第5話「干渉する心、崩れるシステム」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
ユナの新しい日常は、静かに始まった。
ヴァルガード語が流暢なユナに適用された更生支援プログラムは、セレスティア王立ジュニア・アカデミーでヴァルガードを教える事だった。
セレスティア王立ジュニア・アカデミー――整然と並ぶ白壁の校舎、最新のクラウド基盤で制御される教育システム。
ユナのヴァルガード語の授業は一日に3クラス。
授業初日、教室の一角でタブレットを閉じて俯いている生徒を見て、ユナは胸の奥がざわめいた。
――あの子が...マルタン・エリオット。
ユナはその美しすぎる容姿に、近寄り難い何かを感じていた。
授業のペースは数日で掴めていた。
だがユナには、もう一つやらなければならない事がある。
澪から手渡された「小型電磁波センサー」が、バッグの奥でひっそり眠っていた。
「マルタン……あの子が危険人物だなんて、信じられない」
ユナは心の中で呟く。
マルタンは確かに孤立している。だが、乱暴もせず、大声も出さない。ただ透明な壁の中にいるように――どこか儚げだった。
ただ、人を寄せ付けない程のあの美しい容姿が孤立の一因ではないか、と直感していた。
そのせいか、ユナはセンサーのスイッチを入れることをためらい続けていた。
ある日のこと。
ユナは職員室を出て、授業のために教室へ向かっていた。
マルタンのクラスだ。
廊下を歩きながら、センサーをバッグから取り出して上着の内ポケットに忍ばせる。
その時、偶然指先がセンサーのスイッチをタップした。
……ピッ。
「え、なに?」
立ち止まり、センサーのディスプレイを見ると、小さなアンテナのアイコンが点滅し始めていた。
そのまま教室へと足を進める。
センサーが震え始める。
そこにはマルタンがいる。
――ブブッ。ブブブッ。
センサーのバイブがどんどん強くなり、赤いアラートが画面に走った。
【電磁波異常値検出】
「うそ……!」
ユナは反射的にセンサーを切ってをポケットに押し込む。
(やっぱり……あの子……!)
放課後。
ユナは決心して、マルタンの後を追った。
街灯に照らされた公園、冷たいベンチに腰掛ける小さな背中。
遠巻きにセンサーを起動する。
手の上で即座にセンサーが振動する。
ピィィ――。
再び赤いアラートが画面に走った。
【電磁波異常値検出】
画面に走った数値を見て、ユナは息を呑む。
「……通常の百倍……? 平常時なのに……」
彼女は即座にデータを澪へ転送した。
解析ラボの澪は端末でユナから転送された数値を見つめ、固く拳を握る。
(やはり……間違いない。マルタンは平常時でさえ異常な電磁波を放っている)
それから数日後。
ユナのヴァルガード語の授業中。
ユナはヴァルガード語の古い詩集の一節を読み聞かせている。
「この詩はね、ヴァルガードの人形職人が、自分の丹精込めて作った人形が売れた時の嬉しさと、同時にまるで自分の子どもと別れる様な寂しさを謳った詩なのよ」
マルタンの前の席の生徒が振り返って言った。
「……おい、人形だってよ。お前の事じゃないのか? クククッ...」
小さな嘲笑が周囲で起こる。
マルタンの頬がサッと赤く染まる。
周囲の失笑が頭の中で膨らみ続ける。
マルタンは拳を握りしめて必死に耐えていた。
「おい人形、お前も売られて来たのか?」
何人かが不自然にどっと笑う。
マルタンは俯いて両手で耳を塞ぐ。
(も…やめて…もう...)
「おい人形! なんとか言えよ!」
(たのむ...もうやめて)
「何で人形が学校にいるんだよ!」
「そうだ、ここは人間が来る場所だ」
(もう...いやだ、イヤだ...嫌だ!)
ユナが教壇の上で叫ぶ。
「皆んな、止めなさ...」
ユナの言葉を遮るように、マルタンはムクッと立ち上がると、座っていた椅子が後ろに転倒した。
顔は天井を仰ぎ、全身が痙攣している。
(まずい!)
