第6話「少女ハルカ」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
ハルカはセレスティア王立ジュニア・アカデミーに通う生徒、マルタンと同じクラスだ。
彼女は、いつも気になっていた。
――マルタン・エリオット。
教室の隅で、本を読みながらひとりで過ごす少年。
授業中に当てられても正しく答えるのに、休み時間になると誰とも話さない。
からかわれても、じっと下を向いて耐えているだけ、何だかかわいそうになってしまう。
(ほんとは……さみしいんじゃないのかな)
明るい声が飛び交う教室の中で、彼だけがぽつんといる。
その姿を見るたび、ハルカの胸はちくりと痛んだ。
けれど、声をかける勇気はなかなか出せなかった。
(声をかけたいな……でも、もしマルタンくんがびっくりして嫌な顔したらどうしよう)
(わたしなんかに話しかけられるの、迷惑だって思うかもしれない……)
(でも、わたし、何でこんなにマルタンくんのことが気になっているの?)
(だって、いつも独りぼっちだし、なんか寂しそうだから…)
――数日前の特別参観を思い出す。
澪という人が来て、「楽しいことを思い浮かべて」と言ったとき、ハルカは無意識に満面の笑顔を見せていた。
その笑顔を「カワイイ」と褒められたとき、胸の奥がじんわり温かくなった。
(……そうだ。私が笑えば、マルタンくんも笑ってくれるかな)
気づけばそう思っていた。
クラスの目なんて、どうでもいい。
彼のさみしそうな背中を見ているほうが、ずっとつらかった。
「……よしっ!」
夕暮れ、放課後の校門。
校門から出て来たマルタンを見て、ハルカは大きく息を吸い込んだ。
「マルタンくーんっ!」
元気いっぱいの声が黄金色の道路に響き渡る。
マルタンが振り返る。大きな翡翠の瞳が驚いたように瞬き、夕陽を反射してきらりと光った。
「えっと……」
一瞬、足がすくむ。
でも、ここで黙ったら後悔する。
「一緒に帰ろっ!」
声は裏返ったけど、笑顔はまっすぐだった。
マルタンは一瞬ためらうように目を伏せた。
(何なんだこの子は...また、嫌がらせか?)
胸の奥にざらついた不安が広がる。
(っ! 面倒くさい、でも断ればまたきっと…)
――小さく答えた。
「い……いいよ」
「やったーっ!」
ハルカはその場で跳ねるように喜び、ぱっと花が咲くような笑顔を見せた。
夕暮れの並木道が、その笑みひとつで明るくなった気がした。
ハルカが男子と二人並んで歩くのは初めてで、最初は気まずい沈黙が流れた。
けれど、ハルカは頑張る。
「ねえねえ、今日の給食のプリン、美味しかったよね! 私、二個食べられるなら絶対食べてたのに!」
「体育で転んだ子、砂だらけでおにぎりみたいになってたの、見た? もう笑っちゃってさ!」
「そうだ! マルタンくん、図書室によくいるでしょ? 今度おすすめの本、教えてよ!」
楽しげに、ころころと声を弾ませる。
マルタンは短く「……うん」「そうだね」と答えるだけ。
(よく喋る子だな、でも...)
でもマルタンの胸の内は、いつもと少し違っていた。
少しずつ、あたたかさが満ちてくる。
(なんでだろう……僕に、こんなに楽しそうに話してくれるなんて)
ふと、マルタンは小さな声をもらした。
「あの...何で僕なの?」
「え?」
「皆んなが僕を避けているの、知ってるだろう?」
「やっぱり、私が話しかけるの...迷惑だった?」
「いや、そうじゃないけど、僕と一緒にいるの見られたら、きっと君も...」
「私ね、お話ししたい人と話すんだって決めたの、じゃないと、きっと後で後悔する。だから周りの目を気にするの止めたの」
「...」
「それとも、やっぱり迷惑だった?」
「いや、そんな事ないよ。ただ、今までこんな風に話しかけられた事なかったから」
「じゃあ、お友達になろうよ! 私はマルタンくんのお友達になりたい」
マルタンはハルカの無垢な笑顔をジッと見つめる。
(僕、人の顔をこんなに見つめた事があっただろうか...?)
「……その笑顔」
「え?」
「君の笑顔は……嘘じゃないんだね」
ハルカは目を丸くして、それから頬を赤く染め、にっこり笑った。
「当たり前だよ。だって――楽しいんだもん!」
ーー僕と居て楽しい
その一言が、マルタンの胸に深く刻まれた。
心の奥に、ふわりと小さな灯がともるように。
ハルカは、明るく快活で、クラスの誰からも好かれる少女だ。
でも、その無邪気さはただの元気さじゃない。
人の寂しさを感じ取って、放っておけない優しさがある。
――その日、夕焼けの帰り道。
二人はマルタンがいつも寄り道をする公園に差し掛かる。
マルタンがチラッと公園のいつものベンチに目をやる。
マルタンとハルカ、二人の長い陰が公園の横を通り過ぎて行った。