自由で不自由
「ほら、あそこにも家があるでしょ?」
「……あっ、本当だ」
蛍の指さす方に、涼多は手庇をしながら視線を向けた。
雪に埋もれていた家々は、温かな陽気のお陰でかなり見やすくなっている。
今、彼の視線の先にあるのは、岩陰にある、竪穴式住居のような家だ。
蛍曰く、「へその緒のような姿をした神様が暮らしている」らしい。
「……そ、そう、なんだ」
あまり想像することができず、涼多は曖昧に頷いた。
「うん。……でも、滅多に外に出ないんだ。出たとしても、一時間くらいしたら家に帰っちゃうの。暗くて狭い場所が落ち着くんだって」
ぶらぶらと畦道を歩きながら、蛍は説明する。
春も蛍も下駄を履いているが、すいすいと軽やかに歩いてゆく。
(やっぱり、慣れなのかな。僕が履くと、すぐに痛みが出てきそうだ)
涼多は靴の上から、足の親指と人差し指の間を見下ろす。
次いで、足袋も何も履いていない春が心配になった。
暖かい日ではあるが、風が吹くと冷たいからだ。
(花冷図書館で羽織っていたショールを身につけてはいるけど、足までは温かくならないだろうし、心配だな……)
聞いてみた方がいいだろうか、と涼多は迷う。
笑顔と共に「大丈夫です」と返される気がしていたからだ。
(アリの巣テーラーで掃除をしているときは、大丈夫そうだったけど、……体調不良って、終わったと思ったときが危険なこともあるし)
涼多がそんなこと考えている間にも、蛍は先へと進んでゆく。
彼は、目の前にあった石の上に上がると、また前方を指さした。
円錐型ドームのような屋根を持つ、『トゥルッロ』によく似た家があった。
白い漆喰壁が眩しく、石積みの屋根の上には小さな旗が刺さっている。
三つ並んでいる家の大きさは、三、四歳の子供が入れるほどしかない。
夢が、「かわいい!メルヘンの世界みたい!!」と目を輝かせた。
「あそこにはね、カワウソの姿をした妖怪さんたちが暮らしているんだよ。三人兄弟で、魚を獲るのがとっても上手なんだ!ただ――」
「おい、見せ物じゃねぇんだ。あっちに行きな」
足元から声が聞こえ、涼多たちの肩が微かに跳ねる。
声のした方に視線を向けると、麦わら帽子をかぶり、藍色の甚平を着たカワウソが、ガラス瓶片手に立っていた。
「こ、こんにちは」
慌てて涼多たちは挨拶をするが、カワウソはふんと鼻を鳴らす。
(あのガラス瓶の中、何が入っているんだろう?ちょうど、カワウソさんの腕に隠れちゃって見えないのよねぇ)
「……なんだぁ?ガラス瓶の中身が気になんのか?」
言うが早いか、カワウソは夢に向かい、持っていた瓶を掲げる。
瓶の中には、トカゲの干物のようなものが入っていた。
夢は、驚きに目を瞠ったものの、すぐに瓶に顔を近づける。
「……前に、ルテさんの家に行ったときに、晩稲さんが見せてくれた『早贄のトカゲ』みたい。こっちの方が、緑がかっているけど」
ルテは、夢の視線を受け、苦笑いを浮かべた。
これ見よがしの舌打ちが、辺りに響く。
「あーあ、悲鳴の一つでもあげりゃ、可愛げがあるってのに……」
期待していた反応が得られず、カワウソは白けたように目を逸らす。
そして、麦わら帽子をかぶり直し、「静かに暮らしているやつらに迷惑かけんじゃねぇぞ」と涼多たちを一瞥することなく去って行った。
何とも言えない気まずい空気が、一同の間に流れる。
蛍は小さく溜息を吐き、「会ったらいつもあんな感じ」と言った。
彼の言葉を聞いて、涼多たちも合点がいった。
雀製糸工場の雀たちと、似たような感じなのだろう、と。
