並行世界の彼ら
「…………良かったのですか?」
赤い欄干の橋を、涼多たちが名月と渡って行ったのを見届けたルテは、薄氷に問う。
「なにがだい?」
「鏡を使って人間界を映す行為です。もし、皆さんの家族が映りでもしたら……」
「ああ、『彼らが行方不明になったままの世界』だからね」
「……家族がいなくなって、とても悲しんでいるでしょうね」
涼多達が化生界で毎日を送っているのと同じように、人間界でも時は流れている。
「飛ばされた時間に戻すとは言ったが、彼らがここに来た時点で『行方不明になった世界と』『何もなかった世界』の二種類が生まれてしまったからね。並行世界とでも言うのかな」
戸棚から、前に自身が持って来た紅茶セットを引っ張り出しながら薄氷は言う。
この戸棚は、以前、晩稲が名月に送ったものだ。
いつの頃からか、結界守の溜まり場になってしまった名月の家。
『なんだかんだ、皆にはお世話になっているしねー』
そう言いながら、ちゃっかり自分の私物も入れていた。
「まあ、数多ある世界の一つとするしかないだろうね。俺たちだって例外ではないのだから。こうして紅茶を飲む世界、飲まない世界、彼らが化生界に来た世界、来なかった世界……無数に増えていく代物だからね。全てを気にかけていてはキリがないさ」
「そう、ですね……」
「そんな心配しなくても、映す場所は限定するさ。ホームシックになられても困るからね」
確かに、と思っているとティーカップを渡される。
仄かに柑橘系の香りのする紅茶は、薄氷がこだわっていることもあり美味しくはあるのだが、やっぱり緑茶がいいとルテは心の中で思う。
「……勉強をしている間、君や名月君は部屋に入らないほうがいいかもね」
「え?」
縁側に座り、赤く色づき始めている木々を眺めながら言った。
「俺が、気がついていないとでも?」
涅色の瞳が射貫くように見つめてくる。
「ははは、参りましたね。……そうですね、そうします」
悲しそうに笑うルテに、薄氷はバツの悪そうな顔をした。
「すまない。責める感じになってしまったね」
「いえ、かまいませんよ。何年、皆さんと結界守やっていると思っているのですか?」
勢いよく、紅茶を啜る。
あの鏡を使う機会は、そう多くない。
◇◇◇
火祭りを見ていたのだって、祭りの三日程前に『久しぶりに人間界が見たいですね』と出水が言ったのが始まりだ。
それに続き『僕もっ!』と蛍も手をあげた。
『出水がそんなこと言い出すなんて珍しいね』
『人間界に興味ないと思ってた』
『まあ、祭り600年を記念して、見てみるのもありかのぅ……』
『いつもと違うことをしてみましょう!』
そんな言葉があっちこっちで上がり、急遽、借りることになったのだ。
鏡が作られた当初、多くの者は人間界を見るのを躊躇った。
理由は、どれだけ悲惨な光景が映されようと介入できないから――。
長らく人と共にあった者や、人好きの者にとっては辛い以外の何者でもないだろう。
助けたくても助けられない。
見ていることしかできないのなら見ない方がいい。
それが、多くの者達の意見だった。
自分の住んでいた場所が、様変わりしている様子を見たくないという者もいる。
いよいよ鏡が使われるという時、ルテは宴会場から抜け出し外に出ていた。
『見たくない』理由はそれだけ。
(いや、交代したばかりで疲れているから、……そう、それだけ)
心の中で、自分に言い訳をする。
門から外を見ると、遠くの湖に月が映っているのが見えた。
(……名月さん、てっきり夜風にでもあたっているのかと思ったのですが)
周りには自分以外、誰もいない。
少し湿気を含んだ、生ぬるい風が吹き抜けていくと同時に楽し気な笑い声も聞こえてくる。
平和だ、と思う。
事件という事件もなく、穏やかに時間が流れていく。
遠い昔、荒廃していた時代を知っている者たちからすれば『平和ボケが過ぎる』らしいが、昔に戻りたいかというと、そうではないらしい。
それを聞いて、これからもこの平和な時間を維持していきたいと改めて思った。
結界台を見ると、いつも通り淡い光を放っている。
「…………」
『薄氷さんは宴に参加しなくていいのですか?』
交代する時、ルテは聞いた。
薄氷は、白蛇の一番の友であり理解者だ。
記念すべき日に居なくていいのか、と。
どんちゃん騒ぎならよくやるのだが『宴』となると話は変わってくる。
『去年も、500年目の時も散々、祝ったからね。参加できないことは伝えているし。俺の分まで楽しんできてくれ』
そう言って、結界台に入ってしまった。
「……楽しむも何も、仕事明けで眠くなってきましたよ」
そう呟いた時、飛花と蘇芳が宴会場から出て来た。
どうしたのか尋ねると、薄氷から緊急の連絡があったとのことだった。
一緒に行こうか迷ったが、皆や白蛇様に何かあっては大事ということになり、その場に残ることにした。
「お気をつけて」
二人を送り出し、屋敷に目を向ける。
いまだ楽しげな声が聞こえており、宴もたけなわと言った状態だ。
この後もなんだかんだ理由をつけて○次会までやるのだろう。
「…………」
鏡が映し終わったら、戻ればいいと思っていた。
「でも、そういうわけにもいきませんね……」
玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いていると突如、悲鳴が聞こえてきた。
「!?」
急いで宴会場に向かい、そして、涼多たちと出会った――。
◇◇◇
ガシャンッ!!
あの日のことを思い出していると、隣から何かが割れる音が聞こえた。
見ると、薄氷の持っていたティーカップの取っ手が外れてしまったようだった。
地面に落ちたカップは砕け散り、破片が散乱している。
「おや、こんなことは初めてだ。コレ気に入っていたんだけどなぁ」
「怪我はありませんか?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「……」
粉々になったソレに嫌なものを覚えつつ、屑籠を取ってこようとルテは立ち上がった。




