赤い壁
『いびる』
一説には、『火でいぶすこと。長い時間をかけてじわじわと火を通す様子が、弱いものを陰湿に苛めるのに似通っていることからきた言葉』とある。
◇◇◇
「立ち入り禁止の場所には、絶対に入らないようにね」
「分かりました!」
涼多は、薄氷の忠告に大きく頷くと作業に取り掛かった。
布ばかりが並べられている部屋へと入り、床を掃いてゆく。
否が応でも、視界には布が入ってくる。
見知った柄から、一風変わった柄まで様々だ。
「……人間界の店もだろうけど、本当に色んな柄があるなぁ」
詳しくない自分からすれば、使用用途不明の柄も多くある。
「擬宝珠柄なんて……一体、何に使うんだろう」
「おやおや、擬宝珠フェチともいえる男が主人公の落語をご存じない?」
(いつの間にか)隣に立っていた晩稲が、肩を跳ねさせる涼多に言った。
彼は「暇なんで手伝いに来た」と卵色のバンダナを巻き直す。
「……ええっと、それは何の話ですか?」
聞かねばならない雰囲気をひしひしと感じ、涼多は質問する。
「擬宝珠と見れば舐めずにはいられない若旦那が出てくる話だよ。結末を含め、なかなかにぶっ飛んでいて自分は好き。……ああ、オチまでは言わないよ」
「ええっ!?どうしてですか」
「帰った後の楽しみができたでしょ?」
興味を惹かれただけに、涼多はがくりと肩を落とす。
だがすぐに、「あれ?」と顔を上げた。
「落語の話ですけど、それはこの擬宝珠柄の布と関係あるんですか?」
「やっだなぁ~。色んな趣味の人がいる、って話じゃないのぉ」
口に手を当て、「あらやだ奥さん」とでも言いそうな顔で晩稲は答える。
涼多が苦笑いを浮かべていると、彼は神妙な面持ちになった。
「古今東西、『橋』に対するものって結構似たり寄ったりな部分があるんだよね。あの世とこの世を結ぶものだったり、何らかの例えに使われたり……」
古事記の、伊邪那岐と伊邪那美が立っていた天浮橋。
『ロンドン橋、落ちた』など、歌の題材になることもある。
「罪の重さによって、橋の幅や安全性が変わったりもするよね。三途の川だってそうだし、ゾロアスター教のチンバット橋も――」
晩稲の声が途切れたかと思ったら、涼多の視界は真っ赤に染まった。
物騒な表現ではあるが、血が飛び散った訳ではない。
「あ、赤い壁……?」
涼多の目の前に現れたのは、田の神が作った『赤い壁』だった。
「ああー、ビックリした。いつ見ても、ス●ミーみたいだ」
赤い壁の向こうから、晩稲ののんびりとした声が聞こえてくる。
田の神は、長方形の形から『サボらない』という文字の形になった。
何頭かは晩稲の頬を、ぺしぺしと、叩いている。
涼多の手の甲にも数頭の田の神がとまり、ジェスチャーをした。
意味は分からなかったが、注意されているということは分かった。
「す、すみません」
頭を下げる涼多の隣で、田の神が『ほらほら』と文字を作る。
「来たからにはやります」
晩稲の言葉に満足したのか、田の神は別の場所に飛んでいった。
「ふぅ、司令塔がいる訳でもないのに、ちゃんと形になるんだからすごいよねぇ。みんな、性格だって違うのに……」
雑巾を取り出し、「まさしく神業だ」と晩稲は商品棚へと向かう。
話の区切りがついたことに安堵し、涼多も掃除を再開させた。
◇◇◇
チャリ……
ショルダーバッグに入れている七寸釘が擦れ、軽い金属音を鳴らす。
(そういえば、ミドロさんに「使う時はいつ来るんですか?」って聞かなかったな。……聞いても、はぐらかされそうではあるけど)
一度、ルテの家の壁に棕櫚箒を掛けるために使ったが、それくらいだ。
たが、「あれがそうだ」と言われたら、いまいち釈然としない。
(まぁ、「かも」だったしな。…………もう少し、待ってみよう)
涼多は小さく頷くと、アリの巣テーラーの従業員に次の指示を仰いだ。
「じゃあじゃあ、『カンウ』の床掃除をお願いします」