「僕は……その、『一般町民』だからいいけど、ルテさんたちにもあんな感じなのは、どうかなって思う!ええっと、『しめし』ってやつがつかないよね!!」
頬を膨らませる蛍に、ルテは苦笑いを強めた。
春も春で、「どこで覚えてきたのやら……」と蛍の頭を撫でる。
「そりゃあ、白蛇様にはちゃんとしているけどさぁ」
言い足りぬとばかりに、蛍はカワウソの去って行った方を見た。
(……幽霊も妖怪も神も、結局のところ『自由で不自由』な存在ですからね)
ルテは心の中でそう呟くと、春雲流れる空を仰いだ。
目を凝らすと、空気の揺らぎのようなものが見える。
見る者によっては、シャボン玉の膜のようにも見えるだろう。
悪意あるモノを退ける、通り抜けのできる見えない壁のようなもの。
今風に言うと、『バリア』のような存在だ。
(だけど、雷火さんのように、『中』で芽生えた悪意はどうしようもない。……そもそも、悪意や敵意の定義も、かなり曖昧だ)
それでも、役に立っていることに変わりはない。
だからこそ、こうして『町』ができたのだ。
『まぁ、様々な種族が集まる訳だから、その分問題も増えるけどね。それに、自然と彼らの選択肢を消してしまってもいる。ここにいるべき、と思い込ませてしまっている。……時折、そう考えてしまうことがあるんだ』
ルテの脳裏に、舟に揺られながら勾異紫陽花を眺める薄氷の横顔がよぎる。
しかし、それがいつのことだったかまでは思い出せない。
(……百五十年ほど前でしたっけ。確か、珍しく酔っていらしたような)
だが、薄氷がそう言った気持ちが、ルテにはよく分かった。
(結界台は、ある意味では、『行動を制限させてしまう装置』なのでしょうね。なくても、……もっと言うと、里すらなくても生きてゆける)
多少の危険は付きまとうが、本来は皆『自由な存在』だ。
それに枷をつけ、結界の中に押し込めてしまっている。
別段、住民票等を作っている訳ではない。
町も里も、殆どが『去る者は追わず』という形をとっている。
だが、一度型にはまってしまうと、そこから抜け出るのは難しい。
何が一番、正しい形なのか――。
(いえ、こういうことに、きっと正解はありませんね……)
ルテはふっと微笑みと、微かに首を横に振る。
同時に、蛍が「ルテさーん」と声をかけてきた。
ルテが何かを問う前に、彼の頭にタンポポの花冠が被せられる。
「春お姉ちゃんすごい!じゃすとふぃっと!!」
ぱちぱち、と手を叩く蛍の隣で、春が申し訳なさそうに肩をすくめた。
いつの間にか、夢と奏の頭にも、花冠が被せられている。
シロツメクサでも似たような経験をしたな、とルテは思った。
「はい!ブレスレッドもどうぞ!!」
「あ、ええっと、……ありがとうございます」
照れくさい気持ちを抱えたまま、ルテは右手を蛍に差し出す。
ブレスレットをつけ終えた蛍は、軽快な足取りで歩き出した。
「この先に、もっと大きな花畑があるんです!」
「……では、そこで暫く遊んだら、戻るとしましょうか」
ルテの言葉に、一同は「はい」と頷いた。
腕につけられたブレスレッドを眺め、涼多は「懐かしいなぁ」と目を細める。
「去年、美月……妹と一緒に作ったことがあるんです」
春が、「そうなんですか?」とタンポポを手にしたまま問う。
「はい。その、春さんみたいに綺麗な形にはできませんでしたけど。タンポポの花冠以外にも、シロツメクサで指輪を作ったりもしたんです」
涼多は「確か、こんな感じで」と春からタンポポを一輪拝借した。
彼はまごつきながらも、どうにか指輪を作り上げる。
「よかった!作り方を忘れていなくて……」
春の細い指に、涼多はタンポポの指輪をそっとつけた。




