第13話「支配」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
昼下がりの教室。
窓から射し込む陽光に照らされながらも、空気はどこか重く張りつめていた。
「おい、あの人形野郎、最近態度がデカくないか?」
誰かが誰かに半分冗談のつもりで小さく呟いた瞬間――。
マルタンはゆっくりと顔を上げ、その声の方向を向いた。
翡翠色の瞳が、静かにその相手を射抜く。
何も言わない。ただ一瞥しただけ。
それだけで、嘲笑はかき消され、空気が凍りつく。
まるで天敵にロックオンされた獲物の様だ。
「……かっ」
からかった生徒は喉を詰まらせ、視線を逸らした。
数秒の沈黙ののち、ざわつきは戻る。
だが、誰もマルタンの事をもう軽々しく口にする者はいない。
たった一人の生徒の変貌がクラスの空気を明らかに変えていた。
もう以前のマルタンではない事を皆が認識した瞬間だった。
「マルタン、アイツ、ヤバくないか?」
そんな空気、同調圧力の様なモノが、じわじわと広がっていく。
マルタンが武道を始めた事も知れ渡っている。
机に腰掛けていた男子も、廊下でふざけていた女子も、気づけば彼の視線を避けるようになっていた。
それはある種の畏怖であり、同時に“支配”の始まりだった。
窓際でハルカは、そんな様子を見つめていた。
(マルタンくん……頼もしい……)
そう思いたいのに、心の奥で小さな声が囁く。
(でも、ちょっと……怖いよ……)
放課後。
澪のラボ。
「マルタンの様子が変わってきている」
ユナの報告を受けて、澪はモニターに映る道場のマルタンの姿をじっと見つめていた。
一人で黙々と型の動作を繰り返す。
その美しい顔がその所作をより美しく見せている。
だが、道場にいる他の子供達はマルタンを避けているように見えた。
「逞しくなったのは事実みたい。けど……」
澪は小さく息を吐く。
リオンも険しい顔で腕を組む。
「ああ、奴は想像以上に力をつけた。振舞いや表情も以前とは大違いだ。力を誇るのはいいが……周囲との壁にしてしまってはなぁ。万が一その力が”支配”に向かうような事になったら...ヤバいな...」
「"支配"に向かうって?」
「肉体的な力は、精神的な自信に繋がる。
だがな……世の中の荒波を知らない若い奴らや、長く虐げられてきた人間は、その力や自信を“支配”に向けちまうことがある。承認欲求を満たすためにな」
二人は答えの出ない沈黙に沈む。
(マルタン、あなた今、何を考えているの?)
背後でAffecticsのファンが唸り続けていた。
(……けど、今はまだ覗くべきじゃない。まだ、信じて見守るしかない)
翌日の放課後。
「マルタン君、少しいいかい?」
ゴトウが声をかけた。
人気のない放課後の廊下。
夕陽が窓から差し込み、長い影を伸ばす。
「そろそろ君の特別な力を見せてくれ。今からある場所に一緒に行こう」
「ある場所?…」
マルタンの顔に不安な影が浮かぶ。
「はは、大丈夫だよ。怖がることはない、私がついている」
車で案内された先は、街外れの無機質なビル。
自動ドアの向こうには、巨大なサーバルームが広がっていた。
耳を打つ轟音。赤や青に点滅する無数のインジケータ。
軍事用スーパーコンピュータが、冷気を吐き出しながら眠っていた。
マルタンは圧倒され、言葉を失った。
「……すごい……ここは?」
ゴトウは薄い笑みを浮かべ、低い声で囁く。
「君の特別な力を、ここで試してみよう」
「では、早速見せてくれ」
ゴトウの声が響く。
「でも...」マルタンが躊躇する。
「守護者になりたくないのかね?」
マルタンは目を閉じ大きく息を吸うと、かつての自分に向けられた嘲笑を思い浮かべようとしてみる。
――人形。
――化け物。
――気持ち悪い。
だが……何も感じない。
武道で身につけた呼吸や自信が、感情を封じ込めてしまう。
何度やっても同じ、怒りは湧いてこない。
「……今日は…できません」
唇が震え、声はか細く漏れた。
ゴトウは一瞬沈黙し、わざとらしく肩を落とした。
「……そうか。やはり私の思い違いだったか」
そして、冷酷な声で言い放つ。
「残念だが君はただの凡人だ。守護者にはなれない。帰りたまえ」
(...ッ)
――凡人。
その言葉が、マルタンの胸を抉った。
(僕は……凡人じゃない。リオンにも認められたんだ……馬鹿にするなっ!)
顔が紅潮して呼吸が不規則に荒くなっていく。
目をカッと見開いて天井を仰ぎ、全身が震えだす。
その瞬間――
脳裏に、焼けつくような閃光が走った。
目の奥が白く裏返り、世界が“数式”に置き換わっていく。
机、壁、ゴトウの顔――すべてが0と1に分解され、膨大なビット列となって洪水のように押し寄せる。
画面に映るプログラムコードが、勝手に書き換わっていく。
本来静止しているはずのウィンドウが震え、モニターの中で文字が滲み、数値が歪む。
「――う、ああああああああッ!」
マルタンの喉から、裂けるような叫びが噴き出した。
声というより、電流が肉体を強引に通り抜ける音に近い。
彼の周囲の空気がビリビリと揺れ、蛍光灯が明滅する。
マルタンの瞳孔は極端に開き、呼吸は荒く、汗が滴り落ちた。
けれどその意識は“こちら”にはなく、彼だけが別の回路網に直結している。
――怒り
怒りが、彼を演算の中枢へと引きずり込む。
憎悪と悔しさがトリガーとなり、彼は「人間の指では触れられない領域」に、肉体のまま干渉していた。
異音を放ちながら、メインサーバーが一斉に落ちた。
ラックのランプが一斉に赤く染まり、冷却システムが停止。
轟音と共に、モニターに乱れた数式が現れては消えていく。
「警告――システム異常」
自動音声が響く。
次の瞬間、照明がバチッと落ち、真っ暗闇の中に赤い警告灯だけが回転した。
スーパーコンピュータは――完全に沈黙した。
闇の中ーー
暗闇に沈む室内に、マルタンの荒い息だけが残された。
ゴトウは一瞬、驚愕に息を呑んだ。
だが、すぐに口元を吊り上げる。
「……これだ、想像以上だ」
赤い光に照らされたその顔は、もはや教師ではなかった。
冷酷な微笑みを浮かべ、マルタンの肩をポンと叩いた。
「少年。君こそ、真の守護者になる資格がある」
マルタンは荒い呼吸を繰り返しながら、自分の中に広がる熱を感じていた。
(そうだ...僕は……特別なんだ……! もう、誰にも笑わせない)
(僕が、この世界を――支配するんだ)




