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第2夜:『プールの底に沈む真実』① 沈黙と違和感

「それから数週間後の、また雨の夜のことです。彼女は再び現れ、夏のプールで起きた、一見事故に見えた、奇妙な出来事を語り始めました。しかし、その水の底には、隠された真実が沈んでいたのです。それは、生きている者たちの悪意と、水に飲み込まれた者の、深い怨念が絡み合った、恐ろしい真実でした。水は、時に全てを覆い隠し、しかし、時に全てを露わにする媒体でもあるのです。その底に眠る真実は、常に、水面に影を落としていました。」


ーーー


その夜も、夕方から激しい雨が降り始めた。外の景色は、雨脚のせいでぼやけて見え、街の喧騒も、降り注ぐ雨音にかき消されている。店の奥から聞こえる水のせせらぎが、いつもより大きく感じられた。マスターは、あの女性が来るだろうと予感していた。まるで、雨が彼女を呼び覚ますトリガーであるかのように、決まって雨の夜に彼女は現れるのだ。


店の扉が静かに開く音がすると、やはりそこに彼女が立っていた。濡れた髪から水滴が零れ落ちるが、やはり床にはシミ一つできない。その度に、彼女が現実の存在なのか、それとも幻影なのか、俺は確信が持てなくなる。彼女はいつものようにカウンターの隅に腰を下ろし、俺が差し出す水に目を落とす。彼女の顔は、今日もまた、少しだけぼやけて見える気がした。その瞳の奥には、薄い水の膜が張られているかのようだった。その視線は、まるで深海の底を見つめているかのように深く、そして何も映していないかのようだった。


ーーー


私の名前は青木渚。高校2年生で、水泳部に所属している。運動神経には自信があるし、クラスでも人見知りはせず、友人にも恵まれていた。正義感が強く、困っている人を見過ごせない性格で、部活でも中心的な存在だった。今は夏合宿中。普段なら笑い声と水しぶきが響き渡る廃校のプールが、今は重苦しい空気に包まれている。


数日前、部のエースだった由美が、練習中に溺死したのだ。警察は事故と判断し、簡単に捜査を打ち切った。だが、私にはどうしても納得がいかなかった。


(「事故? そんなはずない。由美は、水泳の才能に恵まれて、私たちの中でもダントツだった。インターハイも夢じゃないって言われてたのに。あんなに泳ぎがうまかった由美が、なんで…? なんで、あの深いプールで、一人で溺れるはずがない。あの日、プールの底、何か光った気がしたんだ…一瞬だけど、ギラッと。あれは何だったの? 頭の中で、由美が苦しむ声が聞こえる気がする…気のせい? いや、この寒気は…ただの気のせいじゃない。肌が粟立つような、この感覚…」)


私の全身を、言いようのない寒気が走り抜けた。夏の暑さの中でも、皮膚の内側から凍りつくような冷たさ。プールの水面は、由美の死を暗示するかのように、鈍く光っていた。太陽の光を反射するはずの水面が、なぜか深い影を落としているように見える。


由美の死後、部員たちの間に漂う奇妙な沈黙と、互いを刺すような視線が私を苛むようになった。みんな、まるで何かに怯えているかのように、口数が減り、表情も硬い。特に、由美を陰で苛めていたグループのリーダー格、梨花と彩香の顔色がおかしい。由美が死んだ日も、あいつらが由美をプールに突き飛ばしたと噂されていた。普段ならニヤニヤと嘲笑っていたあの意地の悪い顔が、今は青ざめて引きつっている。明らかに動揺している。


(「あいつら、絶対何か隠してる。由美が苦しんでたのは、私だけが知ってることじゃない。あの日、由美がプールサイドで、あいつらに何か言われてたのを、私は見てたんだ。あのニヤついた顔…絶対何か知ってるはずだ。由美は苦しんでた。由美のためにも、私が暴いてやる、真実を! でも、私が知ったら、次は何が起こるの? 私まで、由美みたいにされるんじゃないか…? いや、でも、このままじゃ由美が報われない! 私しかいないんだ…」)


正義感が強い私の心と、一方で、見えない恐怖に怯える臆病な私が、激しくせめぎ合う。私の目は、自然とプールの底へと向かっていた。水は透明なのに、底の一部が妙に歪んで見えるのだ。そこだけ、プールのタイルが波打っているように、あるいは、水が濃い色に染まっているように見える。目を凝らすと、そこだけぼんやりと黒ずんで見える気がする。まるで、そこだけが別の空間と繋がっているかのように、底なしの闇が広がっている。


(「なんであそこだけ? 水が波打ってるわけでもないのに…まるで、何かを隠しているみたいに…気のせい? いや、絶対何かある。あの光、あの歪み…あれが、由美の死の秘密なの? 私に、何かを伝えようとしてる…?」)


プールに近づくたび、幼い頃、一度だけプールで溺れかけた時の記憶がフラッシュバックする。あの時も、水底から誰かに見られているような、冷たい視線を感じた。底なしの暗闇の中で、私をじっと見つめる無数の目。それが、今、このプールの底から私を監視しているかのように思えた。水中にいると、時折、体中に刺すような冷気を感じることがあった。それは、まるで私の「第六感」が、真実を予感しているかのようだった。その冷たさが、背筋を這い上がってくる。


ーーー


「水底に沈む真実は、常にその影を水面に落とすものです。彼女は、水が放つ微かな『違和感』を敏感に感じ取り、そこに隠された悪意と怨念の存在を予感していました。しかし、その真実へと近づくほどに、彼女自身もまた、水の底へと引きずり込まれていく運命にあることを、彼女はまだ知らないのです。」

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