ユナは胸ポケットのセンサーのスイッチを素早くタップし、教壇を降りてマルタンに駆け寄ろうとする。
「うわぁぁぁぁ~!!」
マルタンの叫び声が教室の空気を激しく震わせた。
「ま、待って……!」ユナが駆け寄るより早く、マルタンは意識を失い床へと崩れ落ちた。
次の瞬間、
シーリングライトが激しく明滅し、教壇のワイドスクリーン、生徒達のタブレット端末が次々にブラックアウトする。
教室脇の高速プリンターは意味不明な幾何学模様をデジタルシートに吐き出し続けている。
何人かの生徒が教室から飛び出して行った。
廊下からは悲鳴とざわめき。
「タブレットが死んだ!」「家に帰りたい!」叫び声が交錯する。
教師たちが端末を抱え教室から飛び出して、原因を探そうと右往左往する。
学校内の全てのデバイスが沈黙した。
「落ち着くんだ!」若い男の教師が叫ぶ。
数分後。
構内放送が緊急アナウンスを流した。
『緊急事態発生――これは訓練ではありません。基幹システム障害のため、本日の授業はすべて中止します。生徒は速やかに帰宅しなさい』
「おっしゃ、やったー!」嬉しそうな生徒の声。
ユナは澪にメッセージと共にセンサーのログを転送する。
「あの子は普通じゃない」
澪のラボ。
「……やっぱり、起きた、あの子ね...」
ユナからの報告を受けた澪の声は硬かった。
澪はモニターに映るユナから送られたセンサーのログを指差して言った。
「見て、あの子の電磁波強度は『測定不能』レベルよ」
リオンはモニターを無言で見つめている。
リオンは公共システム監視局に務める友人に頼んで、ジュニア・アカデミーの基幹システムが稼働するクラウドの最新ログを入手した。
「これは越権行為だ。いいかリオン、今回だけだ。俺を厄介事にまきこまないでくれよ」
友人の言葉だ。
「あの子は...サイキッカーよ」
リオンは澪の言葉に首を横に振る。
「だが証拠が足りない。子どもひとりの電磁波でクラウド全体が落ちるなんて、常識では――」
「常識では計れないからこそ、今動かないと」
澪は即答した。
彼女は端末に取り込んだクラウドのログを拡大表示する。
波形はまるで心拍のように律動し、一定のリズムで割り込み信号を模していた。
「リオン、見て。これはAffecticsが暴走した時のログと……同じパターン」
リオンは黙り込む。だがなお首を縦に振らない。
「説明して」彼が低く問う。
「うん」澪は息を整え、科学者として冷静に答えた。
「普通の人間だって脳の活動で微弱な電磁波を出している。でもマルタンの数値は桁違い、しかも一定方向に偏向しているわ。それと、このリズム……“割り込み要求”そのものに酷似してる」
「だが、なぜ学校システムまでダウンする? あのシステムは数百キロ離れた遠隔地のクラウドにあるはずだ」
「――ゲートウェイよ」
澪の瞳が鋭く光る。
「ゲートウェイは演算をしない。だからマルタンが発した電磁波を単なる信号として、そのままクラウドへ伝送してしまったの」
「……!」リオンの表情が変わる。
「クラウドの中枢は超高性能マルチCPU。数百万のコアで並列処理している。だからこそ“敏感”すぎて……この異常な電磁波を、膨大な数の割り込み要求として誤認したのよ」
「例えば、もしピコ秒あたり数百万の割り込み信号をクラウドが受信したら、クラッシュする可能性は十分にある」
澪は画面を指でなぞりながら続ける。
「ユナの報告によるとマルタンの電磁波は、半径数十メートル以内では特に強力に干渉する。だから教室や校舎のようにCPUクラスタが近接する環境では、直接システムを崩壊させる」
リオンは言葉を失った。
その時、澪の脳裏に――Air on G の言葉がよみがえった。
『それはSOSかもしれない』
澪ははっと息を呑む。
「……そうか……!」
彼女の口から閃きがこぼれる。
「マルタン……あなたは辱めを受けるこの現実から逃げ出そうとしているんだ。現実世界に耐えられず、その意識をコンピュータの仮想世界へ――無意識にリンクさせようとしている!」
リオンは絶句した。
「逃避行動……それがシステム障害に化けたと?」
澪は重く頷く。
「そう。あのシグナルは、助けを求めるSOSだったのよ。……サイキッカーだったら、出来る」
ラボの空気が凍りつく。
二人の視線が交差する。
「……マルタンこそが、Affecticsを暴走させた原因だった」
澪の言葉に、リオンは沈黙で応じるしかなかった。
恐怖。だが同時に――震えるような期待。
澪は胸の内で問いかける。
(マルタン……あなたがCPUにリンクした時、いったいどんな景色が見えているの?)
モニタに映る翡翠色の瞳の顔写真が、冷たく光った。
(マルタン・エリオット……あなたは、この国にとって――脅威、それとも希望?)
ラボに残ったのは、冷却ファンの唸りと電子音だけ。
そして、静かに芽生えた確信。
「感情」が、システムを崩した――。