第7話「秘密」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
放課後の校舎裏は、人の気配がなくてひっそりしていた。
風が植え込みの葉をゆらし、淡い夕陽が地面を赤く染める。
そこに二人は座っていた。
ハルカとマルタン。
最近、放課後になると、こっそりこうして会うようになった。
図書室の隅や、校舎裏のベンチ、公園の鉄棒の下……。
誰にも言えない「ふたりだけの秘密の場所」だった。
ハルカは膝に両手を置き、ちらちらと横を盗み見る。
マルタンはタブレットを抱きしめたまま、いつものように無表情。
けれど、ほんの少し肩が力んでいるのが分かる。
(いつも、ちょっと緊張してるよね……私のせいかな)
そう思うと、ハルカの胸の奥がくすぐったくなる。
彼のことをもっと知りたい。もっと笑ってほしい。
理由なんてよく分からない。ただそう思う。
「……ねえ」
勇気を出して声をかけた瞬間、マルタンがぽつりと呟いた。
「僕、変なんだ」
その言葉に、ハルカは目を丸くする。
「え……?」
マルタンはしばらく黙っていたが、やがて小さな声で続けた。
「怒ったり、悲しかったりすると……見えるんだ。
頭の中いっぱいに、数式の羅列と……光の粒が広がって、止まらなくなる。でも、何て言うか...触れるんだ、数式とかに...」
翡翠色の瞳が、不安げに揺れていた。
それは、ずっと誰にも言えなかった秘密を吐き出す勇気の証だった。
「……」
「酷いときには、そのまま意識を失いそうになる」
ハルカは言葉を失った。
頭の中で「幻覚? 病気? 怖い……」といった考えがちらつく。
けれど、それ以上に――。
(どうして……私に話してくれたの?)
胸がじんと熱くなる。
怖さよりも嬉しさが勝っていた。
だって、自分だけに打ち明けてくれたのだから。
「変だと思ったでしょ」
マルタンが小さくつぶやく。
その声は、諦めの色を帯びていた。
「ち、ちがうよっ!」
ハルカは慌てて首を振った。
「だって……私にだけ教えてくれたんでしょ? それって……嬉しい!」
自分でもうまく言えない。
けれど必死に伝えようとするその姿に、マルタンの瞳がかすかに揺れた。
夕陽に照らされた横顔。
その頬がほんのり赤く見えて、ハルカの胸がどきんと跳ねる。
(なんでだろう……一緒にいると、あったかくなる。
マルタンくんのこと、もっと知りたい……もっと笑わせたい)
その気持ちが、まだ名前のない感情――小さな恋心――であることに、ハルカは気づいていなかった。
翌日。
授業が終わったあと、ハルカは胸の中のもやもやを抱えきれず、ユナ先生を呼び止めた。
「先生!」
振り返ったユナは、柔らかく微笑む。
「どうしたの、ハルカ?」
憧れの先生。
いつも頼りがいがあって、優しくて……大好きな先生。
だからこそ、打ち明けられると思った。
「……あのね。マルタンくんのこと……助けたいんです」
「助けたい?」
ハルカは言葉を選びながら、真剣な瞳で訴える。
「マルタンくん、なんだかすごく苦しんでるみたいで……。
私、どうすればいいか分からなくて……。先生なら、きっと分かるんじゃないかって」
ユナは目を瞬かせた。
いつも元気でクラスを明るくする少女が、こんな真剣な顔をするのを初めて見た。
そのひたむきな想いに、胸が強く揺さぶられる。
「先生、あのね...この事は誰にも言わないでくれる?」
「分かったわ、約束する」
ハルカはマルタンが自分に打ち明けた「秘密」をユナに話した。
「……ハルカ。あなたは本当に優しい子ね」
ユナはそっと頭に手を置いた。
「大丈夫。先生も一緒に考えるから」
「……ほんと?」
「ええ、約束する」
その言葉に、ハルカは涙ぐみながらもぱっと笑った。
「先生、大好き!」
ユナは驚きつつも、そのハルカの告白に微笑むしかなかった。
夕暮れの教室。
窓の外で茜色に染まる空を見ながら、ユナはひとり呟いた。
「マルタン……やっぱり、あなたには何かあるのね」
静かな決意が、ユナの胸に芽生えていた。