涼多と春
紅葉食堂の少し手前から、土の道が石畳の道に変わる。
(名月さんの家って町の中心部から、わりと離れた所にあるんだなぁ……)
土と石の境を見ながら叶望は思った。
心地の良い風が吹き、短く切った髪の毛がさらりと揺れる。
紅葉食堂の前を通り暫くすると、濃い緑色のタイルが壁一面に張られている、看板建築の建物が見えてきた。
木製のガラス戸はすりガラスになっており、中の様子は窺えないが『躑躅屋』と書かれている。
(本当、人間界でいうところの『重要伝統的建造物群保存地区』って感じだな)
ルテが「絵具屋さんです」と教えてくれた。
中に入ると、岩絵具が入った、沢山のガラス瓶が所狭しと棚に並べられている。
「ああ、ルテさん。待っていたよ」
店の奥から海松色の着物を着た狸が出てきた。
「こんにちは。店主の芹です」
「こ、こんにちは……」
お手本のような笑顔を向けられ、叶望たちも挨拶をする。
芹は、口に手を当て「りらっくすしてください」と笑う。
「お願いします」
店主は真剣な顔で「はい」と答えると、ルテから木箱を受け取った。
「躑躅屋から、もう少し行けば町の中心部です。少しぶらついてみませんか?名月さんも、気分転換してこいと言っていましたし」
ルテの提案にこくりと頷き、おっかなびっくり歩き出す。
商店が立ち並ぶ道を歩いていると、道行く者たちがチラチラと二人を見る。
しかし、向けられる視線に悪意は感じない。
『あれが話に聞いた』『珍しい』そんな興味が混じった視線だ。
(……って言っても、慣れないな)
背中に多くの視線を感じ、どうにも落ち着かない。
「こう見られるのって、なんというか慣れないな……」
ポツリと呟かれた言葉に、叶望は意外と言った顔をした。
「音律は、視線を浴びるのって、慣れていそうだと思っていたんだけど……」
実際、学校では(主に)女子生徒の黄色い声と視線を浴びているのを、よく目にしたものだ。
「それとは全然違うからなぁ……。動物園の珍しい動物になった気分」
「ちょっと、分かるかも」
「ま、悪気はないんだろうけどさ」
「そうだね。私も、逆の立場だったらそうなるだろうし」
少し前を歩くルテに聞こえないように、ひそひそと小声で会話をする。
暫くすると道が開け、その先に白レンガが美しい四階建ての大きな洋風の建物があった。
屋上にも何か施設があるのか、蠢く影が見える。
正面玄関の石柱には『躑躅百貨店』と彫られていた。
「あれ、躑躅……?」
「手広くやってんだな」
首を傾げた叶望の隣で、奏が感心したような声をだす。
二人の耳に、タッタッ、と何かが迫ってくるような音が聞こえてくる。
「ん?あれは――」
「ルテさん!ちょうど良かった!!いや、なにも良くはないんスけど……」
三人が入ろうとした時、中から何やら慌てた様子の蕉鹿が走ってきた。
どうやら、音の主は彼のようだ。
鞍の上には夢が座っており、困惑した顔で、目をパチパチとさせながら三人を見ている。
叶望は「あれ?」と周囲を見回す。
「兎火君は?一緒じゃないの?」
「もしかして、なんかトラブルに巻き込まれたのか?それとも、うっかり店の商品壊したとか?」
涼多の性格を考えると、前者の方が可能性は高い。
昔見たドラマで、主人公が不良とぶつかって「おい、何処見て歩いてんだ!?」と絡まれていたシーンを思い出す。
それか、不運にも喧嘩の流れ弾が当たってしまったか――。
「ううん、そんなんじゃなくて……」
夢は、奏の質問に、どう答えたらいいか迷っている様子だった。
「落ち着きなさい、蕉鹿。そんなに慌てて、一体どうしたんですか?」
ずれかけた眼鏡を直しながらルテは質す。
「涼多君が、パクられたんスよ」
「…………はい?」
◇◇◇
ルテたちと出会う少し前――。
涼多達は『珍味の早蕨屋』という店に箱を届けた後、躑躅百貨店に入った。
「お客さんの中には、ネズミぐらいの大きさの方もいるので、踏まないように注意してくださいっス」
