護身除難
「なーんか、そちらやルーさんと、半月以上会わなかったような、奇妙な錯覚を覚えているんだけど、涼多氏は、自分の考えについて、どう思うかね?」
ヒダル神の町から帰ってきた、次の日の朝。
晴れ渡る空の下、晩稲は、スコップ片手に涼多に問うた。
彼らがいるのは、名月の家の前。
晩稲は、椿の苗の話を聞いて、一時間ほど前にやって来た。
「僕も、末枯さんと同じ気持ちです。……駕籠から降りたとき、四日しか経っていないのに、すごく久しぶりな感じがして」
「戻ってきた、って感じした?」
笑みを浮かべる晩稲に、涼多は「はい、とても!」と頷く。
「……で、結局『火山さん』には、会えず仕舞いなわけか」
「はい。……残念ですけど、仕方ないかな、と」
目を伏せる涼多の背中を、晩稲は「だよねぇ」と軽く叩いた。
発破をかけられたのを感じ、涼多は顔を上げる。
笑みが戻ったことを確認し、晩稲は、ちゃぶ台が置かれている部屋に視線を移す。ちゃぶ台の上には、菜種たちから渡された札がある。
(……あっちが落ち着いたら、一度会いに行ってみようかねぇ)
晩稲は、ある種の『義務感』のようなものを感じていた。
「にしても、スコップを持ったはいいものの、まだかかりそうだね」
「……はい。僕にはよく分かりませんが、なんというか、大変そうです」
涼多と晩稲は、少し離れた場所にいるルテたちに視線を送る。
彼らはしきりに、あっちへ行ったりこっちへ行ったりを繰り返していた。
「うーん、苗を植える場所は、この辺りでいいかな」
顎につめを当てたまま、薄氷はルテを見た。
本来ならば、彼が結界台に入る番なのだが、今回は、一路が代わりに結界台へと入っている。理由は、「気分転換」という単純なものだ。
『君が去った直後だったかな。タッチの差でね』
帰還した直後、「あれ?」と首を傾げていたルテに、薄氷はそう言った。
閑話休題。
薄氷の言葉に、ルテは「そうですね」と静かに頷いた。
「ここなら、成長しても邪魔になりませんし」
冷たい風が吹き、ルテの生壁色の外套が、微かに揺れる。
「…………はぁ」
「ま、まぁ、昨日のことは、なんというか、仕方がないさ!」
微かに項垂れたルテに、薄氷は苦笑いを浮かべた。
次いで、「かなりデフォルメされていたから、……ね」とルテの肩を叩く。
昨日、涼多から渡されたスケッチブックを見ていた夢が、「この、包丁を持っている女の子は何て名前なの?」と言ったのだ。
言うまでもなく、舞を終えた後のルテのことである。
そして、包丁というのは短刀のことだ。
知らなかったとはいえ、夢は三度目の追撃をルテに食らわしてしまった。
だが、説明を聞き終えた彼女は、ミドロと違い、きちんと謝罪をした。
涼多も涼多で、「すみません。絵だけじゃなくて、文字も入れておくべきでした」とズレているようなそうでもないような謝罪をした。
昨日の今日で少し気まずいからか、夢は現在、叶望や蕉鹿と共に、紅葉食堂へ昼の弁当を買いに行ってしまっている。
(あの時までは、名月君のような髪型だったらしいから、……そう考えると、伸ばしておいた方がいいのかな。変化はできないし)
「まっ、全て終わった話さ」
薄氷はルテに向かい、努めて明るい声でそう言った。
「いいえ。正直なところ、ミドロさんにいじられすぎて、……その、ようやっとこの町に帰ってこれたことに、心底、ホッとしているのです」
溜息ではなく安堵の息なのだ、とルテは薄氷に話す。
その後、「まぁ、複雑ではありますが」と微苦笑を浮かべた。
彼の笑みを受け、薄氷は「ふむ」と心中で腕を組む。
続けて、「髪型ひとつで、印象は変わるものだから――」と考えを巡らせた。
「ああそうだ。以前、晩稲君が、中世ヨーロッパの貴族のような髪型をしていたことがあったじゃないか。あんな風に――」
「ああそうだ、……じゃないですよ」
いつもの調子を取り戻したルテは、溜息まじりに髪を掻き上げる。
「さぁ、早く植えてしまいましょう」
「ははは、そうだね。札も貼らなければならないし」
薄氷は背後を振り返ると、涼多たちを呼ぶ。
ちなみに、奏は名月と寒梅屋に行っているため、この場にはいない。
「待たせてしまったね。苗を植える場所が決まったよ」
印の為に突き立てた棒をつめで指し、薄氷はそう言った。
「お疲れ様です」
「そんじゃあ、始めるとするか!」
言うが早いか、晩稲は丁寧に、スコップで土を掘ってゆく。
涼多も、別の場所の地面を、同じように掘り起こす。
「……しかし、お互いにトラブルがなくて、本当に良かったよ」
「はい。……良いことでは、あるのですが」
「ああ、大蜘蛛と成淵のことだけは、頭が痛いよ。……再度、つけ爪の代わりになりそうな材料を、探してみたりもしているのだけれど」
「見つからない、と」
ルテの言葉を肯定するように、薄氷は沈黙した。
「…………まぁ、焦りは禁物だ。遠くばかりを見ていては、足元が疎かになってしまうからね。いい塩梅で、やっていかないと」
「ええ、そうですね」
頷くルテに向かい、薄氷は「そういえば――」とつめを合わせた。
「一路君が、また、里に遊びに来てほしい、と言っていたよ。もう、前とほぼ変わらない状態に戻ったから、と」
ほぼ……少々変わってしまった川の流れは、そこに息づく妖怪たちの意向もあり、そのままにしておくそうだ。
話を聞いたルテは、ホッと胸を撫で下ろす。
何度か一路とやり取りはしていたが、不安が燻っていたからだ。
「まっ、気分転換というのは建前で、名月君と蛍君のことが気になった、というのが本音だろうね。一路君だけじゃなく、若葉君たちも気にしていたから。……何度、朝顔電話で話をしようと、やっぱり……ね」
そうだろうな、とルテは思う。
名月のあの姿を見てしまっては、不安にもなるだろう、と。
「おーい、植え終わったよー」
二人の会話に、晩稲の声が滑り込む。
「お疲れ様。……うん、いい感じだ」
苗の様子を確認する薄氷を見て、涼多と晩稲は顔を見合わせた。
「じゃあ、次はお札貼りか」
「ああ、貼る場所は、粗方決まっているよ」
台所や天井など、貼る場所は全て室内だ。
ルテは「説明しますね」と涼多たちを連れ、縁側から家の中へと入る。
「……あ、枝垂れ桜のことを、まだ伝えていなかったな。でもまぁ、急ぐ話じゃなし。名月君たちが帰って来てからでもいいか」
薄氷はそう独り言ちると、脚を拭いて縁側へと上がった。
その時、背後から「こんにちは!」と蛍の声が聞こえてきた。
「やあ、こんにちは!」
くるりと振り返り、薄氷は、春と蛍に笑いかける。
「あれ、もう植え終わっちゃったんですか?」
「ああ、ついさっき終わったよ」
「……手伝おうと思っていたのに」
蛍は、日の光を受けて煌めく椿の葉を見つめ、小さく溜息を吐く。
「ふふっ、ありがとう」
可愛らしくしょげる蛍の頭を、薄氷は優しく撫でる。
「…………随分と、変わった場所に植えるんですね」
隣に立っていた春が、家を囲うように配置された椿を見て呟いた。




