第12話「告白」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
夕暮れの道場には、まだ熱気がこもっていた。
マットには幾度も踏み込んだ跡が残り、空気は汗と木材の匂いに満ちている。
マルタンは膝に手をつき、肩で息をしていた。額を伝う汗がぽたりと落ち、マットに黒い染みを作る。
その横で、リオンがタオルで首筋を拭きながら言った。
「よく頑張ったな。最初はすぐに倒れてたのに、もう十本は連続で立ち続けられる」
その声に、マルタンの胸がじんと熱くなる。褒められることに慣れていない心が、少しずつ新しい感覚を覚えていく。
稽古を終えた後、リオンはふと思いついたように言った。
「飯でも行くか。頑張ったあとの飯は格別だぞ」
驚いて顔を上げるマルタン。
「……僕と?」
「他に誰がいるんだよ。さ、行くぞ」
その夜。二人は小さな食堂のカウンターに並んで座っていた。
「ここの焼き肉プレートは最高だぜ」
肉を頬張りながら、リオンが不意に真剣な顔つきになる。
「マルタン。今のお前の力はまだ自分のために使え。強くなるってのは、まず自分を守れることだ。だが、もっと力をつけたら……そのときは大切な人や、この国のために使える」
マルタンのフォークが止まる。胸の奥に、その言葉が真っ直ぐ落ちていく。
(大切な人……)
頭に浮かんだのは、校庭で見せてくれたハルカの無邪気な笑顔だった。
(僕が……誰かを守れる日が来るのかな)
ガツガツと肉を食べているリオンの横顔は、父親や兄のように頼もしく見えた。
その夜、マルタンは胸に初めて“未来の自分”を思い描いた。
数日後の放課後。
薄暗い校舎の廊下で、ゴトウがマルタンを呼び止めた。
「マルタン君、少し話そうか」
歴史教師の声は穏やかで、どこか優しい響きを帯びていた。
マルタンは少し緊張しながら頷く。
空き教室。窓の外は夕陽に染まり、机の影が床に長く伸びていた。
ゴトウは机の引き出しから古びた地図を取り出し、広げながらゆっくり語り始めた。
「君は最近、逞しくなったね。武術も随分と上達したのではないかな?」
「はい……以前よりは」
「だが、もっと強くなりたければ武術だけではだめだ」
「え……?」
ゴトウは指で地図をなぞる。そこには、赤と青で線が幾重にも引かれた両国の境界線が描かれていた。
「セレスティアとヴァルガード。教科書には“友好の歴史”とあるが、真実は違う。裏ではずっと対立を続けてきた。海底トンネルは交流の象徴だと皆が言う。だが、ヴァルガードがそれを足掛かりに侵略してくる未来を考えたことはあるか?」
「侵略……?」
「そうだ。だからこそ、君のような“強い者”が必要なんだ。正義感を持ち、力を使える者が。言わば守護者だ」
マルタンの胸がざわめく。
(僕が……?)
「だが本当の守護者になるには、武術以外の力が必要だ」
ゴトウの声が低く沈む。
「特別な者だけが持つ、もう一つの力だ」
マルタンの喉がひくりと鳴った。隠してきた秘密が、胸の奥で暴れ出す。
(言っていいのか……リオンや澪なら、きっと……でも、怖がられるかもしれない……)
迷いが胸を締めつけた。だが、目の前の教師の瞳は「理解してくれる」ように優しく見えた。
マルタンは小さく息を吸い、決意するように言葉を吐き出した。
「僕……怒ったり悲しい時に、頭の中に数式とか……光の粒が広がるんです」
ゴトウの目が一瞬細まる。
「数式と光の粒……?」
「触れられるんです。流れてる0と1に……手を伸ばしたら、届く感覚が」
沈黙。夕陽が教室の壁を赤く染め、二人の影を長く伸ばす。
ゴトウはゆっくり頷き、口角を上げた。
(やはりな……)
「僕は……普通じゃないんです。だから怖くて……」
「違う」
ゴトウの声は鋭くも優しく響いた。
「恐れる必要はない。その力は誇るべきものだ。君のような者こそ、人の上に立ち、導くべき存在なんだ」
「人の……上に……?」
「そうだ。君はリーダーになる資質を持っている。力を誇り、仲間を導き、国を守るんだ」
マルタンの胸に熱が広がっていく。
(認められた……僕の力を、認めてもらえたんだ……)
その夜、布団の中で何度も思い返した。
「誇れ」「守るんだ」「人の上に立つ者」――その言葉が脳裏に焼き付き、甘い毒のように彼を満たしていった。
翌日の教室。
マルタンの前の席の生徒が席につく時に、誤ってマルタンのタブレットを床に落としてしまった。
「……おい、拾うんだ」
その一言で、教室が静まり返る。
生徒はマルタンの鋭い眼光に射すくめられ、怯えた顔でタブレットを拾い上げた。
周囲の視線が変わる。もう、誰もマルタンをからかわない。
(僕が……従わせた?)
胸の奥にぞくりとした驚きと、同時に甘い高揚感が芽生える。
窓際で見ていたハルカの胸に、小さな痛みが走る。
(マルタンくん……なんだか、前と違う……)
けれど言葉にできない。ただ、笑顔を作って胸に押し込むしかなかった。
夜。
ゴトウはアパートの机に向かい、小型端末を操作していた。
教室での柔らかな笑みはもうない。冷えた目で、暗号化回線に文字を打ち込む。
――対象:PSSB
――内容:特別能力を自ら告白。兵器化可能。リーダー資質の芽生えあり。
送信。
しばらくすると、画面の隅に「承認済み」のサインが浮かび上がり「トレーニングメニュー」のファイルが添付されている。
添付ファイルを開く。
< Chapter Ⅰ > 「サイキックパワーの検証手順」
< Chapter Ⅱ > 「目標エンハンスメントレベル」
…
ゴトウの口元がゆっくりと歪んだ。
「少年……その力をパワーアップして、必ず我々の守護者として使わせてもらうぞ」
窓の外には、静かな夜の街並み。
だがその静けさは、確実に嵐の前触れだった。




