第7話 触れてはいけないガラス
城の南端にある温室は、昔からアリアの隠れ家だった。
花々の香りに包まれたその空間は、時間の流れがどこかゆるやかで、誰にも邪魔されない静けさがあった。
午後、書類を届けるついでに立ち寄ったリオは、たまたまその扉の前で足を止めた。
中から聞こえる音はない。けれど、かすかな気配がした。
扉の隙間から差し込む陽光の奥、ガラスの反射越しに、ひとつの影が揺れていた。
アリアだった。
ひとり、椅子に腰かけている。
けれどその姿は、いつもの彼女とは少し違って見えた。
背を丸めていた。ドレスの裾を握るようにして、息を潜めている。
静かすぎるほど静かで、まるで“痛み”を見えない場所に閉じ込めているかのようだった。
しばらく目を離せなかった。
そのとき、彼女の肩がふいに震えた。
(アリア様……?)
思わず前へ出そうになった足を、咄嗟に引いた。
彼女は小さく呻いた。
そして、左手を胸元に当てるようにして、もう一方の手で壁を探るように支えた。
彼女は苦しんでいる。けれど、声をあげようとしない。
“誰にも見せたくない”という意思が、その姿からにじみ出ていた。
それが余計に、彼の胸を締めつけた。
(なぜ、隠そうとする? 何が起きている?)
そのとき、彼女の唇が微かに動いた。
声は聞こえなかった。けれど、その動きでリオは確かに気づいてしまった。
彼女が──“名前”を呼んだことを。
「……リオ……」
それは幻聴だったかもしれない。
けれど、心のどこかが確かに応えた。
目を背けたくなかった。けれど、彼女に気づかれたくなかった。
だから、リオはただ静かにその場を後にした。足音ひとつ立てずに。
───
その夜、彼はなかなか眠れなかった。
目を閉じるたび、あの小さな温室に佇む彼女の姿が焼きつく。
自分ではどうすることもできない“痛み”を、その細い肩で黙って受け止めていた。
彼女は変わってしまった。
けれど、誰にも頼らず、痛みすらも抱えたまま強くなろうとしているその姿は、昔よりずっと──目を離せないほど美しかった。
ただ、それがなぜか、ひどく怖かった。