答えがないのも答えの一つ
「……茹でられた、海老のように、顔が、真っ赤。どうしたの?」
数日後、薄氷と結界守を交代した一路は、光風吹き抜ける縁側で、顔を赤らめ俯いている涼多の肩を、ぽん、と叩いた。
「い、いえ、……なんでもありません」
両手で顔を覆う涼多に、一路は、これ以上は聞けない、と判断した。
彼女は、説明を求めるように、一番近くにいた夢に視線を送る。
同時に、年季の入った時計が、正午を告げた。
昼食はもう終わっており、ちゃぶ台の置いてある部屋には、薄っすらと名残の匂いが残っている。
「朝、蘇芳さんが来ていたんですけど、帰ってからずっとこの調子で、……わたしにも、何がなんやらなんです」
蘇芳は、名月の札を買いに来ただけだ。
彼女は、十分ほど会話をした後、直ぐに帰って行った。
「本当に、それだけなんです」
夢の説明を受け、一路は「むぅ」と顎に手を当て考え込む。
「あ、あの、大したことではないので、お気になさらないでください……」
バッと顔を上げ、涼多は、眉根を下げて一路を見た。
「……そう?それなら、いいけど、悩みが、あるなら、言ってね。手紙でも、いいし、私じゃなく、他の、人でも、いいから。内に、溜めすぎると、『毒』に、なる。そうなって、しまったら、大変、だから」
「……はい。ありがとうございます」
涼多は、覇気の欠片もない声と共に頭を下げた。
一路は、(一応ではあるが)納得したようで、涼多の頭を一撫ですると立ち上がり、名月の部屋へと入って行った。
「さ、涼多お兄さんも準備しなきゃ!もうすぐ、蛍君たちが来ちゃうよ!!」
夢はそう言うと、ちゃぶ台の上に裁縫道具を並べだす。
だが涼多は、色の引きかけていた顔を、再び赤く染めた。
彼は、前髪を掻き上げると、庭にぽつりと咲いているタンポポに目を向ける。
(……いや、大したことある。どんな顔して、春さんに会えばいいんだ)
蘇芳の指につけられていた指輪を思い出し、大きな溜息を吐く。
飛花と揃いなのだろう、銀色に光る指輪。
涼多の頭を占めるのは、指輪と田の神たちの家に行った記憶だ。
今まで、毛に隠れていて気づかなかっただけなのか、指先にまで注意を向けていなかったから気づかなかっなのか、非番である今日だからつけていたのか、それは分からない。
しかし、太陽の光を受けて光るそれを目にし、涼多はようやっと、自身の行動を顧みて、こうして、赤面するに至ったのである。
(どうしよう、春さんにとっての僕って、『話しやすい人(希望的観測)』『弟の友達』『後祭町関係で縁がある人』くらいの感覚だろうし……)
立ち上がりかけた体を縁側に沈め、涼多はもう一度、溜息を吐く。
こうもズレてしまうと、一周回って気の毒である。
『…………涼ちゃんは、手放しちゃだめだよ?』
涼多の脳裏に、伊織の言葉がぐわんぐわんと響く。
だが、彼の中で導き出される答えは、「手放すも何も……」であった。
答えの出ない迷路で彷徨う涼多の背中に、夢の声がかかる。
「涼、多、お、兄、さ、んっ!!」
「は、はいっ!!」
じとりと目を細め、夢は「早く、準備しないと!」と涼多を促した。
腰に手を当てる彼女の後ろでは、叶望が「まぁまぁ」と宥めている。
涼多は今度こそ立ち上がると、部屋に置いたままであった『柄の図案集』を取りに向かった。
◇◇◇
結論から言うと、春は来なかった。
蛍の話によると、寒梅屋に行き、そのまま、散歩に出かける予定らしい。
「なんか、すっごく夢見が悪かったみたいで、じっとしていると気持ちが沈みそうだから、適当なところを散歩してくる、って言っていたよ……」
