以上に私にダメージを与えたようだ。
プレゼントだと社員一同から渡された大きな袋には、大量のセクシー下着が詰まっていた。さすが下着メーカー。スケスケから紐、エレガントからエロエロまで。
ありがたくも「勝負の時に使ってください!」とのメッセージ付きだ。
(勝負の時っていつ?何月何日何時何分地球がdonだけ回ったときー???)
どうも卑屈になっているらしく、お酒がちっともおいしくない。
(くそー、こうなったら飲めるだけ飲んでやるー!)
そうだ、今日はいくらでもただ酒が飲める。
主役を忘れて騒ぐ男どもの財布が空になるほど、飲んでやるのだ!
決意も新たに酒を注文し、ビールにカクテル、焼酎割りと、次から次へとグラスを空けていった。ついでに隣のイケメンの分まで飲んでやった。
ふふふ。お局様に怖いものはないのだ!
そして、正面では課長が顔を真っ赤にしながらおしぼりで頭を拭いていた。ツヤツヤと光る毛のない頭部も真っ赤で・・・つまり、その姿は海に生息する赤っぽい8本の腕を持つ生物そっくりだ。
「絵里香ちゃんはまだ結婚しないの?彼氏とかいないの?」
「は?」
なんだと?なんと言った!?この無脊椎海洋生物はっ!!!
「いやぁ、絵里香ちゃんがあと10歳若かったらお願いしたかったんだけどね。あれ?まさか未経験、ってことはないよね。今時。」
「・・・セクハラですよ、それ。」
「まぁまぁ。そのうち俺が相手を紹介してあげるから!あはは。」
「・・・。」
じっとりとした視線に殺意を込めてみるが、課長は全く気づかないようだ。
空気を読め!空気を!!
「あ、いるよねー彼氏くらい。ごめんごめん。あはは。」
茹でてやろうか!茹でて寿司のネタもしくは、山葵と醤油で食ってやろうかー!?
「いやぁ、今日は酔っちゃったかな。絵里香ちゃんのせいかな?」
「お酒のせいです。」
こめかみをひくつかせながらも、無理矢理笑顔を作り相づちを打つ。
これは正論だ!一分の隙もないはずだ!!どうだ、思い知ったかーっ!
そんな感じで1次会、2次会のカラオケが終わると酔っぱらい達は一人また一人と帰っていった。
「じゃあねーん。お・つ・ぼ・ね・さ・ま。」
本橋君と腕を絡ませながら、弘美は夜の町に消えていった。
覚えてろ!次はお前がお局様だーーっっ!!
「はぁ・・・帰ろ。」
むなしい気持ちでトボトボと歩く私。
あぁ、可哀想。
きっとこんな気持ちをわかってくれるのは、全国に散らばっている1万人(推定)のお局様だけ。
あぁ、会いたい。そして語り合いたい。愚痴りたい!!お局様万歳!!!
アパートへと歩きながら、何か羽織るものを持ってくれば良かったと後悔する。
秋の夜風までが、追い打ちをかけるようにこんなにも冷たい。
「うえ・・・吐きそう。」
歩いているうちに意識がもうろうとしてくる。
口に手を当て千鳥足で歩く私は、いかにも酔っぱらいだ。
私が今にも口から生産しそうな汚物を恐れ、誰も近寄ってはこない。
(大丈夫ー。ううっ。お局様なんだからねー。)
家まではあと5分もすれば着く距離だ。
よし!行けるー。私は行けるぞー!
思い切ってヒールの高い靴を脱ぐと、手に持った。
これでよしー。んー。私って頭いいー!
そうやって、道路の端で今すぐ眠ってしまいたい自分を励ましながら、肘で踏切の遮断機を押し上げてくぐり・・・・・・ん?あれ??遮断機をくぐった???
その時の私の動体視力は通常の50倍はあっただろう。
時速60キロ(だから推定!)で電車が近づいてくるのが、とてもゆっくりと、まるでスローモーションのように見えた。
赤く点滅する光。
誰かが「危ない」と叫ぶ声。
けたたましく鳴り響く警笛。
視界一杯に広がった目も眩むほどの光。
「お、おおおお局様っ!!」
最期の言葉がそれかいっ!!
私は自分の言葉につっこみを入れつつ・・・ブラックアウトした。