第16話「乖離」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
稽古を終えたばかりのリオンとマルタンは、道場のロッカールームで汗を拭きながら着替えていた。
リオンがタオルで首筋を拭い、にやりと笑う。
「おい、マルタン。ちょっと付き合え」
「え?」
不思議そうに首を傾げるマルタン。
夕暮れのタカコのカフェ。
木の扉がきいと鳴り、二人が入ってくる。
大きな窓から差し込む橙の光が、磨き込まれた木製のテーブルを柔らかく染めていた。
カウンターの奥ではコーヒーミルが静かに唸り、焙煎豆の香りがふわりと漂ってくる。
リオンは背中を押すようにマルタンを席へ導いた。
「こっち座れ」
「……あ、はい」
すぐにタカコが水を二つ持ってやってきた。
「あら、リオン。こっちが噂の“弟子”のマルタンくんね? いらっしゃい」
「どーも」リオンは軽く手を上げ、マルタンはペコリと頭を下げる。
壁に映されたホログラムメニューを眺めながらリオンが言う。
「俺はコーヒーと……プロテインドーナツだな。お前は?」
「……チョコレートシェイクで」
「ガキかよ」
リオンが吹き出しそうになりながら笑った。
二人で談笑していると、ドアベルがカランと鳴った。
オレンジ色の光を背に、澪とユナが入ってくる。
「あら、奇遇ね」
澪が小さく手を振る。
「ちょうど稽古終わりで腹減ってたとこだ。こっち来いよ」
リオンが手招きする。
「ふふ、同じ店に来るなんて、運命かもね」
ユナは軽口を叩きながら注文を飛ばした。
「タカコさん、コーヒー二つ!」
四人で同じテーブルを囲む。
チョコレートシェイクのストローを吸うマルタンに、澪が微笑みかけた。
「マルタン君、最近ほんとに雰囲気変わったよね」
「……そうですか?」
マルタンは頬を赤くし、視線を落とす。
「強くなるのはいいことだ」リオンが続ける。「だがな、強さってのは使い道を間違えたら危ねぇ。お前はどう思う?」
「僕は……守りたいんです。もう誰も笑われない、泣かせない。僕は守護者になりたい」
その言葉に、澪はそっとバッグの中でモバイル端末を起動した。
Affecticsの簡易版。青白い波形が画面に浮かび上がる。
リオンが澪に軽く頷く。
澪は話を続けつつ、意図的にキーワードを差し込んだ。
ユナがさらりと口を挟む。
「そういえば……ゴトウ先生の授業ってどう?面白い?」
ピッ。
波形が跳ね上がる。
「普通です。歴史を教えてくれるだけ」
マルタンは淡々と答えた。
しかし画面には赤い文字――「感情乖離:高」。
(やっぱり……)澪は眉をひそめる。
澪はさらに仕掛ける。
「そういえば、あの子どうしてる? Affectics参観でニコニコしてた可愛い子」
「……ハルカ、ですか?」
マルタンは視線を泳がせ、慌ててストローに口をつける。
ユナがにやりと笑った。
「ああ、ハルカって言うんだ。人気あるんじゃない? 君とは仲良さそうだけど?」
マルタンの指が小さく震えた。
「ただのクラスメートです。それ以上でも以下でも」
だが波形はさらに大きく跳ねる。
「感情乖離:非常に高」
ユナはカップを傾けながら、わざとらしく言った。
「でも……ハルカの方は、君を“ただのクラスメート”以上に思ってるかもね」
ズズズッ。
マルタンは残りのシェイクを一気にすすり上げた。
その夜。
ラボの巨大モニターにスキャンデータが映し出される。
正義感:高信頼域
愛国心:高信頼域
承認欲求:過剰
危険思想:検出なし
ゴトウ:感情乖離(極大)
ハルカ:感情乖離(極大)
「……これは……」
澪は絶句した。
Affecticsの合成音声が淡々と告げる。
「乖離要因を特定すれば、危険分子化シミュレーション可能」
「"ゴトウ"か、"ハルカ"……どっちかが鍵ってわけだな、いや、両方かもな」
リオンが低く唸った。
その夜、澪は夢を見ていた。
闇の図書館。
宙に浮かぶ無数の本が静かに回転し、粒子の光が雪のように舞い降りてくる。
澪が息を呑む間に、その奥から白髪の青年が歩み出てきた。
「澪」
低く澄んだ声が響いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
その声に触れただけで、全身が熱を帯びる。
青年の姿は幻想的だった。
月光を思わせる白い髪がふわりと揺れ、整った横顔に柔らかな光が差し込む。
深い瞳が真っ直ぐこちらを見つめるたび、心臓が跳ねる。
言葉にするのがもったいないほど、美しい――。
澪は、まるで時間が止まったかのように立ち尽くした。
胸の鼓動は彼に聞こえてしまうのではないかと思うほど激しい。
ただ名前を呼ばれただけなのに、足が震える。
(ヤバい、やっぱりステキ過ぎる...)
「マルタンの正義感と、大切な人を守りたい思い……それは純粋で本物だ。だが――だからこそ諸刃の剣にもなる」
その声は、甘くて、でもズシリときた。
澪の心に針のように刺さり、そして優しく包み込む。
「諸刃の剣……」
青年は静かに頷く。
「新しいテクノロジーも同じだ。使う者によって天使にも悪魔にもなる。
だが、勘違いしてはいけない。マルタンを危険分子と見てはならない。本当の危険は……その背後にいる者だ」
澪は息を詰めたまま、必死に言葉を絞り出す。
「背後に……それって、ダーク……」
問いかけた瞬間、青年の姿は霧のように淡く溶けていった。
残されたのは、胸を打つ鼓動の余韻だけ。
澪は、夢の中で自分が頬を赤らめていることに気づき、唇を噛んだ。
(……ほんとにずるいんだから)
数日後。
リオンは国民データベースの端末にログインし、ゴトウの経歴を追っていた。
教師になる前の一年間――履歴書には「IT企業勤務」とだけ記されている。
「……歴史の教師が、どうしてIT企業なんかに?」
不自然な経歴に眉がひそむ。
企業の業務内容を調べると「教育向けデジタル教材の開発」とある。
だが裏帳簿に近い記録を洗い出すと、暗号技術、サイバー防衛、ネットワーク監視――明らかに軍事応用可能な研究が進められていた痕跡が浮かび上がった。
さらに企業の沿革を辿る。
二年ごとに合併、分離、吸収、売却。
まるで本業ではなく“所有権の移転”こそが目的であるかのように、会社は次々と姿を変えていた。
「……資金洗浄だな」
リオンは低く呟いた。
資金の流れを解析していくと、最上位に一つのペーパーカンパニーが現れた。
タックスヘイブンの小国に登録された匿名企業――。
リオンは役員リストを開いた。
そこには防御システム開発企業の取締役、兵器メーカーのCEO、軍需産業の有力者たちが名を連ねていた。
「……世界の軍産複合体の重鎮ばかり……」
息を呑む。だが同時に、違和感が胸に残った。
――これはあくまで“表に出ている名前”だ。
これほど大きな資金と人脈を束ねているにもかかわらず、背後で糸を引いている本当の存在は、どこにも記されていない。
リオンは拳を握りしめた。
「……これが、澪の言う“ダーク・ヒールズ”の影……か?」
ペーパーカンパニーは単なる下部組織。
そのさらに奥――正体不明の存在が、確実にそこにいる。
姿を見せず、だが確かに世界を動かしている。
「やはり……ゴトウの背後には奴らがいる。マルタンが……危ない」
モニターの冷たい光が、リオンの横顔を鋭く照らし出していた。




