結界樹と荒舞
舞台に置かれた椿の苗の周りを、藤布(藤の蔓から繊維を取り出し、糸にして織り上げた布)で作られた衣装を身に纏ったルテが舞う。
いつもかけている眼鏡は外されており、髪も解かれている。
纏う衣装と雰囲気も相まって、別人のようだ、と涼多は思った。
衣装は、烏帽子こそ被っていないものの、鎌倉時代の武士の平服である直垂姿を思わせた。涼多見た当初は、「重そうだな」と感じていた。
だが、涼多の思いとは裏腹に、袖は重さを感じさせることなく、くるりくるり、と翻り、青竹に当たることなく舞台を泳ぐ。
一心不乱に舞うルテを、涼多たちは、ヒダル神とアオがどこかから持って来た丸太に腰かけ、ただただ見入っていた。
神楽太鼓のようなものはなく、聞こえるのはルテが舞台を踏み鳴らす音と、時折吹く風によって生じる、木の葉が擦れ合う音だけだ。
芝居小屋の前に置かれている、斎灯(篝火)の火の粉が、花弁のように青空へと吸い込まれてゆく。
(……すごい、最初はゆっくりとしていて、足音も聞こえないくらい穏やかな舞だったのに、今は動きが早くなって、とても荒々しい)
白蛇と成淵の鉱物で作られた短刀片手に舞うルテは、表情こそ涼しげではあるが、纏っている空気は、いつもと違っていた。
まるで、光風から荒風に変わってしまったような――。
「……俺がガキだった頃なんかはよぅ、晩秋になると、産土神さんや氏神さんに向けた、神楽太鼓の音が聞こえてきたもんだけどなぁ」
涼多の隣にやって来たミドロが、ぽつりと呟いた。
彼は、「ま、神さん直々だからかねぇ」と尖った歯を見せて笑う。
「お前さんたちが暮らしている後祭町はぁ、田舎っちゃあ田舎なんだろぉ?白蛇火祭り以外にも、何かやってんじゃねぇのかあ?」
「……考えたこともなかったです」
放たれた涼多の言葉に、ミドロは「そうかよぉ」と息を吐き出した。
「まぁ、時代の流れってやつかねぇ。……かくいう俺も、村を飛び出してからは、あまり縁がなかったけどなぁ。風に乗ってきた音を、聞くぐれぇでよぉ」
ミドロは、懐かしそうに目を細め、舞台を見上げる。
言葉をかけるタイミングを逃した涼多も、同じように視線を戻す。
荒々しい舞は、まだ続いている。
涼多は「二時間は経過しているけど、大丈夫かな」とルテを見た。
だが、彼が疲れている様子はない。
それから、十五分が経過した頃――。
ルテは何やら呪文を唱えると、ぴたりと動きを止めた。
そして、短刀で自身の人差し指の皮を裂き、苗に一滴ずつ垂らす。
ゾッとする光景ではあるのだが、気づけば涼多は、拍手を打っていた。
栞たちも、ぱちぱち、と涼多に続く。
(何のための舞だったのかは分からないけど、……とにかく凄かった!)
