第11話「囁き」
二つの島国――〈セレスティア〉と〈ヴァルガード〉。
かつて、海底プレートの移動により両国の領土が衝突し、戦争と崩壊の危機にさらされた。
その災厄を救ったのは、国家を越えて誕生した最強のAI《Air on G》、そして一人の少女・澪だった。
危機から五年後。
澪は22歳となり、国家AI戦略プロジェクト「感生AI(Affectis)」の開発メンバーとして、国を守る最前線に立っている。
海底トンネルの完成によって、両国は新たな交流の時代を迎えた――はずだった。
だが、平和の陰には必ず影が潜む。
世界規模の闇の組織〈ダークヒールズ〉が、両国の関係を悪化させようと水面下で動き出していた。
そしてその渦中に巻き込まれていくのは、一人の少年――マルタン。
彼は強い感情に突き動かされると、「0と1の流れに触れ、演算を直接書き換える」という、常識を超えた異能を発揮する。
それは国家の基幹システムすら停止させうる“人間サイキッカー”。
友情、武道、幼い恋心、そして闇からの囁き。
少年の選択が、国家の未来を揺るがす。
ラボの奥、青白い光を放つサーバルーム。
澪とリオンはEDIOSのコンソールの前に並び立っていた。
スクリーンには「マルタンのシグナル再現シミュレーション」の結果が映し出され、赤いクラッシュマークが次々と基幹システムに突き刺さっていく。
「……これが、もし現実で同時多発的に起きたら」
澪の声は低く震えていた。
「電力網も、空港管制も、軍のネットワークも……国そのものが麻痺するわ」
リオンは腕を組み、険しい顔で唸った。
「対策を考えるしかねぇな。だが……」
二人はホワイトボードに複雑な防御構想を描き出す。
CPUの三重化、特殊ハードの追加、外部センサーによる電磁波監視、仮想空間バッファ……。
線と数式が幾重にも交差し、ボードはすぐに真っ黒に染まった。
「これを国全体に導入するとなると……」
澪は書いたばかりの回路図を睨み、深く息を吐いた。
「国家予算がいくつあっても足りない……。私たちには権限もない」
重苦しい沈黙が落ちる。
二人の背後でEDIOSの冷却ファンが唸りを上げ、まるで絶望をあざ笑うかのようだった。
リオンが、ふとホワイトボードを見つめながら呟いた。
「……なあ。全部を守る必要、あるのか?」
「え?」
澪が顔を上げる。
「考えてみろよ。マルタンの干渉で“ひとつのCPUのレジスタ”が書き換わるんだろ? でも複数のCPUが同じ計算をしてるなら、ほかのCPUは正しい答えを出してるはずだ」
澪の脳裏に、さっきのログが蘇る。スロット1と3は一致、2だけが異常。
「……そうか」
声が小さく漏れた。
リオンが頷き、言葉を続ける。
「だったら、多数決で判定すればいい。異常が1つ混ざっても、残りが“正しい”って証明すれば、クラッシュしない」
「……でも、ただの多数決じゃ不十分よ」
澪は思案の眼差しでモニターを見つめた。
「マルタンの干渉はランダムじゃない。もっと巧妙で、システムに“自然な結果”のように見せかける可能性がある。だから――」
指が走り、キーボードに新しいモジュールを組み込む。
「各CPUにAIモジュールを載せるの。演算結果が“正当”か“改ざん”かを判定させる。AIが疑わしいと判断した値は、投票で切り捨てる」
「つまり――」リオンの瞳が光る。
「レジスタを書き換えられても、多数のAIが“これは不正”って可決すれば、自動で正しい値に修復できる」
澪は強く頷いた。
「そう……コンセンサス・シールド。複雑なハード改修は不要。既存のCPU群にAIモジュールをロードするだけでいい。低コストで、すぐに導入できる」
二人の目に、久しぶりに光が宿った。
重苦しい空気は晴れ、白い蛍光灯が新しい希望を照らしているように見えた。
「……やろう」
澪が小さく呟く。
その頃。
薄暗いアパートの一室。
ゴトウは机に腰掛け、スクリーンカメラから送られてくる映像を凝視していた。
映っているのはマルタン。
教室で真剣にタブレットへ答えを書き込む姿。
放課後、公園でハルカと並んで話す姿。
ゴトウは椅子に深く身を沈めながら、静かに呟いた。
「……孤独だったはずの少年が、仲間を得ている。心が強くなれば、力も育つ……」
指先で端末を弾く。映像が切り替わり、マルタンが道場に入っていく様子が映し出された。
白い道着姿の少年が、真剣に礼をして中へ消えていく。
「――これだ」
ゴトウの口元が、かすかに吊り上がった。
数日後の放課後。
並木道を歩いていたマルタンの横に、静かに影が差した。
「マルタン君」
振り返ると、歴史教師・ゴトウが立っていた。
穏やかな笑み。けれどその目は、深い底を隠している。
「君は武道をやっているんだね」
「え……」マルタンは戸惑い、頬が赤くなる。
「なぜ知っているんですか?」
「偶然ね、君が道場に入っていくのを見かけてね」ゴトウは軽く笑った。
「でも思ったんだ。その力を、もっと大きなもののために使ってみないか?」
「……大きなもの?」
「国を守るためだよ」
その声は柔らかく、それでいて深く心に響くように調整されていた。
「君は正義感も強そうだ。強くなれる。君の力は、この国の未来を支える影の守護者になれるんだ」
マルタンの胸が高鳴る。
「……僕が、国を……守る?」
夕暮れの光の中。
ゴトウの言葉は、幼い心に甘い毒のように沁みこんでいった。
(僕も……守れる? “カッコいい男”に……なれる?)
その瞳に、初めて危うい憧れの光が宿った。




