薬人を殺さず医師人を殺す
更新を再開いたしました。
「音律君、……これ、ホウラさんから?」
「ホウラさん?」
「あっと、アリの巣テーラーで働いている、百合の妖怪の従業員さんから」
就寝前。悩みに悩んだ末、涼多は奏にボタンを渡した。
「今日の昼前に、その、渡してくれって頼まれて。ただ――」
涼多は、自身の思っていることを奏に話す。
「――だから、もしあれなら、僕が持っておくよ」
奏は、和紙に包まれたそれを見つめた後、笑顔で首を横に振った。
「いや、大丈夫だ。……心配してくれて、ありがとな」
そう言って、彼は涼多から包みを受け取った。
包みからボタンを取り出し、部屋を舞う光鈴に翳す。
次いで、目を細め、優しく微笑んだ。
(こういう何気ない所作が、モテる理由なんだろうなぁ)
ぎこちなさを感じない、流れるような動きに、涼多は素直に感心する。
彼は、ホウラから包みを渡された後、「よくよく考えたら、悪目立ちする、と言っていたけど、今みたいにこっそり渡せばいいんじゃ」と思っていた。
だが、(妖怪幽霊を問わず)従業員たちから熱い視線を向けられている奏を見て、その考えは間違いだったと気づく。
(……あれじゃあ、確かに悪目立ちしそう。後で、他の人たちから、何か言われるかもしれないし)
涼多は、門火高等学校での一幕を思い出す。
叶望でさえ、奏に黄色い声を出す女子生徒たちから、難癖をつけられていた。
『男に興味ない顔しながら点数稼ぎウザい』
『私を見てってアピールをしている。媚びまくりじゃん』
殆ど接点のなかった叶望でこうなら、熱い視線を送っている者同士だと、もっと『大変』なのかもしれない、と涼多は思う。
※上記でそう述べたものの、涼多自身、『大変』なのは分かるのだが、どう『大変』なのかまでは、住む世界が違いすぎて、あまり想像できていない。
※加えて、涼多もまた、春から(他と比較にならないほどに)熱い視線と想いを送られている。……だが、悲しいことに、当の本人はそれに気づいていない。
(まぁ、あそこまでギスギスとはしないかもしれないけど……)
心中で、何とも言えない溜息を吐き、涼多は紙石鹸に視線を移す。
ショルダーバッグの内ポケットに入れていた所為か、バッグの中は、清潔感のある匂いに満ちている。
(けど、どこで使おう。今のところ、その場所その場所に石鹼や代わりが置かれているから……こういうのは、もしもの時に持っておいたらいいのかな)
そんなことを考えていると、眠気が襲ってきた。
二人して顔を見合わせ、布団に潜り込む。
「色々と考えてくれて、本当にありがとな。せっかくだから、どこかにつけてみるよ。棚の上に飾ってもいいし」
暗闇の中、奏の言葉を聞いた涼多は「帽子につけてみるのも、お洒落かもしれないね。……ええっと、ワンポイントって感じで」と言った。
「ああ、それもいいな」
暫く他愛もない話をし、どちらが切り出すでもなく目を閉じた。
◇◇◇
(……結局は、人次第だよな)
薄っすらと目を開け、横になったまま奏は思う。
布団に入ってから、はや一時間。
眠いはずなのに、どうにも眠れない。
涼多はとっくに眠りの世界に行ってしまい、微かに寝息が聞こえてくる。
奏は、包みを置いてある方向に目を向け、小さく溜息を吐いた。
(……あんな些細なことで、涼多にもホウラさんにも気を遣わせてしまった。俺じゃなかったら、ここまで気を回す必要も無かったのに)
胸に去来するのは、『申し訳なさ』と『ほんの少しのむず痒さ』。
その事実が、奏の心をさらに重くした。
(これだけ迷惑をかけているのに、ちょっとでも嬉しいと思ってしまうだなんて、褒められたことじゃないよな。……でも)
心の底から『何か』が溢れ出しそうな気持になり、奏はきつく目を瞑る。
光鈴の光を受けて輝く、ピアノ型のボタンが脳裏をよぎった。
