ヘデラ
昼食を終え、和紙に絵を描き終え、涼多たちが片づけをしていたとき。
春は、奏の花冠を眺めながら、ぽそりと呟いた。
「奏さん、王子様みたいですね」
ひゅっと、奏は心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥った。
彼の心中を知る由もなく、春は慌てた様子で手を振る。
その度に、彼女がつけているタンポポの指輪が揺れた。
「す、すみません。いきなりこんなことを言ってしまって。その、前に蛍に読んだ絵本に出てきた、金色の冠を被った王子様と奏さんが、少し似ていたので」
申し訳なさそうに目を伏せた春に、奏は即座に笑顔を作ると「いえ、ありがとうございます」と礼を言った。
彼の笑みを見ても、春はいつも通りだ。
涼多を前にしたときの、はにかむような笑顔はない。
奏の言葉に、春は安堵したように微笑むと、手を洗いに行ってしまった。
その後ろ姿から目を逸らし、奏は、自身の頭に被せられた花冠に触れる。
『王子様みたいですね』
蝉の従業員が作った、遅めの『三時のおやつ』を取った後も、夕映えに染まる道を歩いている間も、春の言葉が頭から消えることはなかった。
◇◇◇
(別に、春さんが悪い訳じゃない。悪いのは、変な風にしか言葉を捉えることができない俺だ。…………ああ、早く眠りたいのに)
布団の中、奏は何度も寝返りを打つ。
数日前と同じように、なかなか寝付けない。
奏は、静かに寝息を立てている涼多を見た後、棚の上に視線を移す。
ガラスコップに生けられた、数本のタンポポが見える。
(……春さん、何度も指輪を見ていたな。それも、すごく大切そうに)
きっと、萎れても捨てはしないのだろう、と奏は思う。
同時に、「なぜ、薬指じゃないんだ」と涼多に問いたい気持ちが溢れてきた。
らしいと言えばらしいのだが、とも。
(俺よりも、ずっと『王子様』だな……)
皮肉ではなく、奏は心の底からそう思った。
もう一度、ごろり、と寝返りを打つ。
奏の視界に、廊下へと通じる襖が映る。
(……ああ、漸く眠くなってきた)
意識が潰える直前、奏は、消え入るような声を聞いた気がした。
◇◇◇
ああ、妹の話をした。
でも、そうよね。あの人は、人間界に帰りたいんだもの。
人間界に帰ったら、もう会えない。話もできない。
目まぐるしい日々が積もって、私のことなんて、すぐに埋もれてしまう。
とても優しい人だもの。
絶対に、いい人と巡り合える。……巡り合ってしまう。
でも、そうなると――。
ああ、考えないようにしていたのに。
恋人ができて結婚して、……ああ、ああ、それこそ、伊織さんのように、どうしようもない気持ちを引きずって、この先を生きることになるかもしれない。
だって、忘れたくないもの。
罪を償って転生して、綺麗さっぱり忘れてしまうだなんて。
…………そんなの嫌。耐えられない。
ははは、ちょっと前まで、迷っていたのが嘘みたい。
結局、自分の『良心』なんて、吹けば飛ぶほどのモノだったんだ。
きっと、あの人の家族は悲しむでしょうね。
家族を失う悲しみ、それは、痛いほど分かる。
見つからない限り、「まだ、どこかで生きているかもしれない」と希望を持ったまま、日々を過ごすことになるということも。
でも、万が一あの人に『運命の人』ができなくても、人間界に戻ってしまえば、次に会えるのは……数十年後。
きっと、素敵なお爺ちゃんになるだろう。
雷様のような、好々爺然とした感じになるかもしれない。
だが死後、化生界に来ても、体は老人のままなのだ。
ヤツデさんのように、節々に痛みを感じながら過ごさないといけない。
きっと、自分が想像しているよりも、辛いことだろう。