蕉鹿の言葉に、二人はコクリと頷く。
中は思っていたよりも広く、多くの買い物客で賑わっていた。
マスコットキャラクターなのか躑躅を持った狸の石像が置かれている。
「ちょっと前に、パパとママと行った七草屋って百貨店と似てる……」
「うん、人間界にある百貨店とあんまり変わらないかも」
違うのは、客の姿とガラスケースの中にある商品、そして、照明の代わりに飛び交う光鈴の存在くらいだろう。
壁には『館内の光鈴を食べたり傷つけたりしないでください』と書かれた大きな張り紙があり、隣には百貨店の案内図があった。
「館内を見て回る前に、三階にある店に行きたいんスけど、いいっスか?」
「はい、大丈夫です」
長いエスカレーターに乗りながら、涼多は周囲を見渡す。
少し離れた所に、大きな本屋があるのが見えた。
店の前には、アニメチックな少女の等身大パネルのような物が置いてある。
吹き出しに『冒険家が語るあの町この町・好評発売中!』と書かれていた。
他にも『期間限定・屋上庭園にてスケートリンク登場』と宣伝ポスターが壁に貼ってある。
「あ、七草屋でも『期間限定でスケートリンク登場』って言ってたよ。あっちは屋内だったけど」
「凄い偶然だね」
涼多の言葉に「それが、そうでもないんスよ」と蕉鹿は言った。
「百貨店には薄氷さんも携わってるんスけど、あの人、新しいモノ珍しいモノそれから、イベントが大好きなんスよ。よく友達の絵師さんと一緒に、最近まで人間界にいた人達を捕まえて話を聞いてるっス」
「もしかして『絵師さん』ってあの本の表紙を描いていたりしますか?」
夢が、等身大パネルを指差し問う。
「おっ、鋭いっスね。昔は襖や屏風に絵を描いたりしてたんスけど、今は、ポスターや本の表紙その他もろもろって感じっスね。ここ数十年で、絵柄の幅も広がった気がするっス」
「そうなんだー、会ってみたいな」
「夢さんは絵に興味があるんスか?」
「絵を描くのは好きだし、結構上手なんだよ!」
(誇れるものがあるっていいなぁ……)
自信満々に話す夢に羨ましさを感じていると、ぱさっと小さな音が聞こえた。
見ると桜色のハンカチが落ちており、その少し前を白いワンピース姿の女性が歩いている。
「すみません。落としましたよ」
エスカレーターから降り、ハンカチを拾い声をかけた。
「えっ、涼多さん?」
「春さん?」
鈍色の着物姿しか見たことがなかったので一瞬、誰か分からなかった。
今の春は、檜皮色の靴に白いワンピース、そして烏の濡れ羽色のような黒髪をハーフアップにしている。
すらりと伸びる手足と、華奢な体も相まって『清楚』や『儚げ』といった言葉が頭をよぎった。
「あっ、すみません。いきなり名前で呼んでしまって。ありがとうございます、兎火さん」
「い、いえ。その、涼多で大丈夫です」
春は微笑みながら「そうですか」と答えるとハンカチを受け取る。
「昨日はスイカ?をありがとうございました。とっても美味しかったです」
「『スイカ』で大丈夫ですよ。お口にあってよかったです」
「…………」
「…………」
(どうしよう、会話が続かない。というか、同年代の女の人と話す語彙力が僕にはない。バイトの人たちは全員年上だし、郁子さんともまだそんなに話せていないし)
「えーっと、蛍君は、一緒じゃないんですか?」
もっと他にあるだろ、と心の中でツッコミを入れる。
すると、春は目を伏せ言った。
「……はい、今日もお友達と遊びに出かけています」
「そう、ですか」
(まただ……)
前にあった時も、目を伏せ悲しそうな顔をしていた。
でも、それも一瞬のことで直ぐに顔を上げ微笑んだ。
そのことに安心して「素敵なワンピースですね。その、えっと、春さんに凄く似合ってます」と言うと、春は頬を少し赤らめ嬉しそうに言った。
「ありがとうございます。前に、蛍がプレゼントしてくれた物なんです」




