ダンジョンを歩く以前の問題
「………………」
少し寂し気に、ノコは叶望たちが入って行った家を眺めている。
「あ、あの、ノコ……さん。僕は兎火涼多といいます。改めて、これから一週間、よろしくお願いします」
涼多に続くように、奏も「音律奏です」と挨拶をした。
ふたりの態度に緊張がほぐれたのか、ノコは二本の足をそれぞれに伸ばす。
互いに握手を交わすと、嬉しそうにベッドの上を飛び跳ねる。
涼多たちも胸を撫で下ろし、部屋の中をぐるりと見渡す。
木製のテーブルや椅子にベッドが二つ、壁には村の地図が貼られていた。
武器屋に料理屋、訓練場、そして、三つのダンジョン。
「あ、あれ?」
いつの間にか、机の上に、錫杖や小刀といった武器が置かれていた。
「この麻袋は何だろう?中に何か入っているみたいだけど……」
恐る恐る、涼多は袋の中を覗き込む。
中には少しひしゃげた三角形の形をした実が、三十個ほど入っていた。
実は固く、刺状の突起が二~四本生えている。
「……これは何だ?ひしの実に似ている気がするけど」
奏は実を一つ手に取ると、顔の前に持って行きしげしげと眺めた。
「実、ということは食べられるのかな?……って、聞いてみないと分からないか。下手に食べると、大変なことになりそうだし」
涼多の言葉に「そうだな」と頷き、奏は実を袋へと戻す。
少しの沈黙の後、涼多は口を開いた。
「音律君、さっきはありがとう」
主語がないため、奏は「さっき?」と首を傾げた。
「あの、葬歌君に……言おうとしてくれて」
決定的な言葉を出さない狡さに、涼多は胸中で己を叱責する。
それに気づいた様子もなく、奏は「……ああ、気にするなよ」と笑う。
カラリとした優しさに、ますます苦しさを感じた。
実を言うと、奏は葬歌に対して、かなり怒りを覚えていた。
嘲りの入った笑みが、弟の響と、ほんの少し重なったためだろう。
カラリンコロリン……。
優しい鈴の音が、外から聞こえてくる。
水恩の「はーい!みんな集合!!」という明るい声が部屋を満たす。
急いで外に出ようとする涼多の頭に、ノコが飛び乗った。
扉を開けた先には、肩にシアを乗せた叶望の姿。
どうやら、向こうでも似たようなやり取りが行われたようだ。
「それじゃあ出発しまーす!って言っても、地図で見たか」
水恩は、アラベスク模様が美しい四角形の建物に向かって歩き出す。
中はガランとしており、人っ子一人いない。
ランプから漏れる淡い光が、床の、蔓が絡み合っている模様を照らしていた。
「ちょっと揺れるから、歯を食いしばってね」
言うが早いか、涼多たちを取り囲むように光の輪が浮かび上がる。
眩しい光に、水恩を除いた全員が目をつぶった。
閉じた視界の中で、地面が揺れる感覚に襲われる。
揺れが収まると同時に、「もう目を開けていいわよ~」という緊張感のない声が耳朶に届いた。
導かれるように目を開けると、赤い絨毯の敷かれた長い廊下。
左右の壁には、額に入れられた絵画が等間隔で飾られている。
「今回は、私も『助言キャラ』としてついていくわ!貴方たちは、感覚を掴むところから始めて!!……という訳で、スタート!!」
何処からともなく「ビーッ」とブザーの音が響く。
一同は咄嗟に身構えるが、何かが襲ってくる気配はない。
「開始の合図よ」
水恩は数歩後ろに下がり、「さあ、さあ」と涼多たちを促す。
グッと錫杖を握り締め、一歩を踏み――。
足元に、ドスンと何かが突き刺さる。
よく見ると、それは閉じられた洋傘だった。
先端は槍のように尖っており、数秒経つと跡形もなく消滅した。
前を見ると、二メートルほど離れた場所にある絵画の中から、フリルのついたスカートを穿いた少女が飛び出してきた。
スカートの端を摘まみ、優雅にお辞儀をして見せる。
格好に似合わない竹籠を背負っており、中には大量の傘が入っていた。