巨大な百合が着物を着たような妖怪が、軽やかな声で言った。
「あ、そうだ!家に帰ってからでいいので、これを奏さんに渡してください」
上等な和紙に包まれた何かを、百合の妖怪は涼多に渡す。
包みはそれほど大きくはなく、重さもあまり感じない。
涼多は、手のひらの上にある包みから視線を外し、百合の妖怪を見る。
「中には、ピアノの形をしたボタンと音符の形をしたボタンが、四つずつ入っています。……ああ、お代はいりません、とお伝えください」
なぜ、自分で渡さないのだろうか。
なぜ、ボタンなのだろうか。
二つの疑問を口にすると、百合の妖怪は、涼多にしゃがむよう促した。
声を潜め「実は――」と話し出す。
「さっき、ボタンやビーズの置いてある部屋で、奏さんたちと掃除をしていたんですけど、奏さん、今お渡ししたボタンをじっと見ていらして……」
百合の妖怪は「いかがですか?」と聞いたのだそうだ。
だが、奏は、やんわりと首を横に振った。
「それで、ハッとしたんです。どちらも可愛らしいボタンなので、買うところを見られるのが恥ずかしいんじゃないかな、と。……でも!そういうので欲しい物を手に入れられないなんて、悲しいとは思いませんか?」
「……ま、まぁ、そう、ですね」
本当の理由を知っているだけに、涼多は曖昧に頷いた。
「で!私が渡したら、どうしたって悪目立ちしてしまいます。なので、涼多さんにこっそり渡していただきたいんです!!」
理由としてはしっくりくる。……くるのだが。
困ったように口を開閉させる涼多のパーカーの裾を、百合の妖怪は掴む。
「勿論、ただでとは言いません。…………これを」
百合の妖怪は、紙石鹸の入った紙製のケースを袖の下に握らせる。
(なんか、怪しげな取引の現場みたいだな……)
清潔な香りを漂わせる紙石鹸を受け取り、涼多は小さく頷いた。
「よろしくお願いしますね!」
百合の妖怪はそう言うと、着物を翻して去って行った。
(……とは言ったものの、渡してしまっていいのかな)
勢いに押されてしまった己を、涼多は今更ながらに後悔した。
彼は、受け取った紙石鹸のケースに視線を落とす。
紺色の地に、南天が描かれている。
「……あっ、すっかり忘れていた」
面影の町に行った際、「帰ったら、南天柄の布を買おう」と思っていたのだ。
以前、ミドロたちとアリの巣テーラーに来たときは、火山のことが先行し、他のことは頭から抜け落ちていた。
(別に、買って何かをするって訳じゃないけど……)
買うべきか買わざるべきか迷いながら、涼多は階段を上る。
「涼多君、お疲れ様っス!」
リボンが並べられた部屋から、叶望と蕉鹿が顔を出す。
互いに労いの言葉を交わし、『カンウ』へと向かう。
そして、掃除を始めて十五分ほど経過したとき、ヤツデが現れた。
「お疲れ様です。そろそろお昼にしませんか?」
開かれた扉から、食欲をそそる匂いが漂ってくる。
「この匂いは――」
涼多の言葉が終わる前に、ノコとシアを肩に乗せた春がやって来た。
揃いの鉢巻を巻いたノコとシアは、涼多たちに元気よく足を振った。
手を振り返し、掃除用具をそのままに店を出る。
「いたたたた……」
「ヤツデさん、大丈夫ですか?」
腰を擦るヤツデに向かい、春は心配そうな顔をした。
ヤツデは「大丈夫よぉ」と微笑むと、ゆっくりと背筋を伸ばす。
「年かしら、なんて言うのもおかしいけど、年かしらねぇ」
口に手を当て、ヤツデは眉尻を下げて笑う。
彼女が化生界に来たとき……つまり、死んだときの年齢は四十前後。
生前に感じていた痛みは、今も時たま現れる。
病気や怪我はなくなってしまうのに、こういうことはなくならない。
ヤツデは春に礼を言うと、しっかりとした足取りで廊下を歩いてゆく。
その後ろ姿を、春は複雑な気持ちで見つめていた。
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