枝垂れ桜の下で
「……あの、今って何の時間なんスか?」
空に浮かぶ春雲を眺めながら、蕉鹿は小さく欠伸をした。
「見れば分かるのだ。お花見の時間なのだ」
蕉鹿の隣で桜湯を飲んでいた名月が、そう言って微笑んだ。
彼女は、夢と揃いで作った白のフリルブラウスと、桜色の(これまたフリルが沢山ついた)スカートを穿き、筵に腰を下ろしている。
名月の言葉に、お同じように腰を下ろしていた薄氷とルテも、同意を示す。
さあっと、暖かな春風が吹き抜けてゆく。
現在、蕉鹿たちがいる場所は、薄氷の家の『物干し場』だ。
扉を覆うようにして生えている枝垂れ桜が、細い枝を揺らしている。
(朝の十時くらいにここに来てから、かれこれ一時間は経過している。……いつ見ても飽きない、綺麗な光景ではあるんだけど)
特に何か話をするでもなく、ただ桜を眺めている状況。
蕉鹿には、それがどうにも落ち着かなかった。
(涼多君たちは、晩稲さんと一緒に『本の間』に行っちゃったし。……なんというか、無理矢理、結界守だけにされたような)
晩稲の意図がつかめず、蕉鹿の心にもやもやしたモノが募る。
そんな心中を知ってか知らずか、ルテが口を開いた。
「……こうして、四人揃って花見なんて、いつぶりでしょうか」
「三十年くらいだと思うのだ」
自身の指を三本立てる名月を見て、蕉鹿は顎に手を当てる。
彼は、「もう、そんなになるんスね」としみじみと頷いた。
「三人で花見なら、何度かしたことがあるんだけどね」
薄氷の言葉に、名月が「確かになのだ」と笑う。
「……考えてみたら、仕方ないのだ。ほんの少し前までは、一ヶ月さいくるで結界台に入っていたのだ。その間に、シーズンが終わってしまっているのだ」
「まぁ、そういう時もあるっスね。桜が咲く前に結界台に入って、出てきた頃には散っている。……今まで、特に意識したことはなかったっスけど」
言葉にすればするほど、蕉鹿は、今の状況が不思議に思えた。
癖の入った栗色の髪の毛が、春の風になぶられる。
「…………本当に、久しぶりだ」
薄氷の呟きを最後に、再び、四人の間に沈黙が流れた。
「何となく、一路が交代を買って出た理由が、分かった気がするのだ」
十分ほど経過したとき、名月がそう言った。
「俺も、名月君と同じだよ。最近、色々なことがあった……いや、ありすぎるくらいだったから、四人揃って、花見をしてほしかったんじゃないかな」
「は、はぁ」
今一つ理解が及ばず、蕉鹿は、曖昧に相槌を打ちつつ首を傾げる。
だが、『色々』が何であるのかは理解できた。
そして、『ありすぎる』という言葉の意味も。
大蜘蛛や涼多たちのことは勿論、音波魚兎の騒動や雷火の一件、加えて、一路の里で起こった事件もある。
(どれも、偶然が重なっただけ、と言われてしまえばそれまでだけど、でも、今までが何もなかっただけに、全てを結び付けてしまいそうになる。……それに)
蕉鹿は、ティサヤの花畑を眺めているルテに、そろりと視線を向けた。
彼は、「色々あったのは、騒動だけではない」と心中で呟く。
(……忘れていた記憶が、どういう訳かこのタイミングで蘇った。本当に偶然なのか、来るべき時が今だっただけなのか)
『止まっていた時が、動き出したような感覚』
それが、蕉鹿が涼多たちと出会ってから、幾度も感じた思いだ。
彼は、瞬きを一つすると、扉へと視線を移す。
涼多たちを連れ『本の間』へと向かった、晩稲の笑顔が頭をよぎる。
『なんか寒くなってきたから、自分たちは、本の間にでも行っているよ。後は、結界守だけで楽しくやんな!』
かなり強引な手口だったな、と蕉鹿は思う。
同時に、「色々の中には、晩稲さんも含まれている」とも。
(去年の今頃は、まさか晩稲さんが妖怪になってしまうだなんて、夢にも思わなかったもんなぁ。……ボクが、へまをしてしまった所為でもあるけど)
病院で目を覚ました後、全てを知ったときの、形容し難い気持ちが蘇る。
思い出す度、蕉鹿は、体温が下がってゆく錯覚を覚えていた。
らしくない、とは思いつつ「ボクが、もう少しうまく立ち回れていれば、晩稲さんは――」と思わずにはいられない。
最終的には、無事に事は運んだ。
見た目も(草花の模様以外)ほぼ変わらず、今も長屋で暮らしている。
(……考えたって、どうしようもないけど)
唇を噛みしめ、蕉鹿は枝垂桜を振り仰ぐ。
こちらの憂いなどお構いなしに、美しく咲き誇っている。
去年も見たはずなのに、やけに眩しく感じられた。
「…………こういうときだからっスかね。いつも以上に綺麗に感じるっス」
「おお、蕉鹿が悟っているのだ」
茶化しを孕んでいない名月の言葉に、蕉鹿は照れ笑いを浮かべた。
名月は、「お前の言う通りなのだ」と立ち上がり、同じように桜を仰ぐ。
「何でもない日々の大切さ……なんて、今まで生きてきて、幾度となく思ったことなのに、気づけば忘れてしまっているのだ」
「ああ、どんなことでも、『当たり前』『それが普通』と認識されてしまった途端、『視界』から見えなくなってしまう。……厄介なものだ」
薄氷は枝垂桜ではなく、ティサヤの花畑を見つめながらそう言った。
彼は、涼多とこの場所で、雪合戦をした日のことを思い出す。
(…………本当に、色々とあった。俺も、例外じゃない。結界守仲間にすら話していないことを、彼に話してしまった)
曖昧に濁す手は、幾らでもあった。
なのに、己の過去の話どころか、心のうちまで涼多に言ってしまった。
(昔と違い、多少の揉め事こそあれど、平穏で変わらない毎日が続いてゆくのだと、ただ漠然に思っていた。でも――)
「ふふっ、世の中、何が起こるか分からないものだね。…………だからこそ、守れるものは守らないといけない。言わずもがなかもしれないけれど」
「いいや。口に出してもらった方が、気が引き締まるのだ!」
名月はそう言うと、拳を前に突き出した。
「……改めてやると、少し照れくさいね」
頬を掻きながら、薄氷は、つめを名月の拳に当てる。
ルテと蕉鹿も、二人と同じように拳を突き出す。
さああっと、先程よりも強い風が、四人の間を吹き抜けていった。
◇◇◇
「末枯さんは、……その、行かなくていいんですか?」
ソファーベッドに寝転がる晩稲に、涼多は質問した。
『本の間』に来てからずっと、無言のまま、晩稲は寝転がっている。
本当は加わりたいのでは、という思いを籠め、涼多は言った。
「う~ん、自分はあくまで代理だからねぇ。あの四人の輪に入るのは、ちょっと無理かな。一路もきっと、同じ気持ちだろうし」
今、枝垂れ桜の場所に向かっても、拒まれることは勿論ない。
だが、気が進まないのだ、と晩稲は語る。
「友人とはまた違う、『絶対的な何か』を感じるんだよね。残念ながら、自分と一路はお邪魔虫だ。…………ついでに、そちらたちも」
「ええっ、最後の一言いります?」
夢が眼を瞬かせ、ふてくされたような声を出した。