涼多は、安堵と複雑がないまぜになった思いのまま、「そうなんだ」と蛍に返した。次いで、「夢見、か……」と独り言ちる。
夢見が悪かった、という言葉に、不安だけが募ってゆく。
ふと、涼多は眠り香のことを思い出した。
(最近は、夢すら見ていないな。別の世界の『薄氷さん』と話をした……いや、あれを夢で片づけたくはないな)
心中で首を振り、涼多は、「でも、そう考えると、本当に何も見ていないなぁ。ちょっと前までは、あんなに夢を見ていたのに」と思う。
「……まぁ、夢見が悪くて、気晴らしに散歩をしたい、という気持ちは、痛いほど分かるっスね。今日も今日で、『お散歩日和』ですし」
部屋から庭に降り立った蕉鹿は、手庇をして空を仰ぐ。
そんな彼の鞍の上に、一路がふわりと腰を下ろす。
余談ではあるが、彼女がそうしたことに、これと言った理由はない。
すぐに鞍から降り、くるり、と涼多たちに向き直る。
「白蛇様に、挨拶をして、手毬唄と、紅葉食堂に、寄ったら、帰る。君たちも、また、里に、遊びに、来て。みんな、楽しみに、している、から。もうすぐ、茶摘みの季節、だし、緑が、とても、綺麗、だから」
閉じていた指を順に立て、一路は笑みを浮かべた。
彼女は、涼多たちが頷いたのを確認すると、手を振り去って行った。
◇◇◇
「おお、色とりどりの雫が可愛らしいのだ!」
名月は、てるてる坊主の布に刺繍された模様を見て、弾んだ声を上げる。
「……ありがとうございます」
叶望は、その評価を聞き、ほんの少し焦った。
だが、直ぐに心中で首を振ると、自身が作ったてるてる坊主に目をやる。
作り手の心の持ちようが影響しているのか、控えめな笑顔だ。
それについては、何も言われない。
叶望は、何度目かの『不思議な感覚』を味わっていた。
それは、初めて成淵を店に届けに行った際に感じたモノと、とても良く似ていた。むず痒く、瞼の裏がじんわりと熱くなるような――。
《……………………ちっ》
(えっ?)
耳元で聞こえた舌打ちに、叶望はてるてる坊主から顔を上げる。
しかし、誰も気にした様子はない。
「蛍君、これ、本当に使っちゃっていいの?」
「うん!春お姉ちゃんが、どうぞ、って!!」
大きく頷いた蛍を見て、夢は、和柄のリボンを、てるてる坊主の縁に縫い付けてゆく。にこり、と笑っているてるてる坊主の顔が、叶望を見つめる。
(気のせい…………か)
叶望は数度眼を瞬かせると、作業を再開した。
「ふふ、今年は華やかな梅雨になりそうですね」
家の周りに植えた椿の様子を見ていたルテが、そう言って目を細めた。
「颪さんのお宿に持って行くやつは、犬や鼠の耳がついているんスね」
「白蛇様の屋敷に吊るすやつもあるのだ!」
名月は、頭から布で作られた腕が四本生えているてるてる坊主を、ルテと蕉鹿に見えるように掲げる。
「……なかなかにリアルっスよね!」
「……そうですね。目の色も、緋色の糸が使われていて」
白蛇(本来の姿)のときは、特に何かを感じたことはない。
それなのに、と二人は思ったが、口には出さなかった。
◇◇◇
涼多たちがてるてる坊主づくりに精を出していた頃、一路は、花冷港にぽつんと佇んでいた春と話をしていた。
主に春が話す側で、一路は聞き役だ。
話の内容は、田の神たちの家に行ったときの話。
とはいえ、恋心なるものを打ち明けたわけではない。
ぼかし、ぼかし、の曖昧で掴みどころのない話だ。
だが、一路は『察している側』であるため、さほど苦にはならなかった。
もしろ、微笑ましすら感じていた。
しかし――。