涼多は、消失気味の語彙力をどうにか絞り出し、そう思った。
拍手を受けたルテは、軽く会釈をすると、椿の苗を抱え舞台から降りる。
彼は四つの苗を、最初に入れていた竹籠へと戻す。
「あの、この椿の苗をどうするんですか?」
「名月さんの家を囲うように植えます」
「……ええっと、それは、結界が関係していたりしますか?」
「おっ、少しは考えるようになったじゃねぇかあ」
首を傾げつつも答えた涼多の背中に、ミドロは声をかけた。
うっかり叩いたりしないよう、彼はアオの腕で簀巻きにされている。
伊織は、そんなミドロの額を人差し指で軽く小突く。
次いで彼女は、ルテに温かい茶の入った湯呑みを渡した。
「椿は『結界樹』と言われることもあってね、強い魔除けの力があるとされているの!他にも、南天や桃も、厄除けの効果があるわね」
「この間、名月さんの家で眠っていたとき、一瞬ではありますが、嫌な気配を感じたのです。それで……」
ルテは、伊織の言葉に相槌を打っていた涼多に向かいそう言った。
彼は「私の、気のせいならいいのですが……」と目を伏せる。
「それに、ふと思いついた結界ですから、どこまで効果があるか……」
「大丈夫ですよ!そんな不安そうな顔しないでください!!」
じめを取り戻しつつあるルテに、栞はそう言った。
太陽のような笑みを受け、ルテもどうにか笑顔を作る。
「まぁ、この町の植物は、町を流れる『気』のお陰で、何かにつけて『強い』からなぁ。そこに丸眼鏡の神さんのお力が加われば、そりゃあ、いい結界樹になってくれるだろうよぅ。……魔を、退けてくれるだろうぜぇ」
ミドロは、椿の苗に視線を落とすと「くくっ」と口角を吊り上げた。
続けて、わざとらしく「おっと――」とおどけた声を出す。
「別に、お前さんたちの町がダメって訳じゃあねぇぜえ?」
分かっているよな、と言わんばかりの視線が、涼多たちに向けられる。
「……まず、ダメとかどうとか、考えてすらいなかったんじゃない?」
伊織の言葉に、涼多は、我が意を得たりと頷いた。
「まっ、気のせいなら気のせいでいいじゃないですか!椿寿(長寿を祝う)って言葉もありますし、悪い方には転がらないですよ!!」
はつらつとした伊織の言葉に、ルテは微笑んだ。
会話が途切れたのを見計らって、涼多はルテに話しかける。
「ルテさん、さっきの舞なんですけど、その、凄く迫力がありました!」
涼多自身、あまり舞や踊りに詳しくはない。
だが、迫力と美しさと、……畏れを感じた。
そう伝えると、ルテは、戸惑うように視線を彷徨わせた。
「…………あ、ありがとうございます」
暫く経ってから発された言葉は小さく、確かに『照れ』を孕んでいた。
「くっくっくっ、面白れぇくらい、お嬢さんに見惚れていたもんなぁ」
「……ミドロさん、そういうのは二度言うとつまらないのよ」
伊織が、圧をかけた声で窘めると、ミドロはふんと鼻を鳴らす。
何がお気に召したのか、アオの勾玉が淡く点滅を始める。
「別にぃ、お前さんたちを楽しませるために言っているんじゃねぇよ。俺が楽しいから、飽きるまで何度も言うだけだぁ」
「……やれやれ、本当にしょうがない」
幣堂のときと同様に、伊織は、処置なし、と呆れた顔で肩をすくめた。
(ま、まぁ、見惚れていたに入るのかな?……圧倒された、という方が近い気もするけど、見入ってしまっていたのは本当だし)
伊織とミドロの会話を眺めながら、涼多はそう思った。
ルテはというと、ホッとした顔で短刀を見つめている。
「…………最後まで、舞うことができて良かったです」
彼の呟きを拾った涼多は「やっぱり」と心中で呟く。
(衣装も重そうだったし、あの手の舞も、体力勝負だもんな……)
相当な気力と体力を使うのだろう、と涼多はルテの人差し指を見る。
短刀で切り裂かれた箇所はすでに塞がり、綺麗に治っていた。
だが、痛みを感じなかったわけではない。
実際に指の皮は裂け、血が流れた。
涼多は、ルテの指から視線を逸らし、意味もなく地面を眺める。
(僕たちに、悪いモノが来ないようにするために。……ルテさんは、今も昔も全然変わらないなぁ。そんな神様を、僕たちは――)
ピィーヒュルルルル……。
甲高い名も知らぬ鳥の鳴き声が、頭の中に響く。続けて――。
『だいたいな、お前がいなくったって、この村は平和だったんだ!』
涼多は耳元で、怒りに満ち溢れた声を聞いた。
『そうだそうだ!飢えに苦しむこともなければ、日照りや雨に悩まされたこともねぇ。山賊や疫病神だって、やって来たためしがねぇっ!!』
『土もよく肥えて、毎年豊作だった……!お前は何をしてくれた?ただ、にこにこ笑っていただけだったよなぁ!?』
『むしろ、お前がいたからこうなったんじゃねぇのか?この疫病神!!こうされて当然だっ!死んでいった皆の無念を思い知れっ!!』
「……ん、……び……さん、兎火さん、どうされましたか?」
ルテの声に、涼多はハッと我に返る。
こちらを心配そうに見つめる、黄金色の瞳と目が合った。




