第15話「断末魔の要塞」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
夜。
古びたアパートの一室に、低い蛍光灯の光がじりじりと揺れていた。
壁紙は黄ばみ、ところどころ剥がれかけている。窓の外からは、遠くを走るトラックのエンジン音と、下の居酒屋から漏れる笑い声がぼんやりと響いてくる。
ゴトウはベッドに仰向けに寝転び、片手でタブレットを操作した。
画面に浮かび上がったのは、暗号化回線を通じて送られてきた極秘ファイル。
〈ChapterⅠ:サイキックパワーの検証手順〉
開いた瞬間、【参考】とある段落に、びっしりと並ぶ難解な専門用語と数式が目に飛び込んでくる。
CPUレジスタ、割り込みシグナル、バイナリ空間リンク……。
ゴトウは眉をしかめ、額を掻いた。
「……何のことだか、さっぱり分からん。まぁ……だから“参考”って書いてあるんだろうな」
乾いた笑いが、狭い部屋の天井に吸い込まれていく。
ITの知識など彼にはない。だが、それでも一つだけ理解できた。
「要は――もう一度、あの少年に“力”を見せてもらう必要がある」
その呟きと同時に、彼の目に宿る光が変わった。
生徒を見守る教師のそれではなく、獲物を追う他の何かの鋭い光に。
放課後の校舎。
赤い夕陽が廊下を染め、窓から伸びた影が床に長い筋を描いていた。
「マルタン君、少し話せるかね」
背後からの穏やかな声に、マルタンが振り返る。
その瞳に、一瞬の緊張が走る。
ゴトウは柔らかく笑みを浮かべ、教師らしい調子で語りかけた。
「Bullying Sweaperの活躍は聞いているよ。批判もあるが、私は評価している」
「……本当ですか」
「君には本物の正義感とリーダーの資質がある。仲間を率いて立ち上がった――それが何よりの証拠だ」
その言葉に、マルタンの胸が熱を帯びた。
誰にも認められなかった自分の行いが、ついに肯定された、それも先生に。
ゴトウの声が、ふいに低く沈む。
「だが、まだ足りない。そろそろ“特別な力”を鍛える時だ。本物の守護者になるために」
「でも、僕には武術があるし、リーダーシップだって……」
「本物の守護者になるか、それとも今のままで満足するか――君が決めるんだ」
夕陽に照らされたゴトウの瞳が、どこまでも深い影を湛えていた。
マルタンは息を呑んだ。直感で、迷っている暇はないのだ、と感じ取っていた。
「……はい。ゴトウ先生を信じます」
その夜。
前回と同じビル。
無機質な自動ドアが開くと、白色蛍光灯に照らされた巨大なサーバルームが広がる。
耳を打つ轟音――冷却ファンの絶え間ない唸り。
冷気で吐息が白く曇り、黒いラックの列が果てしなく続いているように見えた。
赤と青に点滅する無数のインジケータが、まるで星々の瞬きのように視界を埋め尽くす。
その中心で、最先端軍事用スーパーコンピュータが眠っていた。
静かでありながら、前回とは比較にならない圧倒的な威圧感を放ち、処理能力は前回のコンピュータの1000倍だ。
「起動してくれ!」
ゴトウが叫ぶ。
壁の巨大モニターに、鋼鉄の巨人が目を覚ますかのように、黒背景に白い文字列が次々と流れていく。
冷却ファンの轟音がさらに増し、床全体がわずかに振動する。
[BOOT SEQUENCE INITIATED]
> Power Grid Status .............. OK
> Fusion Reactor Core ............ ACTIVE (Output: 500MW)
> Secondary Fission Backup ....... READY
> Cryogenic Cooling Towers ....... ACTIVE (-180℃)
> Sub-zero Liquid Helium Pipes ... FLOW STABLE
[MEMORY ARRAY]
> Memory Bank A (16 PB) .......... ONLINE
> Memory Bank B (16 PB) .......... ONLINE
> Memory Bank C (32 PB) .......... ONLINE
> Memory Bank D (64 PB) .......... ONLINE
> Memory Cluster Integrity ....... VERIFIED
> Total Effective Memory ......... 128 Petabytes
[CPU CLUSTER SYNC]
> Quantum-CPU-001 ................ READY
> Quantum-CPU-002 ................ READY
> Quantum-CPU-003 ................ READY
> Quantum-CPU-004 ................ READY
> Quantum-CPU-005 ................ READY
> Quantum-CPU-006 ................ READY
