第一章 鉤爪の岬と「拾い物」の掟
その半島は、地図の上ではまるで海を睨みつける鉤爪のように見える。突端へと続く一本道は、進むほどに木々が歪み、潮風は生臭さを増していく。地元の者でさえ、その「先」へは決して足を踏み入れない。
そこには、古くからこの地に根付いた、呪いにも似た言い伝えがあるからだ。
「あの岬の海を、持ち帰ってはならん」
浜に腰を下ろし、網を繕う老漁師たちは、余所者が岬へ向かおうとすると、潮焼けした顔を上げることもせず、一様にそう口にする。彼らの声には、単なる迷信を超えた、生存本能に呼びかけるような切実な響きがあった。
「魚の一匹、貝の一枚ならまだいい。だがな、波が運んできた『物』には絶対に触れるな。どんなに美しく磨かれたシーグラスでも、精緻な彫金が施された指輪でもだ。ましてや、それが誰かの持ち物に見えるなら、なおさらだ」
あの岬の海は、捨てられたもの、失われたもの、そして——死んでいったものが最後に流れ着く墓標なのだ。
一度海が「自分のもの」として飲み込んだものを、陸の人間が勝手に奪い返すことは許されない。もし、漂着物をひとつでも拾い上げ、懐に入れて持ち帰れば、海はその「欠落」を埋めるために、代わりの何かを奪いに来る。
「いつか、銀の匙を拾った観光客がいた。翌朝、男の寝床は海水でびしょ濡れになり、その右手からは人差し指が根元から消えていた。刃物で切った跡もねぇ。指を、海が『代わり』に奪ったんだ」
「誰かの靴を拾った男もいた。そいつは今も生きちゃいるが、歩いても足音がしねぇ。石畳の上を踏みしめても、砂浜を歩くような湿った音しか響かんのだ。海が、そいつの『歩み』を奪い去っちまったのさ」
「海のものは、海のままに。還ったものは、還ったままに」
漁師たちは、岬の崖下にどれほど立派な流木が転がっていようと、高価そうな時計が濡れて光っていようと、決して拾わない。ただ、霧の向こう側を、何かを畏れるように見つめるだけだ。
それが、この岬で生き残るための唯一の「掟」なのだから。
だが、そんな古臭い言い伝えなど、都会の喧騒の中で生きていれば、誰もが一笑に付すに違いない。人の情念という名の「波」に呑み込まれようとしている男にとっても、その掟はあまりにも縁遠い話だった。