奏は、浮世絵か何かで見た『千本の刀を集めている弁慶の図』を思いだす。
水恩の「ぼうっとしている暇はないわよ~」という声に我に返る。
目の前の少女は、こちらに向かって傘を投げようとしていた。
いつの間にか肌は緑になっており、口は耳まで裂けている。
「………………!」
ノコが、持っていた札を掲げ、見えない障壁を張った。
しかし――。
パリン、と嫌味なほどに綺麗な音を立てて、あっさりと破られてしまう。
涼多は咄嗟に、近くに飾られていた額縁を盾にした。
が、盾の代わりになれ、というのが無茶な話だ。
哀れ絵画を貫通し、床に突き刺さる。
しかし、それに構っている暇はない。傘は、次から次へと飛んでくる。
次にシアが札を掲げたが、結果は同じだった。
札は際限なく使えるみたいだが、全くもって役に立たない。
奏が、突き刺さった傘を抜いて投げ返すが、少女のもとに到達する前に、泡のように消えてしまう。
「あの子の胸元に、大きな宝石のついたリボンがあるでしょ?あれを壊さない限り、ずぅっと傘を投げてくるわよ。頑張ってね!」
水恩が指さす先には、確かに真っ赤な宝石が煌めいている。
だが、聞いたところでどうしようもない。
「兎火君っ!」
なんとか一つを錫杖で弾き落とした叶望が、涼多を突き飛ばす。
左肩に、華やかなレースのついた傘が突き刺さる。
鋭い痛みが走るが、叶望は悲鳴も涙も見せることなく錫杖を構え直す。
「む、郁子さん……!」
「気にしないで。そんなことより、大丈夫?」
涼多が何か言おうと口を開くよりも先に、傷は跡形もなく消えた。
先程感じた痛みも、嘘のようになくなっている。
(ああ、こうして何十、何百回と兎火君たちを庇い続けたら、少しは私の『罪』も許されるのかな。……なんて、はは、すごく自分勝手)
それでも、心のどこかでホッとしていた。
永久山で、蕉鹿に話した澱が晴れてゆくような――。
(でも、化生界は『契約』があるから死ねないけど、ゲームの世界では何度でも死ぬことができる。…………微々たる量でも、罪を贖わないと)
『本当、お前らは――』
『ほお、お前さんはぁ、個よりも全で決めるタイプってことかねえ』
父の声とミドロの声が同時に聞こえた。
それに気を取られた瞬間、右目に傘が突き刺さる。
傘も傷もすぐに消えたが、夢の悲鳴だけは消えていない。
奏が庇うように前に立っているので、はっきりとは見えていない筈なのに。
「……て、てて、手前ぇ、よくもやってくれたなぁっ!!」
親が聞いたら叱り飛ばしそうな言葉と共に、夢は錫杖を投げつけた。
ドスッ、と見事宝石に命中し、少女は断末魔の叫び声と共に霧散する。
荒い息を吐きながら、夢は「叶望お姉さん!」と叶望に抱き着く。
「おめでとう!でも、休んでいる暇はないわよ~」
そう、一体を倒して終わりのゲームじゃないのだ。
今度は、三匹の洋服を着た豚が飛び出してきた。
愛らしい笑顔とは裏腹に、瞳の奥にあるのは『暴』だ。
一匹が大量の藁を投げて目くらましをし、残りの二匹が木片とレンガを交互に投げてくる。
叶望に向かって飛んできたレンガを、涼多は叩き落とす。
錫杖を伝って、手にじんわりと痛みが走る。
「さっきはありがとう!でも、そんなことよりなんて、言わないで」
春に対する思いとはまた違うが、叶望だって『大事な人』なのだ。
奏や夢と同じ、大切な友達。
「……………………ありがとう」
少しの間の後、何かを振り払うように、叶望は涼多に微笑んだ。
『ははは、お綺麗さんだねぇ。見ていて寒気がしてきたよ』
どこからか、葬歌の声が聞こえてきた。
『ごめんね。簡単なんて言っちゃって。思った以上に皆クソ雑魚だから、訓練場で鍛え直してから出直してよ。じゃないと、いつまで経っても終わらない』
言うが早いか、涼多たちは訓練場前の広場に転移させられた。




