第22話「0.5の行方」
「セレスティア・クロニクル ー 境界を越える者とAI」シリーズのSeason3
2つの島国の衝突危機回避から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
一人の少女による海底トンネル爆破計画を阻止し、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、CPU演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
サイキッカー、2つの組織のAIバトル。果たして勝つのは?
第二回合同授業は、結局「無事に」終わったことになった。
セレスティア側が謝罪し、ヴァルガードは理解を示した。形式上は友好の形が保たれたのだ。
だが、その裏で生徒たちの心に残ったのは恐怖と混乱だった。
あの瞬間、マルタンが教室の中央で炎のように爆ぜたこと。
「光の海が見えない」と呟き、意識を失ったこと。
それは、誰の記憶からも消せない。
数日後。
マルタンは精神鑑定を受け、「親しい友人を失ったことによる一時的な錯乱」と診断された。
今は拘束を解かれ、数日後には復学する予定だ。
澪達は、マルタンがサイキッカーである事を知られるのを最も恐れていた為、胸を撫で下ろした。
けれど澪とリオン、ユナの三人は納得できなかった。
「……おかしい」
ラボのスクリーンを見つめながら、澪は低く呟いた。
ユナによると、マルタンが発火する迄にゴトウが言ったのは「では...第二回合同授業を始めます。前回に引き続き両国の歴史を学びます」だけだ。
「つまり、ゴトウの“トリガーワード”はなかった。それなのにマルタンは自分から発火した。ゴトウがマルタンを洗脳している、という私の仮説が間違っていた...結果、EIDOSのシナリオは外れたのよ」
リオンは椅子に深くもたれて眉間を押さえ、深くため息をついた。
「つまり根本から間違ってたってことか……全部が」
ゴトウは何者なのか。ハルカをさらったのは誰なのか。マルタンはなぜ自ら……
問いを並べても、答えはどこにもなかった。
完全な敗北感が二人を覆う。
その時、ラボのドアが開き、上司が顔を出した。
「来客だ。応接室へ」
澪とリオンは顔を見合わせた。
応接室。
待っていたのは――ゴトウだった。
「てめえ……!」リオンが詰め寄ろうとする。
だが澪が腕を伸ばして制した。
ゴトウは淡々とデジタル証明証を差し出した。
虹色に浮かび上がるロゴは、セレスティア治安維持監視局。
「私は局の諜報部員だ。まず、合同授業のインシデントを防いだ君たちに感謝する。君達の事は局の上層部から聞いている」
あまりに意外な言葉に、二人は声を失った。
ゴトウは淡々と語った。
――一年前から教育基幹システムに不可解な割り込み信号があった。
――サイバー攻撃の疑いで派遣され、教師として潜入した。
――特別参観の時、マルタンの力を目撃して“サイキッカー”だと断定した。
――局には「サイキッカー養成プログラム」があり、マルタンの可能性を評価する任務が追加された。
――だが、ハルカの失踪で彼の精神は不安定になり、経過観察扱いとなった。
――第二回合同授業では、私もマルタンの挙動には注意を払っていたつもりだが、防ぎきれなかった。両国の関係悪化はなんとしても防がなければならない。最悪の事態が避けられたのは君達のおかげだよ。
――治安維持監視局もいまだハルカを追っているが、進展はない。
リオンは顔をしかめる。
「じゃあ……あんたはダーク・ヒールズじゃないってことか?」
「ダーク・ヒールズ?」ゴトウは小首をかしげた。
「それは何だね?」
澪は胸の奥でつぶやく。
(そう……ダーク・ヒールズの人間なら、ノコノコとここへやって来たりしない。なるほど、局の諜報部員...Affecticsの感情乖離の解析結果も頷ける...か)
ゴトウは軽く一礼すると「暫くはマルタンは我々の監視下に置く」と言い残して部屋のドアを開けた。
「一つだけ教えてくれ」
リオンがゴトウの脚を止める。
「俺は国民データベースであんたの事を調べさせてもらった。あんたの怪しいIT企業の勤務経歴はあったが、治安維持監視局の事などどこにもなかった。何故だ」
「私は諜報部員だと言ったろう。言わば黒子の様な存在だ。『自分は治安維持監視局の諜報部員です』などと公表すると思うかい?」
では、と言ってゴトウは部屋を出て行った。
二人は顔を見合わせると、ヘナヘナとソファにへたり込んだ。
「完敗ね」
澪が呟く。
「一体どうなってるんだ!」リオンがテーブルを叩く。
「ひょっとしたら、私達が誰かのシナリオに踊らされていたのかもしれない、他の誰かに...」
リオンは頭を抱えたまま返事をしなかった。
その夜。
澪は夢で白髪の青年に再び出会った。
「言っただろう」
青年は柔らかく笑った。
「テクノロジーは天使にも悪魔にもなる。君は“軍や官僚にEIDOSを渡すのは危険だ”と考えてきた。だがどうだ、専門家である君やリオンでさえ、誤用のリスクを避けられなかった」
澪は言葉を失い、ただ青年を見つめた。
「解析に勇気は要らない。だが未知の事象に挑む時には、その勇気が必要になる。まだコンピュータが無い大昔、人間はそうやって道を切り開いてきた。今回君は、リオンと共に“勇気の0.5”に賭けて道を開こうとした。だが、インシデントに至らなかったとは言え惨敗だった。
その『0.5』は今後も君に付きまとうだろう……」
青年は霧の中へ消えていった。
翌朝、タカコのカフェ。
カウンターには出勤前に朝食を取る客が二人。
澪は一人でテーブルに座り、指先を組んで唇に押し当てた。
「……私の仕事は、あの『0.5』を小さくしていくこと。
それは、人間の勇気や直感をAIに肩代わりさせることかもしれない。
けど……もし0.5が0.0になった時、私たちはまだ“人間”でいられるんだろうか」
澪は冷めたコーヒーを飲み干し、バックパックを背負って立ち上がった。
まだ胸の奥には、敗北の痛みと答えの出ない問いが渦巻いている。
「……ごちそうさま、行ってきます」
タカコがカウンターから笑顔で手を振る。
澪は小さく頷き、ドアを押し開けた。
朝日が差し込む港町の通り。
ざわめきの中へ歩き出すその横顔は、幼さを残しながらも大人びて見えた。
(そう、私の仕事は、この0.5を小さくすること。
その先に何が待っていようが――前に進むしかない)
街の光と影に溶け込みながら、澪は答えのない未来へと歩みを進めていった。




