朝顔・花言葉『愛情』・下
「あ、着た切り雀さんだ」
「あなたって、毎日その服着ているわよね。他にないの?」
最後の一人は、小学校の廊下で、数人の女子生徒から、揶揄いの言葉を投げつけられていた。
少女が着ているのは、継当てだらけの服。
言葉を投げつける彼女たちは、清潔で綺麗な服を着ている。
彼女たちは、自身の『富』を誇示するかのように、少女を嗤う。
少女は目に涙を浮かべながら、彼女たちの前を、早足で通り過ぎる。
しかし、ボサボサの長い前髪に隠れた目は、服に注がれていた。
少女は、悔しそうに、唇を小さく噛みしめていた。
何もできない歯痒さに、名月は下を向く。
彼女の赤と青の瞳から、涙が流れ落ちる。
この数ヶ月間、名月は、多くの人間を見てきた。その中でも、衣食住を貶された者の悔しさ悲しさは、計り知れないものがあった。
(以前、『こったら村、息苦しいから嫌んた』と言っていた者がいたが、何処に行っても、別の息苦しさがあるのだ。全てにおいて、良いことしかない場所なんて、存在しないのだ……)
重く鬱屈とした感情が、名月に圧し掛かった。
涙を拭い、着物を強く握りしめる。
『神だなんだと持て囃されていても、結局お前はこの程度の存在なんだ』と、何者かに言われているような気分だった。
「おい、そうやって揶揄うのやめろよな」
俯いていた名月が顔を上げると、一人の男子生徒が立っていた。
ガキ大将然とした、力強い目を持った少年だ。
女子生徒たちは、むっとしたのか、すかさず反論する。
「なにさ、いい子ぶって」
「庇うってことは、あの子のこと、好きなんじゃないの~」
「やっだー」
姦しい嗤い声が、廊下に響き渡った。
「……そんなんじゃねーよ」
顔を赤らめつつも、言っても無駄だ、と判断したのだろう。
少年は、堂々とした足取りで、教室へと入って行った。
そんな彼の背に、名月は「……ありがとう」と声をかける。
(さっきみたいに、庇ってくれる者もいたのだ)
何もできない名月にとって、ありがたいことではある。
(……もう、あたしはそれを見て、安堵することしかできないのだ。助けが現れるのを、祈ることしかできないのだ)
自身の無力感に苛まれながら、名月は化生界へと帰って行った。
◇◇◇
「……こんな感じなのだ。だからあたしは、着るものと食べるものに五月蠅いのだ!住むところは、気に入っているから数に含まないのだ!!」
「そ、そうなんですか……」
名月の勢いに仰け反りながら、涼多は言った。
「まあ、村にいた時も『綺麗な着物を着て、町さ歩いてみてぇ』とか『毎日、うめぇ飯を腹いっぺえ食いてぇ』とか、そんな声を聞いていたから、というのも、あるかもしれないのだ」
涼多は、相槌を打ちつつ、名月を見た。
目の前で茶を飲む彼女からは、悲壮感は感じられない。
(でも、きっと、凄く悔しかっただろうな。僕は、何て言ったらいいんだろう。何を言っても、気休めにもならなさそうだし……)
涼多の顔を見て、何かを察したのか、名月は優しく微笑んだ。
彼女は、茶を一気に飲み干し、ゆっくりと口を開く。
「人間が好き、というのは、嘘じゃないのだ。でも、それ以上に――」
少し考え込んだ後、名月は切り出した。
「……あたしは、お前たちを、助けられなかった、みんなの代わりにしているのだ。なにもできなかった自分を、なかったことにしたい、と思っているのだ」
「……」
懺悔のように吐き出される言葉を、涼多は黙って聞いていた。
「馬鹿な話なのだ。代わりなんて、ありはしないのに」
自嘲を孕んだ声音に、涼多は「……名月さん」と小さく呟いた。
形容しがたい沈黙が、ふたりを包む。
穏やかな夜風に吹かれる木々の音が、やけに大きく感じられた。
「………………他の者たちも、同じなのだ」
気のせいか、と疑うほど、小さな呟きだった。
涼多は思わず、「え?」と首を傾げる。
「なーんてな。涼多、まだ夜明けまで時間があるのだ。もうひと眠りしてくるといいのだ。寝不足は、体に毒なのだぞ!」
「……分かりました」
「ああ、金平糖を食べたのだから、歯を磨いて寝るのだぞ」
涼多は「はい」と返事をし、立ち上がる。
彼は、洗面所から戻ってくると、名月に言った。
「名月さん。……その、どんな理由であれ、右も左も分からなかった僕たちを助けてくれたことに、変わりはありません」
ありがとうございます、と涼多は頭を下げる。
次いで、暫く口を開閉させた後、「お、おやすみなさい」と言った。
「……そう言ってもらえると、嬉しいのだ。おやすみ、良い夢をなのだ」
必死に言葉を紡ぐ涼多に、名月は優し気に微笑んだ。
◇◇◇
涼多が部屋に戻って暫くすると、屋根の上から蕉鹿が降りてきた。
「おお、何処に居るのかと思ったら」
「屋根の上で月を見ていたら、降りにくい雰囲気になっていたので」
彼は「盗み聞きしたのは、謝るっス」と頭を搔く。
しかし、すぐに真剣な表情になり、名月に言った。
「……この二日で、皆さん、結構参っているみたいっスね」
「こればかりは、慣れてもらうしかないのだ」
名月は、「むむむ」と難しい顔をし、腕を組む。
いい案が思い浮かばず、悩んでいるのは彼女も同じだ。
蕉鹿は、「そうっスよね」と肩を落とす。
次いで、「明日――」と話を始めた。
「涼多さんたちと一緒に、周辺をぶらついてくるっス。きっと、たぶん、おそらく、気分転換になる、と思いますし……」
「お願いするのだ」
笑みを浮かべた名月は、「ほい」と金平糖を差し出す。
「ありがとうございます!」
蕉鹿は、ボリボリと音を立てながら、金平糖を咀嚼した。




