空似
「あっ、な、何でもないです」
ルテの視線を受け、涼多は、上ずった声を喉から絞り出した。
「くっくっくっ、無理ねぇよ。芝居小屋に来るまでに、なけなしの体力を消費したからなぁ。疲れが溜まりに溜まっているんだろうよぅ」
ニヤニヤと笑みを浮かべ、ミドロは「なぁ、子鹿ちゃん」と涼多の足を見る。
素直に頷きたくはなかったが、涼多は、彼が起こした波に乗った。
「……はい、思っていた以上に、石段が足に来てしまって」
「…………そう、ですか」
短いとはいえ、半年以上の付き合いだ。
ルテは、涼多の嘘を見抜きはしたが、追及することはなかった。
(ああでも、自分では実感がないけど、疲れているのは本当かも……)
涼多は、先程聞こえてきた『声』を思い出す。
だが、どういう訳か『言葉』を思い出すことは叶わなかった。
怒りを孕んでいたことは分かるのだが、何を言っていたのか思い出せない。
「おやおやぁ、マジで疲れている感じかぁ?」
ミドロは、「冗談のつもりだったんだけどよぅ」と眉をハの字にする。
彼は面倒くさそうに髪を掻き上げると、斎灯(篝火)の傍に転がっている丸太を指さし、涼多に座るよう促した。
「ルテさんもお疲れでしょう。あそこに腰かけて、ちょっと待っていてください!お菓子を持って来ているんで、皆で食べましょう!!」
言うが早いか、伊織は丸太の上に、赤い布をばさりとかける。
栞に手を引かれ、ルテと涼多は丸太に腰を下ろす。
「お疲れ様です!繰り返しになっちゃいますけど、凄かったです!!」
「ありがとうございます」
ルテは、涼多の真っすぐな視線と感想を受け、軽く会釈をした。
次いで、照れくささを誤魔化すように茶を飲み干す。
「さっきの舞は、何という舞なんですか?」
「……これと言った名前はありません」
何かを懐かしむように目を細め、ルテは涼多にそう言った。
涼多は頷きを一つ落とすと、「ええっと――」と口を開く。
「ルテさん、その、……寒くはないですか?」
直垂姿然とした格好を見て、涼多はルテに問う。
一見すると温かそうではある。だが、藤布が夏の着物生地の『紗』のように薄く、通気性が良さそうな分、かえって寒々しく見えてしまう。
涼多は、パーカーのポケットに入れている温石を渡そうとした。
だが、ルテはやんわりとそれを制止する。
「お気遣いありがとうございます。ですが、さっきまで舞っていた所為か、熱いくらいなので大丈夫ですよ」
「それって、汗が冷えて寒くなってくるパターンだよ!」
慌てた様子の栞が、「はい、どうぞ!!」と薄手の毛布をルテに渡す。
ヒダル神の持ち物なのか、毛布の端には『ヒダル』と刺繍されている。
ルテは礼を言って毛布を受け取ると、取り敢えず膝にかけた。
「ママがひえしょうだから、冬になったら、パパがよくタオルケットを渡していたんだ。なんかモコモコしているやつ!」
「へぇ、僕のところと一緒だ。タオルケット一枚とっても、色々とあるよね。前に、シャインモールっていう所に買いに行ったことがあるんだけど――」
ふとした共通点を皮切りに、涼多と栞は会話に花を咲かせる。
微笑ましい光景に顔を綻ばせ、ルテは自身の足に視線を落とす。
(もし、足や手が止まってしまったら、と不安に思っていましたが……)
ルテは、不安が杞憂に終わったことに、心中で安堵の息を吐く。
「……あ、ルテさんすみません。着替える前に、ルテさんの姿をスケッチしたいんですけど、いいですか?」
ショルダーバッグからスケッチブックを取り出した涼多に、ルテは快く頷いた。
暫くの間、丸太に腰かけたまま、伊織が持って来た菓子を咀嚼する。
「涼多お兄ちゃん、凄く上手だね!」
弾んだ声を上げる栞に、涼多は「ありがとう」と顔を赤らめた。
「しっかしよぉ、もう少しでっかく描けねぇか?なんか、全体的に隅っこに寄っちまっている気がするんだけどよぅ」
「こらこら、外野があれこれ言わないの」
伊織がそう言ったとき、木箱を抱えたヒダル神がやって来た。
朱色に塗られた長方形の木箱の中には、紙の札が二十枚ほど入っている。
そして、全ての札に、椿や南天、柊の絵が描かれていた。
ヒダル神の「ひゅうひゅう」という虎落笛のような声が、涼多の耳朶に届く。
傍らに立っていた菜種が、木箱を受け取るよう促す。
「結界樹ほどではありませんが、それなりの効果はあります!……火山さんから、おふたりに渡してほしい、と」
(そんな、和綴じ本だけじゃなく、お札まで。でも――)
念には念を入れて損はない。
恐縮しつつも、涼多はありがたく札を受け取った。
受け取ったことを確認し、菜種は、自身の胸をドンッと叩く。
「力を流し込んだのは、私とヒダル神様ですが、お札の絵は、火山さんが全部描いたんですよ!お陰で、物々しさがかなり緩和されました!!」
『おじさんの絵には劣るけど……』
そう言って筆を走らす火山(水川)の姿が、菜種の脳裏によぎる。
(……どうしてだろう。前の末枯さんの絵と、どことなく似ている気がする)
水川の事情を知らない涼多は、首を傾げるばかりであった。
(まぁ、『他人の空似』ならぬ『絵の空似』だってあるか)
涼多は、そう己を納得させ、一枚一枚、札を見てゆく。
指先から、作り手の思いが流れ込んでくるような気がした。
穏やかで、ゆったりとした時間が流れていった。
◇◇◇
「私が言うのもなんだけど、火山さんも栞君も、地縛霊にならなくって本当に良かったわ。……今も昔も、結構多いらしいから」
ヒダル神のいる芝居小屋を後にし、涼多が石段を下りてると、隣を歩いていた伊織がそう呟いた。
瓦斯燈を模した簪が、光鈴の光を受けてキラリと光る。伊織の過去を知っているだけに、涼多には簪が、ある種の『戒め』のように感じられた。
涼多は、戸惑いを顔に張り付けたまま、ルテと顔を見合わせる。
現在、この場にいるのは、涼多、ルテ、伊織の三人だけだ。
栞や菜種、ミドロたちは、一足早く公園に遊びに行ってしまった。
呟かれた言葉を反芻し、涼多は「そういえば――」と口を開く。
「前にルテさんの家にお邪魔したとき、『地縛霊の救い方』という本があったような……」
話を振られたルテは「ええ」と頷いた。
次いで、「……ですが」と言葉を濁し、涼多から視線を逸らす。
「…………人間界に行けなければどうしようもない、という結論しか、出てきませんでしたけれど」
「まぁ、そうですよね。人間界での未練をどうにかしないといけないんですから。それだって、言うは簡単ですけど、なかなかに難しい問題ですし」
ルテの言葉に同意するように、伊織はうんうんと頷いた。
彼女は、いまいちピンときていない涼多に、説明を開始する。
「例えば、『自分の話を聞いてほしい』みたいな願いなら聞けるけど、『自分を殺した奴を、代わりに殺してくれ』なんてのは、頷けないでしょ?」