(音楽って、こういうものじゃないよな。もっと、人を楽しませるというか、……少なくとも、こうして飛び火していい代物じゃない)
奏は、『薬人を殺さず医師人を殺す』という言葉を思い出す。
同じ薬でも、人次第では毒にも薬にもなるのだ。
(前に、水川先生も似たようなことを言っていたな。あの時は、ピアノじゃなくてネットだったけど。『ネット自体が悪いんじゃなくて、使う人間次第で、良くもなるし悪くもなる』って。……その通りだけど、難しいよな)
今頃どうしているのだろう、と奏は思う。
波長こそ合わないと感じていたが、彼もまた、水川のことを好いていたのだ。
一昔前を思わせる『熱血教師』。
『快活』『爽やか』という言葉が、人の形を得たような――。
だが、押しつけがましさはなく、細かなことによく気がつく先生。
そんな存在の顔が曇ることに思い至り、奏の心は痛んだ。
(学校内で起こったことではないけど、絶対に何かしら言われるよな。上からも下からも、……予想だにしていない方向からも)
奏は「水川先生は、何も悪くないのに」と想像を巡らし唇を噛む。
同時に、「今更で、申し訳ない」という思いが芽生える。
(水川先生がどうのなんて、あんまり考えたことがなかった。考えたって、できる事は何もない。でも、だからと言って……)
思考の海に沈むこと約三十分。
漸く、奏の瞼が重くなってきた。
(良かった。今から寝れば、明日にそこまで支障はでない……はずだ)
ホッと息を吐き出した時、奏は、目の前に人の足を見た。
靴も草履も履いていない、不健康なほどに青白い足。
大きさからして、子供の足ではない。
少なくとも、自分たちと同じかそれ以上だ。
ところどころ薄汚れ、親指の爪は割れ、血が滲んでいる。
驚いた奏は、瞬きを一つし、顔を上げた。
そして、「…………あれ?」と消え入りそうなほど小さな声を漏らす。
誰もいない。
普段と何も変わらない、廊下へと通じる襖があるだけだ。
(気のせい……か。自分が思っている以上に、疲れてんのかな)
奏は、目と目の間を軽く摘まむと、苦笑いを浮かべた。
彼は、欠伸を一つ零すと、布団に潜り込む。
予想していた通り、直ぐに眠りの世界へと引っ張り込まれる。
五分もしないうちに、部屋には、二つの寝息が流れるばかりとなった。
◇◇◇
翌日。
薄曇りの空の下、涼多たちはアリの巣テーラーへと向かう。
春埃が舞う中を歩いていると、居酒屋『めまい』の店長(巨大なスズランのような見た目をした妖怪)が細路地から現れた。
涼多たちが挨拶をすると、向こうも無言で会釈を返す。
彼は塩の入った木箱を背負い直すと、アリの巣テーラーへと入ってゆく。
「面影様たちの町から、依頼がきたみたいでね。ほら、ここの店長がでりばりーを再開しただろう?それで……ね」
薄氷の言葉に、涼多たちは「なるほど」と頷いた。
さぁっと冷たい風が吹き、涼多は何の気なしに振り返る。
目の前に、春が立っていた。
「おはようございます」と微笑む彼女に、涼多も挨拶を返す。
「今日も一日、よろしくお願いします。……蛍も、午後から来る予定です」
春は両手で拳を作ると、ニコッと明るい笑みを浮かべた。
(な、なんか、春さん、すごい元気だな。いや、元気に越したことはないけど。あと、今日は店で着替えるんじゃなくて、最初から作務衣なんだ)
目の前に春は、紺色の作務衣を着ており、髪はポニーテール。
全てにおいて珍しく、涼多は頬を赤らめた。
(…………………………ん?)
春の足元を見て、奏は心中で首を傾げる。
(今、何かを思い出したような気がしたんだけど)
どういう訳か、昨晩の一件は、彼の中から綺麗に抜け落ちてしまっていた。
(いや、寝不足で頭が働いていないだけか。……あれくらいの時間のロスなら、問題ないと思っていたんだけどなぁ)
欠伸を噛み殺し、奏はアリの巣テーラーへと足を踏み入れる。
そして、部屋に到着した頃には、先程の疑問は頭から消えていた。