> Quantum-CPU-007 ................ READY
> Quantum-CPU-008 ................ READY
> Exa-Core Synchronization ....... STABLE (1.2 ExaFLOPS each)
> Total Processing Power ......... 9.6 ExaFLOPS
[NETWORK DEVICES]
> Core Switch Cluster ............ ONLINE
> Optical Backbone Link A ........ STABLE (120 Tbps)
> Optical Backbone Link B ........ STABLE (120 Tbps)
> Quantum Encrypted Channel ....... ACTIVE
> Military Satellite Uplink ....... LINKED (Geo/LEO/MEO)
> Emergency Radio Fallback ........ READY
> Global Gateway Node ............. SECURED
> Celestia Defense Grid Interface . CONNECTED
> Valguard Gate Proxy ............. STANDBY (Restricted Access)
[ADVANCED MODULES]
> Quantum Accelerator ............. ONLINE
> Photonic Neural Co-processor .... ACTIVE
> Autonomous Defense Kernel ........ ACTIVE
> Secure AI Core .................. SEALED
> Predictive War Simulation Engine . ONLINE
> Temporal Forecast Module ......... CALIBRATED (±12 hours future-state sim)
> PsyOps Signal Analyzer ........... ACTIVE
> Sentiment Warfare AI ............. STANDBY
> Multi-Agent Swarm Controller ..... ACTIVE
> Orbital Drone Command Uplink ..... LINKED
> Cybernetic Countermeasure Core ... ONLINE
> BlackICE Intrusion System ........ ARMED
> Nanite Fabrication Unit .......... STANDBY
[AI MODULES]
> STRATEGOS-AI (Grand Strategy) .... ONLINE
> PROMETHEUS (Cyber Offense) ....... ONLINE
> AEGIS (Cyber Defense) ............ ONLINE
> HECATE (Deception & Cloaking) .... ACTIVE
> JANUS (Dual-State Prediction) .... ACTIVE
> ERIS (Chaos Simulation Engine) ... ONLINE
> TYR (Psychological Warfare AI) ... STANDBY
> NYX (Stealth Operations AI) ...... ARMED
> ATLAS (Logistics Optimization) ... ONLINE
> ECHO (Counter-Psyker Monitoring) . CALIBRATED
> ORACLE (Probability Mapping) ..... ACTIVE
> CHRONOS (Temporal Event AI) ...... LINKED
> HERMES (Global Network Relay) .... ACTIVE
> THANATOS (Failsafe Override) ..... SEALED [RESTRICTED]
[FINAL CHECK]
> System Integrity ................. 100%
> Thermal Signature ................ STABLE
> Intrusion Detection .............. GREEN
------------------------------------------
BOOT COMPLETE
SYSTEM ONLINE
“I am ready.”