それに、こちらを見る目だって、きっと変わっている。
同年代の女の子ではなく、孫を見るような感覚。
決して、異性として、女として、……見てもらえない。
思いを告げても、やんわりと断られてしまいそうだ。
大人の精神と、落ち着きを持って――。
だから、今しかない、と何度も言い聞かせ、何度も躊躇ってきた。
あまりに手前勝手すぎる、と。
あの人だって、暗い気持ちのまま、化生界で暮らすことになる、とも。
笑顔を見られる日は、永遠に来ないかもしれない。
自分を責めて、死を選ぼうとするかもしれない。
こちらに向かって、怒声を浴びせてくるかも――。
それ以前に、『全てが終わった後』の化生界が、どうなるかすら分かっていない。分かっているのは、多くの犠牲が出る、ということだけだ。
もう少し、先の話ではある。
力が回復しないことには、どうしようもない。
それに、できる事なら、あまり力を使わずに終わらせたい。
……勿論、白蛇たちや逆らう者は完膚なきまでに叩き潰す。
だが、それ以外は、穏やかに事を進めたい。
回りくどくても、時間がかかろうとも――。
今は、『平穏』という宴の『余興』をしているような状態だ。
でも、いずれは『その時』がやってくる。
一緒にやって来た三人も、化生界でできた親しい者たちも、場合によっては消す。神も妖怪も幽霊も、関係なく。
恨み、悲しみ、怨嗟の声、……それらに触れながら、毎日を送る。
巻き込まれただけの彼には、耐えがたいものだあるだろう。
そう考えると、彼の心は、壊れてしまうかもしれない。
怒りを向けられた方がまだいい、と思えるほどに。
私を『私』と認識してくれなくなるかもしれない。
会話すら――。
でも、どんな形でも構わない。
ずっとずっとずっと、私の傍にいてくれるのなら。
本当に?
……ええ、本当よ。
後悔するよ?
…………どう転んだってするわ!!
彼は、貴方の皮の裏を知って、どう思うだろうね?
それでも――。
◇◇◇
「べしっ!!」
翌日の正午。躑躅百貨店の食堂に、晩稲のくしゃみが響いた。
「だ、大丈夫ですか?末枯さん」
涼多の問いに、晩稲は「いろんな意味で大丈夫じゃない」と鼻を啜る。
「そちらの所為でもあるんだからねっ!」
「ええっ、なんでですか!?」
急な言いがかりに、涼多は、困ったように眉をハの字にした。
晩稲は質問に答えず、食後のコーヒーを喫している。
「さあ、さあ、花冷図書館に、『柄の図案集』を借りに行くんでしょう?」
そう呟いた彼の目は、暗に「行った行った」と告げていた。
(なんだか、不機嫌だなぁ。……でも、そんな日もあるか)
深くは追及せずに、涼多たちはルテと蕉鹿と共に、食堂を後にした。
「むぅ、今日の晩稲は、晩稲らしくないのだ」
「何かあったのかい?」
「無かったら、こんな風にはなっていないっしょ」
名月と薄氷に問われ、晩稲は溜息まじりに口を開く。
「……春さんが持っていた菓子を見て、自分も、なんとなく土用三郎の煎餅が食べたくなって、店に向かったわけですよ」
何かを思い出したのか、彼の体に描かれた草花が萎れてゆく。
がりがりと頭を掻き、晩稲は話を続ける。
「で、どえらく落ち込んでいる凍土を発見して、暫く問答をした後、気分転換にそちらも農園に来ない、と言ってしまった。農園は、出水と鶉しかいなくて、ガラガラだった。……そこで、日付が変わるまで、愚痴紛いな何かを聞かされたわけでございますよ!隣にいるだけで、どんどん体が冷えてきちゃってさぁ!!」
晩稲は、芝居がかった仕草で、自身の二の腕を擦った。
彼の話を聞いた名月と薄氷は、互いに顔を見合わせる。
「……お疲れ様」
暫く考え込んだが、二人は結局、その一言しか言えなかった。




