第2話「Affecticsの授業参観」
「セレスティア・クロニクル ー 境界を越える者とAI」シリーズのSeason3
2つの島国の衝突危機回避から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
一人の少女による海底トンネル爆破計画を阻止し、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、CPU演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
サイキッカー、2つの組織のAIバトル。果たして勝つのは?
今日は特別な日だった。
セレスティア王国の学校では、年に数回「特別参観」と称して、生徒たちが社会の最前線に触れる機会が設けられている。
その目玉のひとつが――科学技術省のラボ見学だ。
生徒たちは、科学技術省のタワービルの前に整列している。
雲を突き抜けるほどにそびえ立つ――高さ一1000メートル。
セレスティア王国科学技術省の象徴、通称ーネクサス・スパイア。
その姿は街のどこからでも見えたが、彼らにとって目の前で見るのは初めてだ。
外壁はすべて強化ガラスと光を反射する合金で覆われ、昼は太陽の輝きを受けて蒼白にきらめき、夜は幾千ものラインライトが走って天空を切り裂く。
まるで「文明そのものが柱となって立ち上がった」かのような威容だった。
地上から見上げると、上層階は霞に隠れ、建物の全貌をとらえることはできない。
下層には行政フロア、中層にはラボや実験棟、そして頂上には量子通信中枢と国家AIのコアが格納されているという。
だが、その内部を知る者はごく一握りにすぎない。
――1000メートル。
人間が空へ積み上げた「知性の塔」は、セレスティアに生きる人々にとって、希望であり、不安であり、そして未来そのものだった。
「ねぇ、本当に入っていいのかな……?」
「すげー、映画みたいだ!」
引率の先生に連れられ、無機質な廊下を歩く子どもたちは、緊張と興奮でざわついていた。
「ここからエレベーターに乗りますよ。ラボはこのビルの中層にあります」
案内役の声に、子どもたちの目が一斉に輝いた。
目の前にそびえるのは、ガラスと金属でできた巨大な昇降口。
扉が静かに左右に開き、彼らは息を呑む。
中は一面が鏡張りのように光沢を放ち、壁面には青白い光のラインが走っている。
未来の宇宙船に乗り込むような錯覚すら覚えた。
「すっげぇ……」
「わぁ……映画みたい」
子どもたちが足を踏み入れた瞬間、扉が無音で閉じられる。
次の瞬間――。
「きゃっ!」
「うわっ!? 耳が……!」
体が一気に下から押し上げられた。
轟音はなく、ただ重力だけが彼らを床に押し付ける。
わずか十数秒で、彼らは地上から数百メートル上――ネクサス・スパイアの中層へと運ばれていった。
「早すぎだろこれ……!」
「飛行機より速いんじゃない?」
耳を押さえたり、壁にしがみついたり、興奮と戸惑いが入り混じる。
やがて重力の感覚がふっと消え、エレベーターは滑らかに減速する。
柔らかいチャイムが鳴り、扉が開いた。
目の前に広がったのは――未来そのものを思わせる光景だった。
巨大な透明パネルが天井まで伸び、無数の光点が走り抜ける。
中央には、白を基調とした美しい装置――《Affectics》が鎮座している。
「みなさん、ようこそ」
珍しくメークを施した澪が、柔らかい笑みで出迎えた。
隣には黒髪の青年リオン。無駄のない動きで端末を操作し、安全管理を徹底していた。
子どもたちの視線は自然と装置へと吸い寄せられる。
未知のテクノロジーに触れられる高揚感が、教室では味わえないざわめきを生んでいた。
「これは《Affectics》と呼ばれる装置です。人の感情を読み取り、分析して――場合によっては声を返すこともできるんですよ」
澪の説明に、あちこちから「すごい!」「マジで!?」と声が漏れる。
澪はその中で一番目を輝かせていた女の子に近づいた。
しゃがみ込み、耳元にそっと囁く。
「なにか楽しいことを思い出してみて。Affecticsはきっと気付くはずだから」
女の子は少し照れながら目を閉じ、すぐに笑顔を咲かせた。
それは子どもらしい無垢な笑み――純粋に「楽しい」という感情そのものだった。
装置が低い駆動音を響かせ、青白い光が女の子をスキャンする。
《質問:何がそんなに楽しいのですか?》
「えっ、え〜!? なんで分かったの!?」
女の子は頬を真っ赤にして振り返った。
澪は笑いながら肩を竦める。
「そりゃ、あんなにニコニコしていたら誰だって分かるわ。でも……カワイイ!」
「えへへ……」
生徒たちがどっと笑い、教室とは違う明るい空気に包まれる。
だが、そのとき。
澪の視線が、最後尾の一角でじっと俯いている少年に止まった。
金髪、透き通るような肌、そして翡翠色の瞳。
――マルタン。
澪は彼に近づき、優しく声を掛けた。
「あなたも、なにか楽しいことを思い出してみて」
マルタンの肩がわずかに揺れる。
(楽しいこと……?)
頭の中は空白だった。
どれだけ探しても、楽しい思い出など浮かばない。
沈黙が場を支配する。
その空気を破ったのは、別の生徒の嘲笑だった。
「コイツは人形だからさ、思い出なんかないんだよ!」
「ほんとだ! 人形のくせに喋るから気持ちわりぃ!」
爆笑が広がる。マルタンは顔を伏せたまま立ち尽くしていた。
胸の奥で、羞恥と怒りが一気にせり上がっていく。
頬が紅潮し、呼吸が荒くなる。
(やめろ……)
(やめろって言ってるだろ!)
次の瞬間――。
ラボ全体が悲鳴を上げた。
「きゃっ!」
「うわっ!」
照明が激しくフリッカーし、天井のランプがチカチカと明滅する。
《Affectics》のパネルが赤く点滅し、装置全体が急加熱を始めた。
「暴走!? 嘘だろ!」
リオンの声が響く。
「皆んな、装着から離れて!」
澪が叫ぶ。
生徒たちが悲鳴をあげて後退する。
「緊急遮断!」
リオンが端末に飛びつき、強制遮断のレバーを引き下ろす。
耳をつんざく警報音が途切れ、轟音を立てていた機械の駆動も次第に収束していく。
やがて――沈黙。
そこに立っていたのは、蒼白な顔のマルタンだった。
翡翠の瞳は虚ろに揺れ、全身から力が抜け落ちている。
「……っ」
膝が崩れそうになる。必死に堪えるが、今にも倒れてしまいそうだった。
澪は息を呑む。
「これは……普通じゃない」
リオンが険しい表情で端末を閉じる。
「ログ、全部押さえた。……外部から“割り込み”があった形跡がある」
重苦しい空気の中で、子どもたちのざわめきだけが続いていた。