マルタンはごくりと唾を飲み込んだ。
「……これが、国を守る機械……?」
直後、モニターの表示が一瞬フラッシュし、黒背景は消え去った。
代わりに幾何学模様が渦を巻き、カラフルなインターフェイスに切り替わる。
光の粒子が集まり、中央にアバターの姿が形成されていく。
それは人間の顔を模していながらも、どこか無機質で、虹色に透けるような存在だった。
「――Welcome to Neuro-Electronic Fortress 8000.」
中性的な声が、ラボ全体に響き渡る。
「Call me NEF8000. ……or simply, NEF.」
ブート開始からわずか20秒だ。
マルタンの目が大きく見開かれる。
「……喋った……!」
ゴトウは笑みを浮かべ、少年の肩に手を置いた。
「驚くことはない。これが国家の頭脳だ。人と同じように対話し、未来を計算する……君が力を示すべき相手だよ」
NEF8000の瞳が淡い光を放ち、まるでマルタンを見透かすように動いた。
「Emotional resonance detected. ……Subject identified: Martin E.」
「ぼ、僕の名前を……」
「正確な対象認識は、対話の第一歩だ」
声は抑揚こそ機械的だが、どこか人間臭いリズムを帯びている。
マルタンの鼓動が速くなるのを、ゴトウは横目で確認していた。
(いいぞ……NEFの言葉が、少年の心を揺らしている)
「では……君の番だ、例の力を見せてくれ」
ゴトウの低い声が響いた。
マルタンは深呼吸し、瞼を閉じた。
過去の罵声を呼び起こす。
――人形。
――化け物。
――気持ち悪い。
しかし……胸は静まり返ったまま。
武道で鍛えた呼吸法が、心を整えてしまう。
怒りは燃え上がらない。
「……できません」
かすかな声でそう告げる。
ゴトウは眉をひそめ、さらに言葉を投げかけた。
「悲しい記憶はどうだ? 嫌な思い出は? 恐怖は?」
マルタンは唇を噛み、沈黙したまま。
その沈黙を破ったのは、ゴトウの声だった。
声の調子を変え、低く、囁くように。
「――では、想像してみなさい。君の大切な人の命が……誰かに奪われようとしている場面を」
マルタンの全身がびくりと震えた。
脳裏に浮かぶのは――怯えるハルカの姿。
無垢な笑顔が、苦痛に歪むイメージへと変わっていく。
「……やめろ……やめろぉっ!」
次の瞬間。
視界が弾け、光の粒が奔流のように溢れ出した。
無数の数式と0と1が、押し寄せる波となって彼を呑み込む。
「うあああああああっ!!」
サーバルーム全体が悲鳴を上げる。
ランプが一斉に赤に染まり、冷却装置が停止。
巨大なスーパーコンピュータが揺れ、モニターに乱れた数式が現れては消えていった。
「いいぞ、その調子だ!」
轟音を立てる冷却ファンが、徐々に唸りを狂わせていく。
モニターには乱れた数式と赤い警告マークが走り、サーバルーム全体が不気味な閃光に染まった。
ノイズ混じりの声が、スピーカーから漏れる。
“System integrity… compromised…”
“Unauthorized entity… detected…”
音声は途切れ、歪み、まるで苦しむように変調していく。
そして――最後に異様なまでにクリアな、まるで人間の声色を真似るかのような断末魔の叫び声が残響していた。
“Please… get me a doctor.”
次の瞬間、サーバルームが轟音と共に沈黙した。
赤い警告灯だけが、静かに回転し続けていた。
真紅の警告灯だけが回転し、闇の中で二人を切り取った。
マルタンは膝を折り、床に崩れ落ちる。
「……数字の川に……飛び込んだ……」
かすれた声が零れた。
ゴトウは一瞬だけ言葉を失った。
だがすぐに、口元を吊り上げる。
「……この最新鋭の軍事用スーパーコンピュータをクラッシュさせるとは...想像以上だ」
赤い光に照らされたその横顔は、もはや教師ではない。
冷酷な工作員の顔だった。
「マルタン、今日の事は誰にも喋ってはならない、君のご両親にもだ。これは全て君の為だ、いいね?」
マルタンは膝を付いたままで力なく頷く。
ゴトウの頭に浮かぶ「トレーニングメニュー」の一節。
――感情の高揚制御が兵器化の鍵となる。
(つまり、臨界点を超えた時……少年は兵器になる)
ゴトウの瞳に赤い光が反射し、妖しく明滅した。
「ふん……なるほど。大切な人、か」
その呟きは誰にも届かず、ただ冷たい空気に溶けていった。




